画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

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ブログアーカイブ

2014年09月29日

夢療法家養成講座第6期修了

先週の土曜日の9月27日
夢療法家養成講座第6期 in 天の鳥船庵の修了式を行いました。
その写真です。

DSCN5963.JPG

DSCN5968.JPG

5人の受講生はすっきり晴れやかな笑顔に見えますが、
たいへん密度の濃い最終講座を終えてくたくたのはずです。

午前中は講義に続いて最終試験を受け、
更にそれぞれの夢のメッセージを、
問題提起とその解決法を知る観点からワークに取り組みました。
原因の中には解決法が潜んでいますが、
自分自身をクライアントさんに添いながら、
それを半年のスパンで自分自身の夢の中に見ていくのは、
有無も言わせない迫力があります。

午後は
胸を貸していただいたクライアントさんたちをお茶会にお招きし、
4ヶ月を通して夢から見えたクライアントさんの姿を講師からお伝えする、
クライアントさんとの個人面談を行いました。

振り返れば、
石川千佳子講師の揺るぎ無い指摘とアドバイスは、
どんなにわたしたちを鼓舞し続けてくれたでしょう。

毎回この夢療法家養成講座の修了式を終えると、
この仕事に従事できていることに無上の幸せを感じます。
あとどのくらい続けられるかとふと思うこともあり、
いまこの時、喜びでふるえる思いでキーを打っています。

この撮影を済ませ一品持ち寄りの食事会を行い、
お開きは10時近くとなりました。


ケース研究のためのクライアントを引き受けて下さったみなさま、
本当にありがとうございました。
みなさんの勇気が土台となって、
これからも多くの方々が夢の恩恵を受けられることになります。
posted by バンナイ at 10:17 | グループセッション

2014年09月24日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く8

ところがつむに触るやいなや、
姫はつむで指を刺してしまいました。
そしてすぐに深い眠りに落ちました。


この箇所がこの物語で一番大切なところでしょうか。
ここではこの「いばら姫」の物語を題材に、
心の発達のどの辺を象徴的に物語っているかを解説しています。
特に心の中の女性性を取り上げてお話しています。
もちろん今女性として生きている方々への提言も含めて、
童話を紐解いています。

そこでここはまず第一段階、
親から自分を放して自律(自立)を勝ち取るところです。

この箇所が重要なのは、
「運勢が動く」のは、
或いは「人生の課題が明らかになる」といえば良いのか、
正確な言葉を決めかねているのですが、
本人の意志に基づく選択と行動があって、
はじめて親と関係ない自分の人生が動き出すと伝えていると思えます。

娘は異次元と離れることのなかった母親の願いでこの世に生を受け、
産まれてからはこの世の規範を重んじる父親の側面で育てられたということは、
言ってみればトラウマをしっかり身に付けて育ったということです。

しかし、トラウマだけで生きていては人生ははじまりません。
それを意に介さず自分の心の赴くままに、
塔へと通じる階段を昇ります。
姫は「塔」を知りたいのです。
塔が「どうなっているのか知りたく」て、
階段を昇ります。
ここのところは、
自分の人生を上り詰めたいと願っている心の表れとも考えられます。
人生とは何なの?
人生の高みとは何なのでしょう。

つむを手に取ったら深い眠りに落ちると、
12番目の妖精と13番目の妖精が言った通りになります。
つまり姫が産まれる前に決められた運命がここではじまる訳です。

これは親が布置したトラウマより、
異次元が決めた運勢の方が、
人生を決めると受け取って良いように思います。
このことがこの「いばら姫」の物語の重要なところではないでしょうか。

たくさんの方の夢に接してきて、
やはりこのことを強く感じます。
トラウマは自分の弱点や執着や人生の課題の特徴を教えてくれますが、
このトラウマ自身は魂の計画の表側を見せる役割なのではないかと思うのです。

親はいっとき、
子どものトラウマの原因をつくった自分を、
受け入れ難い心境になるようですが、
この場面をよくよく読むと、
わたしは姫のこの無邪気さを微笑ましく思います。
例えこの先眠りこけてしまうとしても、
姫はどうなっているのか知りたく」ているのです。
自分の人生がどうなっているのか、
外に向かう娘の好奇心をほめてやりたいと思います。
人生を好奇心を持って生きていける、
そんな娘に育てられた親の自分をほめてもよいのではと思うのです。

好奇心のままの行動は、
親の与り知らぬところでなされなければなりません。
しかし、外に向けて疑うことなくおばあさんを気に入る素直さが必要です。
トラウマに手を貸しても、
人生をあきらめない子どもを育てるそれが親の責務かもしれません。
この物語のすばらしいところと思います。

つむは糸にする原料を糸に撚るものです。
撚った糸を織物に織ります。
織物は人生。
つまり糸は宿命や意図に通じます。
糸を娘が操ることは、
人生を興味のままに押し進めようとすることです。
そのつむで指を怪我します。

王さまは娘をこの世の価値観で育てたと前にお話しました。
15歳になった娘は無邪気な好奇心で自分を生きようとしましたが、
娘に意図があるはずもありません。
糸は扱えないのです。
この物語ではつむを扱い損ねて怪我をし、
死ぬのではなく眠りこけてしまいます。

13番目の妖精は、
娘が15歳になったら
糸巻のつむが刺さって死んでしまう
」と言いましたが、
12番目の妖精が、
でもそれは死ではなくて、
ただ百年の深い眠りに落ちることにしましょう
」と言います。
13番目の妖精がお祝いに差し出す徳をないがしろにするなら、
この人生を終わりにさせると言い放ったことになります。

しかし、12番目の妖精は死ではなく眠りに落とすというのです。
「死」ではなく「眠り」とは何を言うのでしょう。
この世で眠ったままで生きるとは、 
どういうことでしょう。

それは、この世の価値観のみで生きるということのようです。
王さまとお妃さまはこの娘を欲しいと願った時、
その時はこの世の価値観だけで望んだのではありません。
特にお妃さまはザリガニの言葉の真実を見抜く力を持っていました。
彼女はこの世にいてあの世の知らせを受け取る能力があったのです。
これは女性性の特質です。

しかし娘は興味の赴くまま、
自分の可能性を探検する一歩を踏み出しました。
これが霊性を眠らせたままの日々になる訳です。

ーつづくー


posted by バンナイ at 20:44 | 夢のメッセージの取り方

2014年09月16日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く7

心の中の王さまの側面に育てられた娘も、
15歳になると自我が芽生え、
魂本来の自分を生きることに目覚めます。
しかしそれは荒削りな洗練されていない我が先導します。

王さまは心の側面を言っています。
では娘は?
娘は女の子と女性の間、未発達な女性的側面です。
つまり、ひとりの人間が自分を生きたいと内なる声を聞きはじめた頃、
その声に従って行動を起こせる側面を指します。
行動を起こすには、自分を生きたいという衝動を、
外側に求めるエネルギーを指します。

前回までで未発達ながら自分を生きたいと行動を起こす娘の側面が、
いよいよ行動を起こしたとなる訳です。

扉には黄色い鍵がささっていたので、
それを回すと、
戸がぱっと開いて、姫は小さな部屋にいました。
その部屋にはひとりのおばあさんがすわって、
麻糸を紡いでいました。
姫はこのおばあさんが気に入って、
おばあさんと冗談を言ったりしました。
そして、自分も一度糸を紡いでみたいと言って、
おばあさんの手からつむを取りました。


自分を生きたいと考え行動する自我の扉には、
黄色い鍵がさっさっています。
15歳の娘が持っている鍵は黄色の要素、
つまり無邪気に知りたい、見たい、経験したいが勝ります。

黄色の持つエネルギーは人生を進ませるには絶対に必要な要素です。
理論や常識や安定性や身を守る安全策は黄色にありません。
理念の代わりに冒険心にあふれたエネルギーがあります。
この黄色は人間界の道理や限界を超えて行けるエネルギー、
人生に対する信頼を色濃くあらわします。
冒険を自分に許すとき、
すべてを許容できる心がそこにあります。
それがなければそもそも冒険を自分に許可できません。

しかし、娘は冒険心のままに行動したら、
あっという間に知らない世界に出て、
そこには年老いた女性がいます。
老いた女性とはこの世の経験が長いということです。
おばあさんには月のものがありません。
閉経を迎えると女性は産む機能を卒業する代わりに、
他の産み出しに関わる責任を負います。

このおばあさんは麻糸を紡いでいます。
織物の麻糸を紡いでいるおばあさん。
織物は人生そのものを表します。
この『いばら姫』はドイツの伝承童話なので、
ヨーロッパの文化が背景にあります。
人生は一枚のタペストリー。
人生を織る要素の糸を作り出しています。
つまりおばあさんは娘に人生を造る要素を教えている訳です。
人生の要素を身を以て教える存在。
人生の何たるかを示す存在です。

娘が15歳になったら
糸巻のつむが刺さって死んでしまうと言っておこう
」と、
13番目の妖精が言ったのは、
この娘の誕生祝いの席ででした。
これは13番目の妖精のお祝いです。
他の妖精の贈りものは美徳や美しさというのですから、
妖精たちがお祝いとして差し出したのは、
娘の運や存在の概念とでも言いましょうか。
ものをこの世に産み出すための心的要素を妖精は贈りものとしました。

13番目の妖精とこのおばあさんは、
同じような存在で、
妖精は人間界に属さず、
年老いた女がその仲介者となれるというのではないでしょうが、
老いたおばあさんは妖精の存在意義と人間の両方を持った者といえます。
妖精の存在意義とは簡単にいうと、
次元を超えた精神とでも言いましょうか。

閉経を迎えた女性は肉体を通した創造ではなく、
ものではない運や概念を生きる心の創造を司ります。
妖精と手を繋げる存在です。
そもそも女性の特質は、
次元を超えたものへの感応が備わっていることです。
(この女性の特質を近年はないがしろにしてきたのではないでしょうか)

娘はおばあさんに相通じるものを感じ、
居心地良く過ごし、
おばあさんがやっていることをやってみたいと思います。

ーつづくー


posted by バンナイ at 09:22 | 夢のメッセージの取り方

2014年09月10日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く6

「次回はこのプロセスの抽象的な意味で子育てについてお話しましょう」と、
前回締めくくりました。

そこで今日になって、はて子育ての何をお話しようとしたのか、
しばし考えてしまいました。
わたしは子供を育てたことがありません。
子育てをしたことのないわたしが子育ての何についてお話しようとしたのか、
その本当の思いを自分のうちに探らなくてはならない文章で、
前回は終わりにしたのでした。

多くの人と触れて思うことは、
思考回路が決まっているのだなと思うことが度々あります。
考えに遊びや意外性があまりないと思うことがあります。
「アミ小さな宇宙人」の主人公の言葉に宇宙人アミが返した言葉があります。
うろ覚えなのですが、
主人公ペドゥリートが自分のおじさんは大学教授だと自慢し、
彼は頭が良いと言ったのに対し、返した言葉です。
「それは、彼が頭の中のコンピューターの使い方が上手ということだ」と。
正確な言葉ではありませんが、大意はこのようだったと思います。

現行の教育を受けて育ったわたしたちは、
このいばら姫の王さまに育てられた娘と同じなのかもしれません。
ことの善悪や物事の成り立ちについては正確な思考回路を持っています。
しかし、自分の感情と感覚を掬い上げることが苦手だなと思うことが多いです。
これが「王さまの子育て」の結果ではないかと思うのです。

わたしが子育てについてお話ししたいことはこういうことです。

それでも子供は成長し、自分を生きようと魂の声を聞きはじめます。

姫が15歳になったばかりのある日のこと、
王と妃は出かけていました。
そしてお城には姫ひとりきりでした。
そこで、
姫は気の向くままにいろいろなところを歩き回っていましたが、
しまいにある古い塔へやってきました。
狭い階段が塔へ通じていました。
姫はどうなっているのか知りたくなって、
階段を昇っていくと、
小さな扉へ出ました。

「15」という数字に込められたメッセージを考えてみましょう。
「1」はチャクラでいうと第一チャクラ、
根のチャクラでムーラーダーラ・チャクラと言います。
簡単にいうと「わたしはわたしを生きる」というエネルギーです。
そこで「1」は「自分を生きる」という象徴になります。

「5」は第五のチャクラ、ヴィシュッダ・チャクラと呼ばれ、
喉の甲状腺を表します。
甲状腺は意志を司ります。
人が目標や目的を持った時に大きなエネルギーを生みだします。
「5」のメッセージは目標に向かって行動を起こすこととなります。

つまり「15」は、
自分の意志で生きたいので、
それを実行するというエネルギーです。
15歳になった娘は最早王さまの傘下にいません。

自分を生きたい、本来を生きたいと気づいた娘の心の中には親はいません。
だから「王と妃は出かけて」いる訳です。

喉の甲状腺という階段を通り抜けると、
つぎのチャクラに行くことになります。
「15」を「1+5」と考えてみましょう。
「6」になります。
第六チャクラは第三の目。
ものを見通せるところにこの姫さまは行き着けるのでしょうか。

この世間知らずのお姫様は、
あれこれ興味の向くままに動き回ります。
」は高次のチャクラ第六チャクラと第七チャクラのいますところ。
その扉の前に辿り着いたという訳です。

ーつづくー


posted by バンナイ at 16:52 | 夢のメッセージの取り方
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