[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2007年6月〜2015年1月 ]

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2014年03月25日

錬金術の入り口に立てた夢療法家養成講座第5期修了式

修了式を迎える度に、
いつも思うのですが、
「今回のクラスが最高だ?!」と。

自画自賛に聞こえるでしょうか。
自分を認めることが難しいこのわたしが、
何ともうれしいことに今回もそう思いました。
22日に修了式を迎えたこのクラスでは、
掛け値無く後世に残るだろうケース研究を手掛けることが出来ました。

養成講座ではケースを持ちます。
今回扱ったケースの中に、
夫婦間のテーマが複数あったのです。
だからといって、
世間的に見て、
扱ったケースの夫婦に特別大問題がある訳ではありません。
極ふつうの仲の良い夫婦です。

夢で夫婦の間を考えることは、
夢を勉強して行く上でかなりな前進です。
そしてこれこそが夢を勉強する最終目的になります。
心の統合を叶えるには異性との関わりで、
成長に向けて、
自分がどんな学びが必要か、
統合という錬金術のどの位置にいるかを知る必要があるからです。

いままでもこのテーマは話し合われたことはありましたが、
多く人は夫婦間のことを話したがりません。
「わたしたち夫婦は格別仲が悪い訳でも無し」で、
それ以上を語る人はまれでした。
それが今回はケース研究として、
その問題を扱えたのです。
時代も熟れ、人の心も熟れて来た証明です。

具体的な内容についてはいつものようにお話しできませんが、
長年連れ添った夫婦が更に密に関係を深めるために、
複数の方々がご自分の夢に添ってその話をして下さいました。

それにしても今回の受講生はこのレベルに達っしていたので、
夫婦のあり方をテーマに扱えたのだと思います。

受講生自身が人生の大問題に向き合っていたからです。
夢は夢の方からその大問題に食らいつくようにと夢を見させます。
受講生の覚悟を試してくるのです。
当日最後のセッションでは、
一分の隙も無く果敢に挑むようにと、
夢が提示してくる課題に、
危ういところで踏みとどまれたというワークになりました。
その強さが今回の受講生にあったのです。
という訳で今回も最高のクラスとなりました。

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修了式の写真です。


posted by 天の鳥船庵 at 09:48 | あれこれ

2014年03月18日

歯が抜ける夢を見ると誰かが亡くなります。

今回は一般的なご質問を戴いたので、
ブログで返事を差し上げます。
質問の内容はご本人に取ってはとても個人的で、
特別な対処が必要なことと思われているようですが、
実は夢を探求するための一番効果的なプロセスを、
この質問者は辿っているようだとわたしが感じたからです。

質問:
予知夢と検索したら
ブログに辿り着いたので
連絡させて頂きました。
ー中略ー
昔からよく夢を見ていて
歯が抜ける夢を見て
周りの人間が3人亡くなったり
夢を見て夢占いをすると
だいたい当たっていたものが
最近9割...と言っても
おかしくないくらい当たるのです。
ですが震災などの大きな
予知夢は見ません。
自身のことや周りの危険が
近づいている程度なのですが、
それにしても夢を見すぎて
困っています。
1日に何回も何回も
夢を見て起きてしまいます。

精神的、肉体的の疲労からなのか
神に自分に役割を果たされよと
言われているのでしょうかと
聞いても答えは出ません。
返ってはきません。

ご迷惑ではなければ
何かご返事を頂けると
幸いです。


返答:
ご連絡いただきありがとうございました。
たくさん夢をご覧なのですね。
それで困ってしまっていると。

では、折角ご質問を戴いたので、
わたしの考えを述べさせて頂きます。

あなたは夢に大きな価値があると思われています。
でも、その価値が分からないので、
いまのところは夢に振り回されていると感じています。
夢の価値を知りたい。
ここがとても大切です。
あなたは夢の価値を知りたいのではありませんか。

夢は安心安全のためにあります。
そこで健康が第一です。
寝られないようなら、
寝る前に軽い散歩をして眠気を誘いましょう。
寝るには日常的な軽い運動が必要です。
夜の散歩に危険が及ばないように配慮して行って下さい。

誰でも夢をたくさん見ます。
けれどみんな忘れてしまいます。
それなのにあなたは夢を思い出せます。
夢の神さまは、
あなたに夢を通して自分を知って欲しいというので、
夢を思い出させるのではないでしょうか。

この世で一番尊い行いは自分を知ることです。
夢は自分を知る格好の道具です。
それであなたは夢を思い出せるのでしょう。
つまり、いまは自分を知るようにと。
それが夢の神様のご意向です。

あなたのまわりにいる人たちは、
あなたの現状を写している鏡です。
ご質問は、
「歯が抜ける夢を見て
周りの人間が3人亡くなった」とあります。
あなたの歯が抜ける夢と、
周りの人の死は直接因果関係はありません。

この夢を通してあなたが考えるべきは、
亡くなった人がどういう生き方をしていたか。
その生き方をあなたは見本と取り入れたいか。
そこのところです。

歯が抜けるのですから、
恐らくあなたは違う生き方をしたいと思っているのでしょう。

これからもこうした周りの人の死を夢に見た場合は、
この考えで夢に対処して下さい。
このあなたの「考え深く生きる姿勢」が、
死者に対する手向けになります。
そして祈りましょう。
「あなたと知り合いになれて、
自分を振り返ることができました。
あの世でもご自分の修行を続けられますように。
ありがとうございました」と。

わたしたちは寝ることで、
死の世界に毎晩行っています。
つまり、自分も死の世界に行っていることになります。
生と死はひとつながりです。

これが分かると、
死に行くひとは自分が決めて行くのだと理解できます。

ここで繰り返しになりますが、
「精神的、肉体的の疲労からなのか
神に自分に役割を果たされよと
言われているのでしょうか」とありますが、
あなたの人生を全うしましょうと、
夢が云っていると受け取ることはできませんか。

もしも予知能力者になるという考えをお持ちだったらと仮定してですが、
夢を使って予知能力者になるという考えがおありなら、
それはお薦めできません。
自分を知ることを深めて行けば、
もっと違った能力が発揮できるようになるでしょう。
あなた独自の道が開けることは間違いありません。
それには、自分を知って魂を磨き上げるしかありません。
その為の夢です。
その為に夢の神さまは、
夢に注目しなさいと、
多くの夢を思い出させているのでしょう。

また「自身のことや周りの危険が
近づいている程度なのですが、・・・」と、
知らせて下さったことについては、
どんな危険なのかがないので、
個々の危険については夢辞典を調べ、
その部分の反省吟味を行い、
決心ができたらそれに添ってご自分を改善して行って下さい。
これが魂磨きです。

この返答はあなたの予想とかなり違っているでしょう。
しかしたくさんの夢を思い出せるのです。
あなたは夢の勉強を、
過去生で成し遂げていた可能性が大いにあります。

是非夢の記録ノート(夢日記)に、
大切な夢だと思えたら書き込んで下さい。
ひと月に1回。
1週間に1回程度で良いのです。
夢にも雑夢があります。
メッセージ性が強くないのを雑夢と云います。

大切な成長記録になるでしょう。

この返答がいくらかでもお役に立つことを祈ります。

あなたのお幸せを祈りつつ。


posted by 天の鳥船庵 at 12:22 | 夢のメッセージの取り方

2014年03月08日

東大寺戒壇院広目天像と結婚生活

5、6日に奈良に行きました。
恩師森下敏雄教諭が2月6日亡くなり、
ご遺族のご意向もあって葬儀に出席せず、
1ヶ月遅れの命日にご挨拶したいと、
終の住処となった奈良のマンションに伺いました。

今回の奈良行きは、
伊佐治医師につないで下さった森下先生への霊前へのご挨拶と、
夫の絵が飾られているいさじ医院に伺うのと、
余地があれば奈良見学をと考えていました。

5日は雨で、
天気女のわたしは、
「では、この雨が用意してくれている贈物はなに?」と、
逆にワクワクしていました。
本降りにはならないシトシト雨の中、
田んぼの真ん中のいさじ医院に行ってみると、車が一杯。
大忙しの伊佐治先生は勤務の合間を縫って、
森下先生の病気の経過や生前の様子を説明して下さり、
そして夫の作品展示を記念して、
写真撮影を自らやって下さったのです。

午後、娘さんは何故か東大寺に連れて行ってくれました。

DSCN5749.JPG

薄ら寒い雨の水曜日、観光客は少なく、
これが幸いして、
仁王像は幻想的で墨絵そのもの。

DSCN5748.JPG  DSCN5747.JPG

息を飲むほどの圧巻でした。

日本画を描いていた頃、
この仁王像を題材に絵の具を抜いて行く技法で作品にしたことがあります。
それを屏風に自分で表装してと楽しんでいたのに、
その後の流れで途中で放り出した思い出の仁王像です。
はじめて本物と対面できました。

本殿を抜けて、戒壇院に向かいました。
砂の庭を抜ける人影はひとりもなく、
見学者はわたしたち森下先生の奥様と娘さんとわたしたち夫婦だけ。
お堂の中もわたしたちだけ。
すぐに四天王が目に入りました。
左手奥にお目当ての広目天がおいでです。

そこで配したお顔はどれだけわたしたち夫婦を驚かしてくれたことでしょう。
先に記事にしたシャバンヌの人物像そっくり。
色目もデフォルメ具合も。

戒壇院の広目天は多くのカメラマンを魅了しています。
何十年も前そんな写真を幾枚も見て、
想像できた仏像は、
これぞ仏師の手によるものではないかと深く心打たれました。
いつかは実物を拝見したい。

夫にはじめて出会ったのは、1990年の6月。
わたしは入院患者の付き添い家政婦で、
夫はオートバイ事故で入院する患者としてでした。
その病院には憩いの場所として喫茶室がありました。
3、40人は座れる椅子が並ぶところなのに、
そのときはふたりだけだったのです。
「何をしている人ですか?」
「イラストレーターです。」
「どんな絵を描かれますか?」
「これです。」と、
そのとき浴衣に松葉杖の彼は自作の写真集をテーブルに乗せたのです。
その分厚いファイルにはリアル系の絵が何十枚と挟んであり、
そこに件の広目天が鋭い目で前方を眺める頭部だけの絵を見つけたのです。
背景は海の波が凪ぐでもなく荒れるでもない波頭を見せていました。

この絵を見たい。
その思いが彼と近しくなるきっかけでした。
その絵の印象は、これほどまでに表情を描ける人とは、
余程強い思いが絵に込められる人なのだろうという、
いまでも不思議な感情でした。

その後この絵についてはふたりで随分話し合いました。
彼の長所にして得意分野のこと。
絵描きとしてこれから克服すべき点について。
ふたりの考え方には違いがありましたが、
いつかは本物を見たいという思いは一緒でした。

彼も実物を見ずして、
写真から受けた感動を絵にしていたのでした。
いつかはじかにお顔を配したいと思いながら、
20年以上経てしまったのには訳があります。
お堂の中で実物を拝しても、
必ずしも写真で受けた感動以上のものは期待できないのではないか。
暗がりで照明もないところで拝見しても、
手元不如意なわたしたちには犠牲が大きすぎると思ったことでした。
そんなあきらめをよそに、
恩師の娘さんがポンと機会を下さったのです。
「連れて行って下さるならどこへでも」という、
主体性のないわたしたちを連れて東大寺へと。

写真にはない、白緑の地肌をした広目天さん。
どのカメラマンの写真にもない、
白地に草色を足した地色の広目天さん。
その地肌には丁度頃合いの良い照明が当たって(?!)、
陰影うすくこの世の三次元を超えた存在として、
広目天がお立ちでした。
予想に反して、戒壇院の四天王は現代の照明の中にお立ちでした。
そのことが一層次元を超えた存在と思わせる効果を効かせていました。

東大寺を後にする車中で、
興奮のあまりわたしはわたしたちのなれそめと、
戒壇院の広目天がどれほどわたしたちをつないで下さった仏様かをお話し、
すぐにホテルで休みたいと送って頂きました。

次の日、天気予報は晴れなのに、
秋篠寺では太陽光線の差した景色の中、
細かい雪が長いこと舞っていました。

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そして、浄瑠璃寺でも積もるのではと思うほど雪が舞っていました。

いさじ医院での夫の絵は、
セッションルームでの様子より存在感がありました。

感動のあまり、忘備録として先日の出来事を記事にしました。

先程散歩で出会った富士山です。

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posted by 天の鳥船庵 at 18:29 | あれこれ