画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

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2014年07月29日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く2


  ある王と妃は、ひとりも子どもを授かりませんでした。
  それで、どうしても子どもが欲しいと思っていました。
  あるとき、妃が水浴びをしていると、
  一匹のザリガニが水から陸へ這い上がってきて言いました。
  「おまえの望みはまもなくかなえられるだろう。
  おまえはひとりの娘を産むだろう」。
  そして、そのとおりになりました。


前回は、最初の一行の解説をしました。
では、次の行にいきましょう。
「どうしても子どもが欲しいと思っていました」という文章から、
多くのことを読み取れます。
王と妃は願いを叶えようと全力を注いだのです。
あきらめなかったのです。
夢を叶えるためにはあきらめは禁物。
あきらめたらその時点でおしまいです。
望みを持ち続け、
自分でできることをやり続けたことがこの一行で分かります。
どうしてか?
もちろん次の行が言っていることと関連させて、
妃が何をどう取り組んだかが想像できるからです。

多くの人は夢を持ちながら、
あきらめていきます。
結婚したいと思いながら、
実現に向けて取るべき行動の多さと、
それをやり続ける気力体力の消耗に音を上げあきらめます。
しかし自分があきらめた事を認めたがりません。
大抵は、「結婚で幸福になれるだろうか。
わたしは結婚しなくても充分この人生を全うできる」と自分に言い聞かせます。

イソップ物語の「酸っぱい葡萄」のきつねをやっているのに、
それに気付けません。
ご存じない方にあらすじを。
 キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。
 食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。
 何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、
 「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」 
 と捨て台詞を残して去る。

未婚のままで、結婚は不幸ばかりだろうと決めつけて、
結婚の可能性を自らに閉じてしまう訳です。

「あるとき、妃が水浴びをしていると、

一匹のザリガニが水から陸へ這い上がってきて言いました。」

妃はあきらめず望みを叶えるために、
心の浄化に取り組んでいたことがここで分かります。
水浴びは、身を清めることです。
身を清めるとは、心に抱えている恐れや怒りや悔しさを払拭することです。
心を清めること幾年月。
とうとう或るとき心の中のザリガニの存在が意識できたのです。

「ザリガニ」の生態ををWikipedia で調べてみました。
「河川、湖沼、ため池、用水路など、
水の流れのゆるい淡水域なら大抵の所に生息する。
ほとんどのザリガニが雑食性で、
水草、貝類、ミミズ、昆虫類、甲殻類、
他の魚の卵や小魚など、様々なものを食べる」とあります。

グリム童話の他の版では、
ザリガニが蛙になっているものもあるようですが、
話の内容からはザリガニの方がふさわしく思えます。
ザリガニは食べ物を動物から植物にと偏食がありません。
それも水中から地中陸上と手当たり次第です。
食べるものですから、
取り組む問題(食べ物)にあれこれ文句を付けずに挑んだということです。
妃はあらゆるやるべきことをやり続けたことがこれで分かります。
その結果、
顕在意識(陸)と無(潜在)意識(水中)の両方にまたがって確信できる情報を、
妃は心の浄化で勝ち得た訳です。
平たく言えば、
「妊娠できるような余裕が心に生まれたと思えるし、
それ以上に何だか妊娠するような確信があるの」
妃はこういったでしょう。
このように理屈では説明できない神の意向をキャッチできる能力は、
女性性の極みの能力では無いでしょうか。
つまりザリガニの言葉、

「おまえの望みはまもなくかなえられるだろう。
  おまえはひとりの娘を産むだろう」

は、顕在意識でも間違いなくわたしは妊娠すると確信できた心理状態を表します。

イエスの懐妊を知らせてくれたのは天使ガブリエルでした。
仏陀の母・マーヤー(摩耶)は白い象の夢を見て、懐妊を知ります。
しかし、いばら姫の母は、ザリガニによって妊娠を知らされます。

夢解き風にここを解説すると、
「なんてまぁ!
ザリガニなんぞに懐妊を知らされるなんて!」となりますが、
ここが、夢解きの注目点である something strange 。
妃は自分みがきに精を出した結果、
彼女は直接真我の神からの使者によって、
願いが叶うことを知るのです。

ザリガニは神の意向を知らせる使者と考えました。
意識の三構造からすると、
ザリガニは超意識と潜在意識と顕在意識のすべてを行き交えることになります。
理性を脇に置けば、神の意向を直接知ることができる、と思えます。

わたしたちはこの妃に、
望みを叶えたいなら、
何をどう取り組めば叶えられるか、
その方法を知らされています。

あきらめず、ぶれることなく願いを叶えるには、
願いが叶ったとき、
すぐにそれを世話できるように、
心の中の曇りや傷を洗い清めておくことだと、
「いばら姫」はそういうお話のようです。

生まれたのは娘でした。
望みが叶った形は幼い世話の焼ける女性性の卵なのです。
願いが叶ったとき叶ったものを、
自分で味方や武器として使うには、
不完全で猶且つ実践的な形ではないということを
この物語は生まれたのは娘ということで表しているように思います。

ーつづくー


posted by バンナイ at 06:00 | 夢のメッセージの取り方

2014年07月23日

グリム童話『いばら姫』を夢と解く1

講座では、おとぎ話は女を生きる上で大切です、
夢と同じに各自で読み解くようにと毎回伝えています。
しかし伝えるだけで講座内で、
おとぎ話を読み解いたことはありません。

ひとつのおとぎ話は、
女の一生の一部を語るものです。
女の一生をひとつのおとぎ話で語り切ることはできません。
この「女を生きる」の意味は、
単に女性を表すだけでなく、
男性の心にある女性の部分も指しています。

そこで講座では、
複数のおとぎ話の題だけを借りて女の成長過程を説明しています。
母との同一化から始まって、
女の自立までを5段階に分けて、
どのおとぎ話がどの段階を伝えているか、
大まかな話をしてきました。

おとぎ話ひとつひとつを読み解いていくには、
講座内にゆとりがないことも理由でしたが、
何よりおとぎ話は感性で受け取るもの。
理(ことわり)を超えて老若男女の心に直に入ります。
文字にすれば、
その感性を削ぐことになりはしないかと危惧もありました。

しかしそれはそれとして、
いくつか例題的におとぎ話を夢分析してみる必要がありそうだと、
感じることがあり、
とりあえず、「いばら姫」を試験的にやってみることにしましょう。
(注:ここでは白水社の初版グリム童話の「いばら姫」を題材に致します。)

おとぎ話は、
スピリチュアルに生きる為の示唆を満載しています。
スピリチュアルに生きるとは、魂を磨き魂を輝かせること。
その目的に合わせて、
苦難に出会った時、
助けが必要ならその求め方や、
陥り易い心の弱さや、
どうすれば冒険心を持って問題に立ち向かっていられるか、
そのさまざまな対処法を、
おとぎ話のなかに読み取って行きましょう。

おとぎ話は、人類の遺産です。
これまでの男性原理の色濃いあり方から、
これからは女性原理を生きるという、
振り子の振れで予想できる範囲に、
未来の道はないかもしれません。
しかし温故知新、いまの価値観を根底から洗い出し、
新たなものを造り上げる為の目安にはなるでしょう。

すでに長の年月、
人類はおとぎ話にそのヒントを探ろうとしてきました。
誰の心の中にも持っている真の価値観を掘り起こし、
それを頼りに人生を進ませようというのです。

創造は時間という枠の中で生み出されていきます。
従って創造には成長が伴います。
おとぎ話は女の成長に伴ったひとつの段階を超える為に、
ひとつの話が作られています。
「いばら姫」は、
女(心の異性の女性)の成長のどの辺を語ってくれるでしょうか。
あるいは、「いばら姫」は何をそもそも語っているのでしょう。

では、この「いばら姫」の話を、
細かく文節に分けて話を進めて参りましょう。
冒頭です。

  ある王と妃は、ひとりも子どもを授かりませんでした。
  それで、どうしても子どもが欲しいと思っていました。
  あるとき、妃が水浴びをしていると、
  一匹のザリガニが水から陸へ這い上がってきて言いました。
  「おまえの望みはまもなくかなえられるだろう。
  おまえはひとりの娘を産むだろう」。
  そして、そのとおりになりました。


ここまでを素直に読むと、
「子どもが欲しかった王さまとお妃さまは、
じっと待つこと長年月、
とうとうお姫さまを授かることができました。
めでたしめでたし」となります。

まずは、念願かなった幸せからこの話が始まり、
それが基で事件が起こり、
苦難が持ち上がって、
冒険が始まります。
それが「いばら姫」というおとぎ話です。

では冒頭のここまでをひとつの夢と捉えて、
話の流れに添って単語をひろってみましょう。
自分の夢からメッセージを引き出すには、
この方法は優れていると考えます。
自分の夢を自分から引き離し、
客観的に眺めるひとつのやり方です。
おとぎ話もその普遍的価値を知る優れた方法です。

おとぎ話にふれると心動かされ、
色々な思いに揺さぶられるでしょう。
そこをあえて脇に置いて、
単語を拾いだし、
その単語を繋ぎ合わせたら何が出てくるか、
夢解きと同じ手法でやってみましょう。

話の流れに添って単語を拾います。

「王」
「妃」
「子どもが欲しい」
「水浴び」
「ザリガニ」
「水から陸へ」
「望みはまもなくかなえられる」
「娘を産む」

これらの単語の意味を調べます。
王=あなたは、あなたという一国一城の主です。
  自分の国を理想通りに創りあげる、権利と義務と責任があります。
妃=あなたが創造的であるには、
  女性としての資質を最大限に発揮するようにとアドバイスされていす。
子ども(=赤ん坊)=その赤ん坊はこれまで使ったことの無い才能です。
  それでその才能が一人前に育つまで、献身的な世話が必要です。
欲しい=人生に夢を持つこと。理想を持つこと。在りたい態度を思い描くこと。
  夢を持つ勇気を自分に許すこと。
水浴び(=風呂に入る)=生産的創造的に生きるために、
  今は内省と休息を第一にします。
  決断し行動に移すときではなく、
  内奥に分け入り安心と安全を味わいます。
ザリガニ=意識と無意識を行き交える能力。
水から陸へ=無意識下にあることを意識に昇らせること。
娘(=赤ん坊の女性的側面)=特に女性性を心して育むこと。
産む(=出産)=自分の新しい可能性が芽生えるとき。
  新しい可能性の発露です。
  それまで気付かなかった面の才能なので、
  日々の献身的な世話が必要です。
  この新規の才能は生活のどんな方面でも同じです。
  大変なものを背負い込んだと、一瞬後悔するかもしれません。
  しかし直ぐにその気持は、
  産んで良かった新しいことをはじめて良かったという気持に変わります。
  あなたはそれを愛していると気付くからです。

こうやって単語を並べてみると、
子どもが欲しいと願い続けた王さまとお妃さまの話を、
自分の思いのどこに当てはめられるかを考えると、
願いを実現させる為の姿勢(或いは条件と言って良いでしょう)について、
語っているのだろうと見当がつきます。
願いを実現させるには、
まずは自分が自分の王さまでなくてはならないと、
このおとぎ話は言っています。

自分の人生を生きるには、
自分の願いを叶えることです。
自分の願いを叶えるには、
自分より権限を持つ者を排除しておかなくはなりません。
つまり親殺しを済ませている必要があります。
親殺しを済ませていないと、
そもそも自分の願いは分かりません。
例え自分の願いが実現してもその責任を取れません。
願いが実現したら、
直に「大変なものを背負い込んだと、一瞬後悔する」はめに陥るからです。
「産む」ということはそういうリスクも産みます。

自分の願いを実現するには、
自分が王さまでいる必須条件があることは分かりました。
それと同時に、
王さまとしての特質、
現実的な男性性の力強い実現力が、
願いを叶えるには必要だとこのおとぎ話は言います。
それと対に、
感性豊かで心を遊ばせる能力と、
恵みを感謝できる女性性も合わせて持っていることが必要です。
それが妃の存在です。

ーつづくー


posted by バンナイ at 10:02 | 夢のメッセージの取り方
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