ところがつむに触るやいなや、
姫はつむで指を刺してしまいました。
そしてすぐに深い眠りに落ちました。この箇所がこの物語で一番大切なところでしょうか。
ここではこの「いばら姫」の物語を題材に、
心の発達のどの辺を象徴的に物語っているかを解説しています。
特に心の中の女性性を取り上げてお話しています。
もちろん今女性として生きている方々への提言も含めて、
童話を紐解いています。
そこでここはまず第一段階、
親から自分を放して自律(自立)を勝ち取るところです。
この箇所が重要なのは、
「運勢が動く」のは、
或いは「人生の課題が明らかになる」といえば良いのか、
正確な言葉を決めかねているのですが、
本人の意志に基づく選択と行動があって、
はじめて親と関係ない自分の人生が動き出すと伝えていると思えます。
娘は異次元と離れることのなかった母親の願いでこの世に生を受け、
産まれてからはこの世の規範を重んじる父親の側面で育てられたということは、
言ってみればトラウマをしっかり身に付けて育ったということです。
しかし、トラウマだけで生きていては人生ははじまりません。
それを意に介さず自分の心の赴くままに、
塔へと通じる階段を昇ります。
姫は「塔」を知りたいのです。
塔が「
どうなっているのか知りたく」て、
階段を昇ります。
ここのところは、
自分の人生を上り詰めたいと願っている心の表れとも考えられます。
人生とは何なの?
人生の高みとは何なのでしょう。
つむを手に取ったら深い眠りに落ちると、
12番目の妖精と13番目の妖精が言った通りになります。
つまり姫が産まれる前に決められた運命がここではじまる訳です。
これは親が布置したトラウマより、
異次元が決めた運勢の方が、
人生を決めると受け取って良いように思います。
このことがこの「いばら姫」の物語の重要なところではないでしょうか。
たくさんの方の夢に接してきて、
やはりこのことを強く感じます。
トラウマは自分の弱点や執着や人生の課題の特徴を教えてくれますが、
このトラウマ自身は魂の計画の表側を見せる役割なのではないかと思うのです。
親はいっとき、
子どものトラウマの原因をつくった自分を、
受け入れ難い心境になるようですが、
この場面をよくよく読むと、
わたしは姫のこの無邪気さを微笑ましく思います。
例えこの先眠りこけてしまうとしても、
「
姫はどうなっているのか知りたく」ているのです。
自分の人生がどうなっているのか、
外に向かう娘の好奇心をほめてやりたいと思います。
人生を好奇心を持って生きていける、
そんな娘に育てられた親の自分をほめてもよいのではと思うのです。
好奇心のままの行動は、
親の与り知らぬところでなされなければなりません。
しかし、外に向けて疑うことなくおばあさんを気に入る素直さが必要です。
トラウマに手を貸しても、
人生をあきらめない子どもを育てるそれが親の責務かもしれません。
この物語のすばらしいところと思います。
つむは糸にする原料を糸に撚るものです。
撚った糸を織物に織ります。
織物は人生。
つまり糸は宿命や意図に通じます。
糸を娘が操ることは、
人生を興味のままに押し進めようとすることです。
そのつむで指を怪我します。
王さまは娘をこの世の価値観で育てたと前にお話しました。
15歳になった娘は無邪気な好奇心で自分を生きようとしましたが、
娘に意図があるはずもありません。
糸は扱えないのです。
この物語ではつむを扱い損ねて怪我をし、
死ぬのではなく眠りこけてしまいます。
13番目の妖精は、
「
娘が15歳になったら
糸巻のつむが刺さって死んでしまう」と言いましたが、
12番目の妖精が、
「
でもそれは死ではなくて、
ただ百年の深い眠りに落ちることにしましょう」と言います。
13番目の妖精がお祝いに差し出す徳をないがしろにするなら、
この人生を終わりにさせると言い放ったことになります。
しかし、12番目の妖精は死ではなく眠りに落とすというのです。
「死」ではなく「眠り」とは何を言うのでしょう。
この世で眠ったままで生きるとは、
どういうことでしょう。
それは、この世の価値観のみで生きるということのようです。
王さまとお妃さまはこの娘を欲しいと願った時、
その時はこの世の価値観だけで望んだのではありません。
特にお妃さまはザリガニの言葉の真実を見抜く力を持っていました。
彼女はこの世にいてあの世の知らせを受け取る能力があったのです。
これは女性性の特質です。
しかし娘は興味の赴くまま、
自分の可能性を探検する一歩を踏み出しました。
これが霊性を眠らせたままの日々になる訳です。
ーつづくー
posted by 天の鳥船庵 at 20:44
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