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2014年09月29日

夢療法家養成講座第6期修了

先週の土曜日の9月27日
夢療法家養成講座第6期 in 天の鳥船庵の修了式を行いました。
その写真です。

DSCN5963.JPG

DSCN5968.JPG

5人の受講生はすっきり晴れやかな笑顔に見えますが、
たいへん密度の濃い最終講座を終えてくたくたのはずです。

午前中は講義に続いて最終試験を受け、
更にそれぞれの夢のメッセージを、
問題提起とその解決法を知る観点からワークに取り組みました。
原因の中には解決法が潜んでいますが、
自分自身をクライアントさんに添いながら、
それを半年のスパンで自分自身の夢の中に見ていくのは、
有無も言わせない迫力があります。

午後は
胸を貸していただいたクライアントさんたちをお茶会にお招きし、
4ヶ月を通して夢から見えたクライアントさんの姿を講師からお伝えする、
クライアントさんとの個人面談を行いました。

振り返れば、
石川千佳子講師の揺るぎ無い指摘とアドバイスは、
どんなにわたしたちを鼓舞し続けてくれたでしょう。

毎回この夢療法家養成講座の修了式を終えると、
この仕事に従事できていることに無上の幸せを感じます。
あとどのくらい続けられるかとふと思うこともあり、
いまこの時、喜びでふるえる思いでキーを打っています。

この撮影を済ませ一品持ち寄りの食事会を行い、
お開きは10時近くとなりました。


ケース研究のためのクライアントを引き受けて下さったみなさま、
本当にありがとうございました。
みなさんの勇気が土台となって、
これからも多くの方々が夢の恩恵を受けられることになります。
posted by バンナイ at 10:17 | グループセッション

2014年09月24日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く8

ところがつむに触るやいなや、
姫はつむで指を刺してしまいました。
そしてすぐに深い眠りに落ちました。


この箇所がこの物語で一番大切なところでしょうか。
ここではこの「いばら姫」の物語を題材に、
心の発達のどの辺を象徴的に物語っているかを解説しています。
特に心の中の女性性を取り上げてお話しています。
もちろん今女性として生きている方々への提言も含めて、
童話を紐解いています。

そこでここはまず第一段階、
親から自分を放して自律(自立)を勝ち取るところです。

この箇所が重要なのは、
「運勢が動く」のは、
或いは「人生の課題が明らかになる」といえば良いのか、
正確な言葉を決めかねているのですが、
本人の意志に基づく選択と行動があって、
はじめて親と関係ない自分の人生が動き出すと伝えていると思えます。

娘は異次元と離れることのなかった母親の願いでこの世に生を受け、
産まれてからはこの世の規範を重んじる父親の側面で育てられたということは、
言ってみればトラウマをしっかり身に付けて育ったということです。

しかし、トラウマだけで生きていては人生ははじまりません。
それを意に介さず自分の心の赴くままに、
塔へと通じる階段を昇ります。
姫は「塔」を知りたいのです。
塔が「どうなっているのか知りたく」て、
階段を昇ります。
ここのところは、
自分の人生を上り詰めたいと願っている心の表れとも考えられます。
人生とは何なの?
人生の高みとは何なのでしょう。

つむを手に取ったら深い眠りに落ちると、
12番目の妖精と13番目の妖精が言った通りになります。
つまり姫が産まれる前に決められた運命がここではじまる訳です。

これは親が布置したトラウマより、
異次元が決めた運勢の方が、
人生を決めると受け取って良いように思います。
このことがこの「いばら姫」の物語の重要なところではないでしょうか。

たくさんの方の夢に接してきて、
やはりこのことを強く感じます。
トラウマは自分の弱点や執着や人生の課題の特徴を教えてくれますが、
このトラウマ自身は魂の計画の表側を見せる役割なのではないかと思うのです。

親はいっとき、
子どものトラウマの原因をつくった自分を、
受け入れ難い心境になるようですが、
この場面をよくよく読むと、
わたしは姫のこの無邪気さを微笑ましく思います。
例えこの先眠りこけてしまうとしても、
姫はどうなっているのか知りたく」ているのです。
自分の人生がどうなっているのか、
外に向かう娘の好奇心をほめてやりたいと思います。
人生を好奇心を持って生きていける、
そんな娘に育てられた親の自分をほめてもよいのではと思うのです。

好奇心のままの行動は、
親の与り知らぬところでなされなければなりません。
しかし、外に向けて疑うことなくおばあさんを気に入る素直さが必要です。
トラウマに手を貸しても、
人生をあきらめない子どもを育てるそれが親の責務かもしれません。
この物語のすばらしいところと思います。

つむは糸にする原料を糸に撚るものです。
撚った糸を織物に織ります。
織物は人生。
つまり糸は宿命や意図に通じます。
糸を娘が操ることは、
人生を興味のままに押し進めようとすることです。
そのつむで指を怪我します。

王さまは娘をこの世の価値観で育てたと前にお話しました。
15歳になった娘は無邪気な好奇心で自分を生きようとしましたが、
娘に意図があるはずもありません。
糸は扱えないのです。
この物語ではつむを扱い損ねて怪我をし、
死ぬのではなく眠りこけてしまいます。

13番目の妖精は、
娘が15歳になったら
糸巻のつむが刺さって死んでしまう
」と言いましたが、
12番目の妖精が、
でもそれは死ではなくて、
ただ百年の深い眠りに落ちることにしましょう
」と言います。
13番目の妖精がお祝いに差し出す徳をないがしろにするなら、
この人生を終わりにさせると言い放ったことになります。

しかし、12番目の妖精は死ではなく眠りに落とすというのです。
「死」ではなく「眠り」とは何を言うのでしょう。
この世で眠ったままで生きるとは、 
どういうことでしょう。

それは、この世の価値観のみで生きるということのようです。
王さまとお妃さまはこの娘を欲しいと願った時、
その時はこの世の価値観だけで望んだのではありません。
特にお妃さまはザリガニの言葉の真実を見抜く力を持っていました。
彼女はこの世にいてあの世の知らせを受け取る能力があったのです。
これは女性性の特質です。

しかし娘は興味の赴くまま、
自分の可能性を探検する一歩を踏み出しました。
これが霊性を眠らせたままの日々になる訳です。

ーつづくー


posted by バンナイ at 20:44 | 夢のメッセージの取り方

2014年09月16日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く7

心の中の王さまの側面に育てられた娘も、
15歳になると自我が芽生え、
魂本来の自分を生きることに目覚めます。
しかしそれは荒削りな洗練されていない我が先導します。

王さまは心の側面を言っています。
では娘は?
娘は女の子と女性の間、未発達な女性的側面です。
つまり、ひとりの人間が自分を生きたいと内なる声を聞きはじめた頃、
その声に従って行動を起こせる側面を指します。
行動を起こすには、自分を生きたいという衝動を、
外側に求めるエネルギーを指します。

前回までで未発達ながら自分を生きたいと行動を起こす娘の側面が、
いよいよ行動を起こしたとなる訳です。

扉には黄色い鍵がささっていたので、
それを回すと、
戸がぱっと開いて、姫は小さな部屋にいました。
その部屋にはひとりのおばあさんがすわって、
麻糸を紡いでいました。
姫はこのおばあさんが気に入って、
おばあさんと冗談を言ったりしました。
そして、自分も一度糸を紡いでみたいと言って、
おばあさんの手からつむを取りました。


自分を生きたいと考え行動する自我の扉には、
黄色い鍵がさっさっています。
15歳の娘が持っている鍵は黄色の要素、
つまり無邪気に知りたい、見たい、経験したいが勝ります。

黄色の持つエネルギーは人生を進ませるには絶対に必要な要素です。
理論や常識や安定性や身を守る安全策は黄色にありません。
理念の代わりに冒険心にあふれたエネルギーがあります。
この黄色は人間界の道理や限界を超えて行けるエネルギー、
人生に対する信頼を色濃くあらわします。
冒険を自分に許すとき、
すべてを許容できる心がそこにあります。
それがなければそもそも冒険を自分に許可できません。

しかし、娘は冒険心のままに行動したら、
あっという間に知らない世界に出て、
そこには年老いた女性がいます。
老いた女性とはこの世の経験が長いということです。
おばあさんには月のものがありません。
閉経を迎えると女性は産む機能を卒業する代わりに、
他の産み出しに関わる責任を負います。

このおばあさんは麻糸を紡いでいます。
織物の麻糸を紡いでいるおばあさん。
織物は人生そのものを表します。
この『いばら姫』はドイツの伝承童話なので、
ヨーロッパの文化が背景にあります。
人生は一枚のタペストリー。
人生を織る要素の糸を作り出しています。
つまりおばあさんは娘に人生を造る要素を教えている訳です。
人生の要素を身を以て教える存在。
人生の何たるかを示す存在です。

娘が15歳になったら
糸巻のつむが刺さって死んでしまうと言っておこう
」と、
13番目の妖精が言ったのは、
この娘の誕生祝いの席ででした。
これは13番目の妖精のお祝いです。
他の妖精の贈りものは美徳や美しさというのですから、
妖精たちがお祝いとして差し出したのは、
娘の運や存在の概念とでも言いましょうか。
ものをこの世に産み出すための心的要素を妖精は贈りものとしました。

13番目の妖精とこのおばあさんは、
同じような存在で、
妖精は人間界に属さず、
年老いた女がその仲介者となれるというのではないでしょうが、
老いたおばあさんは妖精の存在意義と人間の両方を持った者といえます。
妖精の存在意義とは簡単にいうと、
次元を超えた精神とでも言いましょうか。

閉経を迎えた女性は肉体を通した創造ではなく、
ものではない運や概念を生きる心の創造を司ります。
妖精と手を繋げる存在です。
そもそも女性の特質は、
次元を超えたものへの感応が備わっていることです。
(この女性の特質を近年はないがしろにしてきたのではないでしょうか)

娘はおばあさんに相通じるものを感じ、
居心地良く過ごし、
おばあさんがやっていることをやってみたいと思います。

ーつづくー


posted by バンナイ at 09:22 | 夢のメッセージの取り方

2014年09月10日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く6

「次回はこのプロセスの抽象的な意味で子育てについてお話しましょう」と、
前回締めくくりました。

そこで今日になって、はて子育ての何をお話しようとしたのか、
しばし考えてしまいました。
わたしは子供を育てたことがありません。
子育てをしたことのないわたしが子育ての何についてお話しようとしたのか、
その本当の思いを自分のうちに探らなくてはならない文章で、
前回は終わりにしたのでした。

多くの人と触れて思うことは、
思考回路が決まっているのだなと思うことが度々あります。
考えに遊びや意外性があまりないと思うことがあります。
「アミ小さな宇宙人」の主人公の言葉に宇宙人アミが返した言葉があります。
うろ覚えなのですが、
主人公ペドゥリートが自分のおじさんは大学教授だと自慢し、
彼は頭が良いと言ったのに対し、返した言葉です。
「それは、彼が頭の中のコンピューターの使い方が上手ということだ」と。
正確な言葉ではありませんが、大意はこのようだったと思います。

現行の教育を受けて育ったわたしたちは、
このいばら姫の王さまに育てられた娘と同じなのかもしれません。
ことの善悪や物事の成り立ちについては正確な思考回路を持っています。
しかし、自分の感情と感覚を掬い上げることが苦手だなと思うことが多いです。
これが「王さまの子育て」の結果ではないかと思うのです。

わたしが子育てについてお話ししたいことはこういうことです。

それでも子供は成長し、自分を生きようと魂の声を聞きはじめます。

姫が15歳になったばかりのある日のこと、
王と妃は出かけていました。
そしてお城には姫ひとりきりでした。
そこで、
姫は気の向くままにいろいろなところを歩き回っていましたが、
しまいにある古い塔へやってきました。
狭い階段が塔へ通じていました。
姫はどうなっているのか知りたくなって、
階段を昇っていくと、
小さな扉へ出ました。

「15」という数字に込められたメッセージを考えてみましょう。
「1」はチャクラでいうと第一チャクラ、
根のチャクラでムーラーダーラ・チャクラと言います。
簡単にいうと「わたしはわたしを生きる」というエネルギーです。
そこで「1」は「自分を生きる」という象徴になります。

「5」は第五のチャクラ、ヴィシュッダ・チャクラと呼ばれ、
喉の甲状腺を表します。
甲状腺は意志を司ります。
人が目標や目的を持った時に大きなエネルギーを生みだします。
「5」のメッセージは目標に向かって行動を起こすこととなります。

つまり「15」は、
自分の意志で生きたいので、
それを実行するというエネルギーです。
15歳になった娘は最早王さまの傘下にいません。

自分を生きたい、本来を生きたいと気づいた娘の心の中には親はいません。
だから「王と妃は出かけて」いる訳です。

喉の甲状腺という階段を通り抜けると、
つぎのチャクラに行くことになります。
「15」を「1+5」と考えてみましょう。
「6」になります。
第六チャクラは第三の目。
ものを見通せるところにこの姫さまは行き着けるのでしょうか。

この世間知らずのお姫様は、
あれこれ興味の向くままに動き回ります。
」は高次のチャクラ第六チャクラと第七チャクラのいますところ。
その扉の前に辿り着いたという訳です。

ーつづくー


posted by バンナイ at 16:52 | 夢のメッセージの取り方

2014年08月31日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く5

童話には夢と同じ力があります。
童話や神話やおとぎ話は、
この世にあり得ないほどドラマチックで、
ハラハラドキドキさせられ魅了されます。
読んだ後は、
あぁ唯の作り話で良かったと思うものです。
でも、実は夢もドラマチックで、
あぁ夢で良かった!
と思うことは多々あります。
夢を見なかったことにしたい。
見なかったことにすれば、
大事な夢は忘れます。
それでも覚えている夢はあるもので、
そんな繰り返しの夢とおとぎ話の類いは似ています。
メッセージ性が高いのです。
人類の遺産であるグリム童話も、
魂に強く訴えかける内容と意味があるので、
こうして繰り返し話題にのぼります。

みなさんの夢も実は良く見ると残酷です。
そんな残酷な夢を見ることで、
自分の心の中の残酷さと折り合いを付けています。
それがとっても大切です。
これが夢の治癒力です。
夢の残酷さをそのまま味わえると、
この現実世界で暴挙に出ません。

もし夢や神話や童話に残酷さがなかったら、
気に入らないものをすぐに殺すでしょう。
そこには愛の入る余地はありません。
夢を通し、童話の残酷さを心の中で体験することで、
人の中に住む魂の捉える愛を感じ考えることが出来ます。
そこで今回は「いばら姫」を例題として夢解きをしています。

王は、なんとしてもいとしい子を助けたいと思って、
王国じゅうの糸巻きのつむをなくすように、
とおふれを出しました。
そして姫は大きくなり、
それは美しくなりました。

13番目の妖精の言葉を真摯に受け止めた王さまは、
真摯が故に、
今度は妖精を超えて自我を通そうと決意したのでしょう。
助けたい」思いは、
あんなに長いこと願ってやっと手に入った娘を、
自分の手中に置きたいという思いとひとつです。
この世の価値観で娘を育て、
人生を全うさせようとしたのです。
この世の価値観とは王さまの自我の心が願うそのことです。

ここで、王さまの娘とは自分の何処をいうのかを考えてみましょう。
王さまとは、
自分の人生を自分の意志で生きると決めた、
地に足の着いた人間の象徴を表します。
その娘ですから、
誇り高く自分を押し通す自我の強いところです。
それと同時に女の子の特質は、
何にでも興味を覚える生きていく上で生活を楽しむ質です。
わたしたちは生きる上で、
あらゆることに興味を持つことで、
人生を楽しみます。
人は人生を全うするのに、
このあらゆることに興味と面白みを持つことが必要だと、
このお姫様が教えてくれています。

自分を生きたいなら、
この世のことに興味を持つこと。
それが王さまと娘の登場です。

この娘を王さまは自分の考えで育てます。
それが「糸巻きのつむをなくす」ことです。

これを現実社会で考えてみましょう。
わたしには多くの人々がこの王さまを「子供の教育」でしているように思います。
もちろんそれが見えてこそ童話の価値があるのですが。

結婚すると夫婦は子供が授かるように望みます。
(ここでは抽象ではなく具体的に血を繋ぐ子供の意味でお話ししています。)
望んで直ぐに子供が授かろうがなかろうが、
女性に取って妊娠は大問題。
待つ時間の長短に関わらず、
このことが心から離れません。
だから工夫をします。
このプロセスで『いばら姫』では王妃が話の中心です。
しかし生まれてしまうと王さまがその采配を振るいます。
そのとは「子供の教育」権のことです。

つまり、妊娠までのプロセスは女性的特質がこの処理に当たります。
そして生まれた後は男性原理が前面に出てきます。

親はそれまでの人生で成功したこと失敗したことを足がかりに、
理性を総動員して子育てに当たります。
その結果が価値ある人生を子供に送ってもらいたいという願いのもと、
自分の価値観の中で最高と思われる方向へと子供が向かうように、
最大限の努力をする訳です。
それが、
「王国じゅうの糸巻きのつむをなくすように、
とおふれを出しました。」
となる訳です。

親は自分の持てる最大限を子育てに注ぎ込みます。
人間が考える最高をです。

という訳で、
ここには13番目の妖精の招待はないことになります。

そしてうれしいことに王さまの考えは成功して、
娘はすくすくと育ちます。
つまり子育てが親の意向通りに上手くいったと、
この話は続きます。

痛し痒しの話でしょうか。
受験に走るその時代がそろそろ終わろうとしているいまこのとき、
『いばら姫』を通して、
こうしたことに一石を投じるのも意味あることなのでしょう。

次回はこのプロセスの抽象的な意味で子育てについてお話しましょう。

ーつづくー


posted by バンナイ at 11:55 | 夢のメッセージの取り方

2014年08月15日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く4

ところがちょうど11番目の妖精が自分の贈り物を言ったところへ、
13番目の妖精が入ってきました。
自分が招かれなかったことにとても腹を立てて、言いました、
「おまえたちが私を招かなかったから、
おまえたちの娘が15歳になったら
糸巻のつむが刺さって死んでしまうと言っておこう」。
両親は驚きました。
しかし12番目の妖精はまだ祝福を言っていなかったので、
こう言いました、
「でもそれは死ではなくて、
ただ百年の深い眠りに落ちることにしましょう」。


腹を立てた招待もれの妖精は、
会場にねじ込んで王さまの愚かさをなじります。
腹を立てていうのですが、
この怒りは義憤のいきどおりでしょう。
この妖精の言葉の内容が、
「13」の意味の反対を明確に伝えています。

妖精は、
王さまの人間が考える、
この世の常識どっぷりに娘を育てるようにしようというのです。
その結果が「12」の意味を体現したプリンセスです。

これをこの世の現実の親子に当てはめて考えると、
とても納得します。
普通に考えると、
どの夫婦も互いへの愛を頼りに結婚します。
自分たちは愛で成り立っている夫婦だという自負は、
生まれてくる子どもにたっぷりの愛情を注ぎます。
端から見てそれが愛情の表れかどうかは別にして、
彼らにすれば出来る限りの方法で子どもを愛します。
これに間違いはありません。

しかし多くの夫婦は、
自分の子どもを他人のそれと比べはじめます。
この比較するという行為は際限がありません。
この比較の基準がこの世にあるのをいつの間にか忘れます。
比較はいつも優れているかどうかになり、
それが自分たちの幸せに反映すると、幻想を抱きます。
生まれた赤ちゃんは、五体満足かどうかにはじまり、
身体能力から知的能力の比較がはじまり、
あらゆる規格で比較がはじまります。
その際限のない比較が落ち着きを取り戻すのが、
だいたい15歳位でしょうか。

この世で勝ち得た評価に合わせて、
この世の基準で人生がはじまる訳です。
それが、
糸巻のつむが刺さって死んでしまう
という比喩になります。

説明が必要ですね。
糸巻きの紡錘(つむ)は織物を作るための糸を紡ぎだす錘りです。
人生そのものはタペストリーに画く絵になります。
その為に使う糸です。
その糸を造るのです。
その糸を造り、織る作業に我を忘れて没頭するという意味になります。
我を忘れて没頭すること、
それが紡錘に刺さって死ぬとこのおとぎ話はいいます。

この世の価値観でこの世を生きるということは、
あの世も含める魂からしたら、
死んでいることになります。

この世の価値観でどっぷりと育った娘は、
王様の意向を受けて、
自分で行動できる年齢になりました。
それが15という数のいうところです。
「1」は自分。
「5」は行動。

死ぬのではなく、
眠りに置き換えた妖精の存在。
天の意向そのままです。
ここでいうのは魂は死なないという意味ではなく、
目覚める気さえあれば、
いつだって真実を見ぬく目は備わっているという意味で使われています。

12番目の妖精がいう言葉そのもの。
「12」は一年を表し四季の巡りを表します。
それを拡大していくと、輪廻の輪を象徴している数と思えます。

この世の栄耀栄華に没頭してしまえば、
そこから抜けるのは至難の業。
周りを見回せば、
その価値観で押しつぶされそうになっているひとたちでいっぱいです。
眠りについたひとびとで埋め尽くされたこの地球。

いえ、いま日本はそこから抜けようと気付きはじめています。

この事実を王さまは前もって13番目に妖精に知らされる訳です。
このことは、
誰も人はこの世の価値観で生きても、
結果は生きる目的とは違うだろうと予想が立っていることになります。

そこに一縷の望みがあります。

ーつづくー


posted by バンナイ at 11:58 | 夢のメッセージの取り方

2014年08月06日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く3

この『いばら姫』を夢と同じ象徴として受け取る作業は、
ベルトコンベアー式の、
おもしろ味のないものかなと思っていたのですが、
それなりの楽しみも感じるようになりました。
これを読まれる方々も、
夢解きのおもしろさをこの記事でお感じいただけるとうれしいです。
では、本題に。

王は姫の誕生をとても喜んで、
盛大なお祝いを催させ、
そこにその国にいた妖精たちも招待しました。
けれども王は金の皿を12枚しか持っていなかったので、
ひとり招待できませんでした。
というのは妖精たちは13人いたのです。
妖精たちがお祝いにやってきました。
そしてお祝いの終わりに、
子どもに贈り物をしました。
ひとりは美徳を、
ふたりめは美しさを、
そして残りの者たちもみんな、
望みうるかぎりのこの世の素晴らしいものをすべて贈りました。

誕生祝いとは何でしょう。
子どもの誕生パーティーとは、
自分の人生の課題(=赤ん坊)を知って、
それ受け入れ、
その課題を心の隅々(=たくさんの人たち)にまで宣言をして、
全身(=全国民)で受け止めること、とでも言いましょうか。

受講生を見ていると、
夢から知らされたメッセージに対し、
覚悟がなかなかできません。
全身で受け止めず、
部分的に受け止め、
行動してもジェスチャーで終らせます。

ここはとても大切なプロセスです。
夢のメッセージを知って、
では自分はそれに対し、
どう決めたかを意識に昇らせる必要があります。
自由意志を働かせるところなのです。
意志をはたらかせているという意識を、
ここに至って飛ばします。
だからいつも決意は中途半端になります。

人生の方向性や、
思い通りの人生に造り上げるには、
取り組むと決めたら、
それが実現するまでやり続けると決め、
それに取り組みます。
取り組むとは行動することで、
ひとつ行動を起こすと、
考え深くなる自分を作ります。
行動せず考えるだけだと、
考えは深まりません。
自分の立てた目的や願望が、
そもそも自分の魂の願いであったかどうかを、
再確認する必要があるまで、
やると決めた行動をとり続ける必要があります。
待つのではなく、
行動すると、
神の恩寵は更に考え深くなる姿勢をプレゼントしてくれます。
無為に過ごすのではなく、
意識的に人生を作り始めると、
心の中はそれまでより静かになります。

話を戻すと。
祝賀会とは、
人生の目的とは何か。
何故わたしは生まれたのだろうか。
何のために生まれたのだろうか。
そう考えて、出た答えをしっかり心に刻むことのようです。

そこに王さまは妖精を招待しました。
「妖精も」とありますから、
主立った国民は招待されたでしょう。
或いは全国民が招待されたかもしれません。
そこへ何故妖精は招待されたのでしょう。
自分の知ることので来た生まれた目的を、
次元を超えた存在にも知らしめたくて招待したと考えました。

この世とあの世の両方を行き来できる存在である妖精に、
自分の生きる意義と思ったものをお披露目したかったのです。
そしてそれに全身全霊で取り組むから、
そんな自分を認めて欲しい。
サポートして欲しい。
知っていて欲しい。
王さまはそう考えたでしょう。

或いはこうも言えないでしょうか。
わたしたちは意識するしないに関わらず多次元的な存在です。
肉体はこの世にありながら、
心はこの世の範疇を超えています。
その心の多次元的なはたらきを大切にしたいと願って、
妖精を招待したのでしょう。

しかし、王さまには12枚の金の皿しか持ち合わせがなかったのです。
妖精の方から考えれば、
12枚では足りず、
13枚あってしかるべきでした。
王さまはこの世の基準から抜けられず、
この大事を処理しようとしたようです。
あの世の基準は13枚という結論を出すところにあるようです。

お皿は食べ物を載せるもの。
食べ物は心の栄養になる問題を表します。
それを提示するのが皿です。
つまり「わたしはこの問題に取り組みます」と、
自分にも分かるように示すのが皿です。
そしてこの場は祝賀会ですから、
同じものを全員にご馳走し、
決意のほどを知らしめます。
妖精に差し出された皿は金で出来ていました。
この世の最高の金属で出来たものの上に料理を載せるのですから、
決意に嘘は混じっていない、
心からの決意ですと王さまは示したかったのでしょう。

では、「12」という数が示すものを考えてみましょう。
身近には12ヶ月。
1年の月の数です。

王さまは12枚の金の皿しか持ち合わせのなかったそうですから、
12個1組のものを拾いだしてみました。
12支
12星座
12宮
オリュンポス12神
そしてイエス・キリストには12人の直属の弟子がいました。

では、「13」という数が示すものを考えてみましょう。
西洋では「13」を忌み数(いみかず)として、
縁起が悪いとされています。
最後の晩餐に食卓に着いた人数を言うようですが、
これはイエスに12使徒が加わったその数を表します。
このイエスという霊性の極みを体験したとされる存在が、
使徒に加わることで13人になった、
その意味と妖精の13人は重なるように思いませんか。
忌み数はそこで聖なる数となり、
通常では扱え切れない重みのある数になります。

さて日本を見ると、
十二神社はありませんが、
十三神社というのはあります。

『いばら姫』の物語は、
12ではならない、
13である必要があると伝えています。
12と考えてはならない。
13と考えなさい。
何を。
その謎を解く鍵のひとつが妖精です。
この世の王である娘の父は、
娘の誕生をこの世とあの世の両方で宣言したかったのです。
それで妖精を招待したのですが、
あの世のことを失念し、
この世の価値観で娘を育てることしか頭になかったのでしょう。
それが、金の皿が12枚ということではないでしょうか。

あの世とこの世を行き来できる存在は、
その浅はかさを突きます。
断じて看過しません。

しかしその前に妖精たちは、
生まれたばかりの娘に、
「望みうるかぎりのこの世の素晴らしいものをすべて贈」ったとあります。
娘は、望みうる限りを与えられています。
娘はこれから成長していく、
人生の課題だとお話しました。
その課題は、望みうる限りの条件下に置かれたと、このおとぎ話は言います。

つまり、わたしたちは自我のところで人生は苦しいと嘆きますが、
真実から見れば、魂を磨くのに好条件の場面に出会っていると言われています。

ーつづくー


posted by バンナイ at 15:19 | 夢のメッセージの取り方
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