[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2007年6月〜2015年1月 ]

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2014年10月02日

バーニー・ヒュークス展

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昨夜代官山にバーニー・ヒュークス展を見に行ってきました。

バーニー・ヒュークスの名を知ったのは、
知り合って間もなくの夫の口からでした。
もう20数年前のことです。
アメリカでは有名でしたが、
日本人の好みには合わないのでしょう。
今でもヒュークスはマイナーではないでしょうか。

先週の日曜日にNHKの日曜美術館で紹介されたようですが、
残念ながら見過ごしました。
5日の夜再放送があるようです。

やっと個展の運びとなったので、
この幸運を逃すまいと足を運びました。
会場に入ると、
黒人の姉妹が迎えてくれました。
姉の10歳には届かないかもしれないその目の静寂。
対照的に無邪気な妹の姿。
それを絵にする画家の彼女たちに対する想い。
それがこちらに情感を持って差し出され、
受け取らないでいられない気持ちになります。

ヒュークスの品性と深みのある作品群に夫は神業と溜息を漏らします。

わたしはヒュークスの肖像画が好きです。
宮本武蔵の「百舌鳥」を見ているような鋭さを感じます。
どの肖像画も目を見るとその人が寸分違わず浮かび上がります。
或いは、書道で言う「真・行・草」を一枚の絵と成し得たすごさを感じます。
顔の部分はもちろん「真」です。
身体や衣服は「行」で、
手や髪の毛は「草」。
(こんな見方はわたしの本当に勝手です)
肖像画は、
見て直ぐその人とわかることですが、
ヒュークスの肖像画はその人の人柄が表れていることに加えて、
画家がその人をどのように考えていたか、
彼の想いが胸を突きます。
ケネディしかり。
キャサリン・ヘップバーンしかり。

ヒュークスの描いた絵本の原画を見て、
その大きさにも驚き、
質の高さに一層豊かな気持ちになりました。

野外の木々を抜ける光を抜きで表現しているその技は、
久保田一竹さんの作品である振り袖の数々に匹敵する香りがあると、
わたしは思うのですが。

趣味のお話でした。
posted by 天の鳥船庵 at 16:36 | あれこれ

2014年09月29日

夢療法家養成講座第6期修了

先週の土曜日の9月27日
夢療法家養成講座第6期 in 天の鳥船庵の修了式を行いました。
その写真です。

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5人の受講生はすっきり晴れやかな笑顔に見えますが、
たいへん密度の濃い最終講座を終えてくたくたのはずです。

午前中は講義に続いて最終試験を受け、
更にそれぞれの夢のメッセージを、
問題提起とその解決法を知る観点からワークに取り組みました。
原因の中には解決法が潜んでいますが、
自分自身をクライアントさんに添いながら、
それを半年のスパンで自分自身の夢の中に見ていくのは、
有無も言わせない迫力があります。

午後は
胸を貸していただいたクライアントさんたちをお茶会にお招きし、
4ヶ月を通して夢から見えたクライアントさんの姿を講師からお伝えする、
クライアントさんとの個人面談を行いました。

振り返れば、
石川千佳子講師の揺るぎ無い指摘とアドバイスは、
どんなにわたしたちを鼓舞し続けてくれたでしょう。

毎回この夢療法家養成講座の修了式を終えると、
この仕事に従事できていることに無上の幸せを感じます。
あとどのくらい続けられるかとふと思うこともあり、
いまこの時、喜びでふるえる思いでキーを打っています。

この撮影を済ませ一品持ち寄りの食事会を行い、
お開きは10時近くとなりました。


ケース研究のためのクライアントを引き受けて下さったみなさま、
本当にありがとうございました。
みなさんの勇気が土台となって、
これからも多くの方々が夢の恩恵を受けられることになります。
posted by 天の鳥船庵 at 10:17 | グループセッション

2014年09月24日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く8

ところがつむに触るやいなや、
姫はつむで指を刺してしまいました。
そしてすぐに深い眠りに落ちました。


この箇所がこの物語で一番大切なところでしょうか。
ここではこの「いばら姫」の物語を題材に、
心の発達のどの辺を象徴的に物語っているかを解説しています。
特に心の中の女性性を取り上げてお話しています。
もちろん今女性として生きている方々への提言も含めて、
童話を紐解いています。

そこでここはまず第一段階、
親から自分を放して自律(自立)を勝ち取るところです。

この箇所が重要なのは、
「運勢が動く」のは、
或いは「人生の課題が明らかになる」といえば良いのか、
正確な言葉を決めかねているのですが、
本人の意志に基づく選択と行動があって、
はじめて親と関係ない自分の人生が動き出すと伝えていると思えます。

娘は異次元と離れることのなかった母親の願いでこの世に生を受け、
産まれてからはこの世の規範を重んじる父親の側面で育てられたということは、
言ってみればトラウマをしっかり身に付けて育ったということです。

しかし、トラウマだけで生きていては人生ははじまりません。
それを意に介さず自分の心の赴くままに、
塔へと通じる階段を昇ります。
姫は「塔」を知りたいのです。
塔が「どうなっているのか知りたく」て、
階段を昇ります。
ここのところは、
自分の人生を上り詰めたいと願っている心の表れとも考えられます。
人生とは何なの?
人生の高みとは何なのでしょう。

つむを手に取ったら深い眠りに落ちると、
12番目の妖精と13番目の妖精が言った通りになります。
つまり姫が産まれる前に決められた運命がここではじまる訳です。

これは親が布置したトラウマより、
異次元が決めた運勢の方が、
人生を決めると受け取って良いように思います。
このことがこの「いばら姫」の物語の重要なところではないでしょうか。

たくさんの方の夢に接してきて、
やはりこのことを強く感じます。
トラウマは自分の弱点や執着や人生の課題の特徴を教えてくれますが、
このトラウマ自身は魂の計画の表側を見せる役割なのではないかと思うのです。

親はいっとき、
子どものトラウマの原因をつくった自分を、
受け入れ難い心境になるようですが、
この場面をよくよく読むと、
わたしは姫のこの無邪気さを微笑ましく思います。
例えこの先眠りこけてしまうとしても、
姫はどうなっているのか知りたく」ているのです。
自分の人生がどうなっているのか、
外に向かう娘の好奇心をほめてやりたいと思います。
人生を好奇心を持って生きていける、
そんな娘に育てられた親の自分をほめてもよいのではと思うのです。

好奇心のままの行動は、
親の与り知らぬところでなされなければなりません。
しかし、外に向けて疑うことなくおばあさんを気に入る素直さが必要です。
トラウマに手を貸しても、
人生をあきらめない子どもを育てるそれが親の責務かもしれません。
この物語のすばらしいところと思います。

つむは糸にする原料を糸に撚るものです。
撚った糸を織物に織ります。
織物は人生。
つまり糸は宿命や意図に通じます。
糸を娘が操ることは、
人生を興味のままに押し進めようとすることです。
そのつむで指を怪我します。

王さまは娘をこの世の価値観で育てたと前にお話しました。
15歳になった娘は無邪気な好奇心で自分を生きようとしましたが、
娘に意図があるはずもありません。
糸は扱えないのです。
この物語ではつむを扱い損ねて怪我をし、
死ぬのではなく眠りこけてしまいます。

13番目の妖精は、
娘が15歳になったら
糸巻のつむが刺さって死んでしまう
」と言いましたが、
12番目の妖精が、
でもそれは死ではなくて、
ただ百年の深い眠りに落ちることにしましょう
」と言います。
13番目の妖精がお祝いに差し出す徳をないがしろにするなら、
この人生を終わりにさせると言い放ったことになります。

しかし、12番目の妖精は死ではなく眠りに落とすというのです。
「死」ではなく「眠り」とは何を言うのでしょう。
この世で眠ったままで生きるとは、 
どういうことでしょう。

それは、この世の価値観のみで生きるということのようです。
王さまとお妃さまはこの娘を欲しいと願った時、
その時はこの世の価値観だけで望んだのではありません。
特にお妃さまはザリガニの言葉の真実を見抜く力を持っていました。
彼女はこの世にいてあの世の知らせを受け取る能力があったのです。
これは女性性の特質です。

しかし娘は興味の赴くまま、
自分の可能性を探検する一歩を踏み出しました。
これが霊性を眠らせたままの日々になる訳です。

ーつづくー


posted by 天の鳥船庵 at 20:44 | 夢のメッセージの取り方