画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

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2014年12月03日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く10

「グリム童話『いばら姫』を夢と解く9」('14/10/17) の続きです。
長く間を空けてしまい、
続きを楽しみにして下さっている方々には申し訳ありません。

天の鳥船庵は、
お陰さまでご加護をいただき平安に静かに過ごしています。

昨日今日は強い風が吹き、
空は晴れ渡りいわゆる日本晴れ。
富士山は稜線をきれいに裾まで広げ、
白雪の冠は誰に取っても丁度ではないでしょうか。

夢の情景や風景構成法で晴天をクレヨンで描くとき、
青空だけでは物足りないと、
白い雲を描き足したくなるときがあります。
そこで綿雲を描きたして、
気分が安定するのを覚えます。

あるときテレビで気象予報士がそれを「へそ天」というのだと話していました。
雲ひとつない晴天は、
今日のように強い風がセットになっているのだそうです。
穏やかな晴天には雲がひとつ。
そのひとつの雲をへそというのでしょう。

自分が密かに感じていたことと、
気象予報士の解説が重なって、
気分てすごく科学的なんだと感心した思い出があります。

自分の目標や取り組む課題がわかったら穏やかでいられます。
たとえそれが難問だとしてもです。
景色全体はよく見えていますし、
高々一片の白雲ぐらいと思えば良いことですし。

それが晴天の白い雲なのだと合点したのでした。

ところで先日、
青空をバックに葉の落ちた灌木の上を白雪が舞う夢を見ました。
この夢のなかにいながら、
過去の情景と今の状態と未来の約束を、
心に浮かべながら、
夢からゆっくりとこの世に戻ったことでした。


この時代を生きるわたしたちへの指針を『いばら姫』に見ています。
では、続きをはじめす。

10
美しいいばら姫のことを聞いて、
王子たちがやってきて、
王女を助け出そうとしましたが、
このやぶを通り抜けることはできませんでした。
いばらがまるで手のようにお互いにかたくからみ合っていて、
王子たちはいばらに引っ掛かって動けなくなり、
みじめに死んでいきました。
このようにして長い長い年月がすぎました。


この世の価値観どっぷりの姫を助けるには、
異性の若者でなくてはなりません。
王さまは男性ですが、
一国一城の主です。
この王さまは国民を統べる(この世で生きる)ことに邁進してきました。
そんな日々を長く生きているうちに、
彼の統治すべき国と統治に費やした時間が、
現実世界に過度に適応させ、
男性性の大元(王さまで象徴するひとりの人間の中心を成すところ)の
霊性を忘れさせる方向に誘ったのでしょう。
その表れが理想通りに育った姫の存在です。
姫の美しさはこの世の基準が定めるものに依っています。
王さまも姫もすべてがこの基準で生きるという姿勢が、
ここの意味です。

まわりを見回すとこうした価値観で動いている人が目に入ります。
この物語は、それでは魂は眠っているのと同じと説きます。

姫が持っている別の面(=内面)の美しさを引き出すには、
王さまの価値観とは違う自分独自の考えを持つものの助けがなくてはなりません。
まだこの世の価値観どっぷりでない未完の男性性が必要です。

美を求めるための無邪気な探究心は若い男性性の強い表れです。
一方、美は女性性の表れです。
ひとつのスピリット(魂)が心の中の美にたどり着くには、
いばらのトゲの藪の中をかき分けかき分け前進して行かなければなりません。
この地道な作業は男性に向きません。
連続した単調な行為で、
この世の見返りはないかもしれない行為に男性性は堪え難いでしょう。
いばらの薮をかき分ける行為は、
そんな平凡な日常を生きるための行為と似ています。
スピリットはこの日常の単調な生きるという行為そのものに内在する美、
つまり恩寵に気付くには、
美を求める探究心だけでは目的を達することは出来ないと、
この物語は伝えているようです。

求める気持ちは強くても、
単調な日々に恩寵の美を見つけるのは並大抵ではありません。
というわけで、目的を達せられない王子たちがみじめに死んで行きます。

では、どうしたら人生の美しさ恩寵に辿り着けるのでしょう。

それは次回に。

ーつづくー


posted by バンナイ at 20:25 | 夢のメッセージの取り方
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