これで記事を書ける時が来るとは思いもしなかったのだけれど、
今朝の瞑想中に、
やってみようと急遽思い立ちました。
夢の中で、この言葉だけを聴いたのです。
もう30年は前のこと。
フランス語だとは直ぐに分りました。
フランス語独特の発音ですから。
しかし、フランス語なんて短大から大学編入時に申し訳程度に触れただけ。
発音を頼りにフランス辞典を片端から見て見つけてやろうと、
決意だけはしました。
夢で知りもしない言葉が正確にわかるとは、
とても魅力的でしたし、
これが生半可なものではないと、
信じて疑いもしませんでしたから。
しかし、「a」からはじまる単語。
それに次が「b」。
作業はあっけなく、お目当ての単語に辿り付けました。
ところが、意味を知って、
そこで止ってしまいました。
単語は、お察しの通り形容詞。
意味は、「誓絶の、放棄の、取り消しの、acte 〜 改宗の誓約(書)。
動詞の「abjurer」でもなく、
名詞の「abjuration」でもないのは何故だろう。
はてさて。
これから先は一歩も進めません。
フランスと言えば、
ひとつ大好きな過去生があります。
夢で知った過去生なので立証はできませんが、
わたしの心の中では納得している過去生です。
南フランスの片田舎。
恐らくアルル地方の乾いて平らなところ。
めぼしいものは何も無い片田舎(夢の印象では)。
そんなところがあるのか無いのか、
確かめる気はありません。
が、そこの村の牧師。
それが過去生です。
ちょっとずんぐりむっくりしている。
ハンサムとはほど遠い。
けれど、心の中では、
一日中神と対話しているという心の持ち主です。
そこはかとないユーモアがあって、
昔々のハリウッドの俳優ダニー・ケイが演じたセンスの持ち主。
村の住人たちの話し相手が彼の主な仕事。
彼の夢を見て、
こんな人になりたい。
こんな人でありたい。
そう、思ったものです。
しかし、この牧師と「abjuratoire」を繋げたことがありません。
どうしてか、いまのいままで。
それが、今日になってひとつになったのでした。
牧師の彼は本部と縁を切ったのだろうと。
壮絶な葛藤に悩まされた人生だったのだろうと。
わたしもこの夢を見てから数年後に、
「誓絶の、放棄の、取り消しの」のに匹敵する日々を過ごしたものです。
あぁこれなんだと、
合点しました。
長い歴史の中でいまこそ、
政治が、規制の宗教が、
民衆側にはいないとはっきり見える時はありません。
夢に登場する言語はいろいろです。
自国語、外国語、失われた民族の古語。
そんな言葉が、
しっかり聞こえたり、
目に焼き付くように文字を見た時は、
取り敢えず記録します。
そして調べられる限りを調べてみます。
しかし解読できるには長い時間がかかるかもしれません。
おそらく、人生のメインテーマに関係するからなのでしょう。
焦らず、深く自分を知り、
自分に刃を向けずに、
自己反省をいとわないでいるには、
自分の人生も長い目で捉える力が無いと、
夢の言語を理解できないかもしれない。
自分を優しく受け入れられないかもしれない。
そして、いま長い輪廻の輪を解き放てる時期に来たのだろうかと、
そんな風に思いました。
2012年07月13日
夢で聴いた「abjuratoire」
posted by 天の鳥船庵 at 16:12
| 夢のメッセージの取り方