昨夜「シャヴァンヌ展」を観てきました。
夫がポスターの絵を見て、行きたいと言い出したのです。
わたしはその絵に、
わざわざ見に出かけるほどの魅力を感じませんでした。
しかしどうせついでなので、一緒することになるだろうと、
そんな程度でした。
会場に着くと、
彼はポスターの絵にまっすぐ突っ切って行きました。
本職なんだなぁと感心しながら、
わたしも初期作品をざっと眺めながら、
これならやっぱりギュスターブ・モローで充分と思ったものです。
ところが「祖国のための競技」を見てその考えが変わりました。
その部屋にはポスターになっている、
「諸芸術とミューズたちの集う聖なる森」も飾られています。
シャバンヌの芸術はこの色の世界なのだと納得し、
存在理由が分かった気がしました。
実物の力に圧倒されました。
わたしたちふたりは世間の評価ではなく、
自分の好みで絵を鑑賞してきました。
今回もシャバンヌについては何も知らずに、
ポスターの絵が気にいった夫について来ただけのわたしです。
不思議な色の世界、構図の取り方の絵です。
この絵が示す世界はどこ?
この品性の高さはどこから来るの?
どうして光があって影が無いの?
どうして全てが静寂なの?
思いついたのは夢の世界でした。
夢から覚める時、顕在意識に移行するとき、
運が良いと夢の世界の美しさをまぶたに残しながら目覚める時があります。
目覚めた後、あら残念!
あんな美しい世界にいたのに。
なんでこんなに淀んだ世界に戻って来てしまったの?
そんな経験を思い出しました。
シャバンヌの作品は多く壁画です。
それもあろうことか(これはわたしの常識を超えているというだけのこと)、
キャンバス地に油絵です。
画かれている人物は、
わたしの印象では、ギリシャ時代を彷彿とさせます。
解説では時代を超えた衣装とのことでしたが。
これも夢の世界を想像させます。
シャバンヌや絵についての解説はひと通り見聞きしましたが、
やっぱり何も知らずに絵を観て、
そこから夢と同じ世界を感じ取れたことは感動でした。
静かなあとに残る感動です。
2014年02月12日
シャヴァンヌの夢の世界
posted by 天の鳥船庵 at 15:39
| あれこれ
2014年02月07日
いばら姫」から夫婦の会話とその後
1月26日に、関西福祉大学教授 半田 結 による
「おとぎ話とこころの成長」講演会が開かれました。
ご出席下さった方々は、お帰りになった後、
この講演内容をどのように消化されたでしょう。
この会場には4組の夫婦がいました。
これは異例なことです。
今年は夫婦和合の年、
バランスを心掛ける年なのでしょう。
女性性の時代を超えて、
男性女性のバランスを旨とするようにと、
宇宙の意向を読んだように思ったことでした。
今回取り上げたおとぎ話は「いばら姫」でした。
この話の「一番魅かれた場面」を絵にするようにと、
講師の指示でワークがはじまりました。
「一番魅かれる場面」を無邪気に拾う作業は楽しいものでした。
わたしは話の最初の場面、
お妃がザリガニに、
「お前の望みは、まもなくかなえられるだろう。」と、
言われるところを絵にしました。

隣の夫が何を選んだかを聞いて、
びっくりしました。
彼は、「美しいいばら姫の噂を聞いて、
王子たちがやってきて、
王女を助け出そうとしましたが、
やぶを通り抜けることは出来ませんでした。
いばらがまるで手のようにお互いにかたくからみ合っていて、
王子たちはいばらに引っ掛かって動けなくなり、
みじめに死んでいきました。」
というところだそうです。

夢の専門家であるわたしは、
この選択で彼の心中が透けて見えたようで、
ほっとしました。
これで彼は一歩前に踏み出せると思ったのです。
でも、この選択を彼はどのように受け取っているだろうかと、
2、3日後に訊いてみました。
(わたしが運転し、彼が助手席にいるドライブ中のことです。
ふたり共顔を見合わせず話が出来ます。)
「『いばら姫』を読んで、10人いたら10人、
王子たちが死んでしまうところを選ぶとは考えられないんだけど。
百人いてもひとりもいないと思うわ。
千人いたらもしかしたら、ひとり位いるかもしれない。
でも、正直1万人にひとり位に珍しい選択だと思うのだけれど。
なんでここを選んだの?」と、訊いてみました。
彼曰く、
「だって王子たちが惨めだと思ったのさ。
辛いだろう。
絶望だよ、先に望みも無いし。
無力感、自分には力が無い。
何も出来ない。惨めさ。
存在理由の無さ。
これで終わっちゃうのか。。。。。。
惨めで辛いね」
言っているうちに、
少し力が入ったようでした。
これまで彼が抱えて来た心の重荷を、
死んでいった王子たちの身を思うことで、
吐露していたのです。
そこで、
「どんな感情が浮かんだの?」と、訊いてみました。
「感情は無いよ。」
重ねて、
「惨めで辛いだろうと思うのに感情は無いの?」
「感情は無いね。」
見事な答えです。
「惨めって悲しいでしょ?
辛いって悲しいでしょ?
悲しいって感情じゃないの?」
「あぁ。。。。
。。。。。そうだね。
そう言われれば、悲しいよね。。。。。。
自分が何も出来ない惨めさって悲しいよね!
。。。泣けるよね。
悲しいんだね。。。。。」
この数年、彼はじっと無力感を抱えかたくなでした。
その自分にいま向き合い、
自分を慰めているのです。
誰に指摘されるでもない、
そんな自分に直面の場面を、
このワークで彼は自分にこしらえ、
自分で自分を癒していきました。
彼は自分の感情を味わうことで、
学びを得たのです。
この日が28日だったでしょうか。
29日には恩師を看て下さっている主治医が電話をくれて、
恩師は後1週間ほどだと聞かされました。
看病中の娘さんに電話をしたら、
父親は意識が混濁しているけれど、
夫が描いた肖像画を見せると正気に戻ると話してくれました。
そして、しばらくして正気の恩師と夫は電話で話が出来ました。
夫の持てる才能が一番花開いた肖像画で、
画家冥利に尽きるうれしい反応を、
恩師自らが夫に示してくれたのです。
電話でのやり取りは後で聞かされたのですが、
それを話してくれる夫のまぶたはいつも以上に腫れぼったく見えました。
昨夜(2月6日)その方が亡くなりました。
みんながみんな覚悟していた死でしたから、
本当にご苦労様の気持ちと、
感謝だけが胸一杯に迫ります。
淡々とした日常ですが、
奇跡の流れ、
感情の浄化と癒しの流れです。
「おとぎ話とこころの成長」のお話でした。
「おとぎ話とこころの成長」講演会が開かれました。
ご出席下さった方々は、お帰りになった後、
この講演内容をどのように消化されたでしょう。
この会場には4組の夫婦がいました。
これは異例なことです。
今年は夫婦和合の年、
バランスを心掛ける年なのでしょう。
女性性の時代を超えて、
男性女性のバランスを旨とするようにと、
宇宙の意向を読んだように思ったことでした。
今回取り上げたおとぎ話は「いばら姫」でした。
この話の「一番魅かれた場面」を絵にするようにと、
講師の指示でワークがはじまりました。
「一番魅かれる場面」を無邪気に拾う作業は楽しいものでした。
わたしは話の最初の場面、
お妃がザリガニに、
「お前の望みは、まもなくかなえられるだろう。」と、
言われるところを絵にしました。
隣の夫が何を選んだかを聞いて、
びっくりしました。
彼は、「美しいいばら姫の噂を聞いて、
王子たちがやってきて、
王女を助け出そうとしましたが、
やぶを通り抜けることは出来ませんでした。
いばらがまるで手のようにお互いにかたくからみ合っていて、
王子たちはいばらに引っ掛かって動けなくなり、
みじめに死んでいきました。」
というところだそうです。
夢の専門家であるわたしは、
この選択で彼の心中が透けて見えたようで、
ほっとしました。
これで彼は一歩前に踏み出せると思ったのです。
でも、この選択を彼はどのように受け取っているだろうかと、
2、3日後に訊いてみました。
(わたしが運転し、彼が助手席にいるドライブ中のことです。
ふたり共顔を見合わせず話が出来ます。)
「『いばら姫』を読んで、10人いたら10人、
王子たちが死んでしまうところを選ぶとは考えられないんだけど。
百人いてもひとりもいないと思うわ。
千人いたらもしかしたら、ひとり位いるかもしれない。
でも、正直1万人にひとり位に珍しい選択だと思うのだけれど。
なんでここを選んだの?」と、訊いてみました。
彼曰く、
「だって王子たちが惨めだと思ったのさ。
辛いだろう。
絶望だよ、先に望みも無いし。
無力感、自分には力が無い。
何も出来ない。惨めさ。
存在理由の無さ。
これで終わっちゃうのか。。。。。。
惨めで辛いね」
言っているうちに、
少し力が入ったようでした。
これまで彼が抱えて来た心の重荷を、
死んでいった王子たちの身を思うことで、
吐露していたのです。
そこで、
「どんな感情が浮かんだの?」と、訊いてみました。
「感情は無いよ。」
重ねて、
「惨めで辛いだろうと思うのに感情は無いの?」
「感情は無いね。」
見事な答えです。
「惨めって悲しいでしょ?
辛いって悲しいでしょ?
悲しいって感情じゃないの?」
「あぁ。。。。
。。。。。そうだね。
そう言われれば、悲しいよね。。。。。。
自分が何も出来ない惨めさって悲しいよね!
。。。泣けるよね。
悲しいんだね。。。。。」
この数年、彼はじっと無力感を抱えかたくなでした。
その自分にいま向き合い、
自分を慰めているのです。
誰に指摘されるでもない、
そんな自分に直面の場面を、
このワークで彼は自分にこしらえ、
自分で自分を癒していきました。
彼は自分の感情を味わうことで、
学びを得たのです。
この日が28日だったでしょうか。
29日には恩師を看て下さっている主治医が電話をくれて、
恩師は後1週間ほどだと聞かされました。
看病中の娘さんに電話をしたら、
父親は意識が混濁しているけれど、
夫が描いた肖像画を見せると正気に戻ると話してくれました。
そして、しばらくして正気の恩師と夫は電話で話が出来ました。
夫の持てる才能が一番花開いた肖像画で、
画家冥利に尽きるうれしい反応を、
恩師自らが夫に示してくれたのです。
電話でのやり取りは後で聞かされたのですが、
それを話してくれる夫のまぶたはいつも以上に腫れぼったく見えました。
昨夜(2月6日)その方が亡くなりました。
みんながみんな覚悟していた死でしたから、
本当にご苦労様の気持ちと、
感謝だけが胸一杯に迫ります。
淡々とした日常ですが、
奇跡の流れ、
感情の浄化と癒しの流れです。
「おとぎ話とこころの成長」のお話でした。
posted by 天の鳥船庵 at 14:00
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