以前長くアシスタントをしてくれた方が、
再びわたしのもとで夢の勉強をしています。
去年の3・11から派生した環境の変化で、大きな決断を迫られたのです。
大事な大事な問題が起こったのですが、
その決断を下せずやって来ました。
ご伴侶はとてもユニークなしっかりした女性で、
夫に、自分ひとりで自分の人生を自立した人間として決断出来るようでいて欲しいと、
望まれています。
こんな表現を使うと誤解されそうですが、
彼女の考えるその内容はかなりグレードの高いものです。
長く結婚生活を送られている方には、
この辺のところをご理解いただけるかもしれません。
多く日本男性はこうした問題を抱えています。
しかしそれを課題と認識するには、
妻の側に高い見識があってこそとなります。
問題の核は、物質的な問題ではなく精神的な意味のひとりだちです。
ふって湧いたように、
自分の趣味の語学が呼び込んだ不安定な海外生活のチャンスが訪れました。
独り立ちするにはもってこいの話です。
長いこと随分悩んでいました。
わたしたちは彼の足踏みをそばでじっと見つめていました。
その間彼に取って意外だったのは、
身近の誰もがこの案に反対しなかったことのようです。
誰かが強く反対してくれれば、
思いとどまったでしょうか。
紆余曲折ののち海外生活を選び取った彼は、
自分が最も得意なその語学で、
わたしたちに旅立ちの挨拶をしてくれました。
わたしたちは彼の趣味を知ってはいましたが、
どれほどのものかを知らずにいました。
それに理解する力もありませんでしたが、
その彼の挨拶を聞いて、
これこそ彼がやりたいことだったと心底思ったものです。
彼は安定して誇らしげで、楽しげでしあわせそうでした。
何であんなに彼が悩んだのだろうと、
その方がいぶかしいような。
立って挨拶をする彼は自信に溢れていました。
そして彼は桜の開花を待って飛び立ちました。
人生は選択だと言います。
この言葉に嘘はありません。
しかし自分を振り返ってみると、
決断を下す時、
最早そこに二者択一の選択はありませんでした。
夢療法家としてデビューするか、しないか?
わたしにこの選択はあっただろうか?
夢療法家の自分を想像するとワクワクするのです。
だからわたしの気持ちは、「夢療法家しかない!」でした。
夢療法家になったら、
どんなに楽しいだろう。
夢を語ることが一番楽しいのだから、
それを仕事に出来るなんて、楽しいだろうなと。
その楽しさに自分をどっぷり浸からせてみたい。
そんな体験無しにこの人生を終わらせるのはもったいない。
当然やってみれば諸々の雑事に苦労はつきものです。
でも、魂が喜ぶ道を歩めるのだから。
歩むのだから。
その感動で新しい扉を開けただけです。
それがわたしの財産です。
夢への理解度なんて、実は財産でもなんでもない。
わたしはそう思っています。
その後無収入が長く続きました。
だから、この世的に云えば、この決断は間違いなのでしょう。
いまもこうして夢の話が出来る毎日を過ごし、
現実では成功とは云えないけれど、
魂が喜ぶ決断を下した体験は魂の財産で、
あの世に持って行かれるものだと、
わたしは思っています。
人生の選択とは感動を自分に赦すかどうか、
それのみだとわたしはいまのところ考えています。