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2011年08月25日

夢から知る怒りの対処の仕方9副題:怒りを教師にする 付録:正夢逆夢のワーク

*怒りの中心にあるもの

どうやら「手なし娘」が象徴的に伝えたい怒りは、
人に向けても自分が納得できる怒りについていっているのではないか、
と思うのです。

わたしが運転するようになって、
夫はわたしの不注意に声を荒立てる時がありました。
いまでも畳みかけるように言うことはありますが、
自分の非を認めてくれるようになりました
。運転中は、どんなに冷静に対応したつもりでも、
確認を怠ったり、
うっかりしていたなと反省することは、多々あります。
そんな反省しきりの最中に、
彼はナビゲーターとしての責任がとれないかもしれないと言う思いが、
怒りになって、
そのままきつい言葉にして、わたしに投げかけてくるのです。
一呼吸おいて、全体把握をしてくれたら、
こんなひどい態度は取れないのにと思ったものです。
「緊張しているわたしをさらに緊張させて、危険だと思わないの」
「ハンドル持ったらわたしが王様だ!」
と応戦できるようになって、
彼は自分のとった態度がどういうものか、自覚できたようです。
夫婦の何処にでもある、
人生修養の一場面に過ぎませんが。
こうして私たちは互いから問題提起を受けて、
それを少しづつ、克服しています。

また一方で、こういうこともありました。
もう数年前のことですが、
夫が短期のアシスタントをしたワークショップの受講生から、
家に手紙が届きました。
かわいらしい封筒と女文字を見て、
「なんていうことだ!」と思ったものです。
日頃からプライバシイーは絶対守ろうと、
ふたりはその点で慎重でしたから、
彼の不用意さは許されません。

他人の相談事に関わっていると、
親しみと礼儀の差が見えない人がいると、
気付かされます。

これはふたりの間で守るべき重要な約束ごとです。
幸いなことに彼は手紙が届いたとき留守でした。
何度も自分に言い聞かせ納得させて、
夫に二度とこんな不用意なことをしないよう申し渡しをしようと、
言葉の練習をしながら、
彼を待ちました。

 
何気ない風に、
冷静に手紙をわたしながら、
「どういう人?」と訊いて、
受講生というのを聞き出してから、
やおら有無を言わせないように、
「困るのよね」と申し渡しました。
大人しすぎてかわいそうに思って、
住所を教えたようです。
彼はあっさり自分の非を認めました。
あまりにも潔くて、
品格のある人だなあと知らない一面を見たようでした。

 
しかし問題はこの後のわたしでした。  

次の日、ふと気付くとわたしは昨日の件をまた持ち出していました。
「分かった」と彼は答えます。
また何時間かして、わたしは言ったんだと思います。
彼の顔が無表情になりました。
しかしその先が分かりません。
わたしは正しい、疑いようもない事実です。

ところが彼の表情はそれと関係なく、
わたしの顔を真っ直ぐに見て、
「さあ、怒って!」と返してきたのです。
その瞬間は何がどうなっているのか理解できませんでした。
でも、自分が怒りを感情で表現したがっていて、
理屈や理論ではこの怒りの炎は収まらないのだと分かりました。
「あんたが悪いのよ。バカ!」と彼の胸を借りて、
感情を投げかけることができ、
わたしのもやもやは解消しました。 

このふたりそれぞれの怒りのタイプを、
先ほどの「人に向けても自分が納得できる怒り」と、
「人に向けたら自分の霊性に恥じる怒り」に当てはめて考えてみましょう。
わたしの怒りは前者で、夫のは後者です。
何故怒りに二つの種類があるのでしょう。
怒りがベースにするものは何なのでしょう。

結論を急ぐと、
誰もが心の中心にもつ自己の尊厳が脅かされそうになると、
その脅威に対して怒りという感情が生じ、
心に戦闘態勢ができるのだというのが、
わたしの一応の結論です。
「自己の尊厳を守りたいので生じる怒り」の臨戦態勢と、
「自己の尊厳を守るには自信がないと感じて生じる怒り」の、
二つがあるということです。

尊厳を守ろうと感じる怒りは、
外に向けても自分が納得するはずですが、
そうはいかないわたしがいます。
また自己の尊厳を守るには自信がないと感じてしまう夫の怒りは、
自己不信を表現しているので彼自身苦しみます。

結局自己の尊厳が危険にさらされると、
自己の尊厳を自らがどう扱えるか、
そのときの魂の理解度によって、
怒りの感情を扱っているわけです。

そこで自分の怒りをどう扱うかですが、
怒りの感情を感じたら、
どっちの怒りだろうかと、
自分で自分を観察するのが一番だろうと思っています。
夢のなかの自分の怒りはその点、良き鏡です。
夢の中の自分の怒りは、
自分の尊厳のために表現されなければならないとなったら、
穏やかに「それ嫌いだわ」と感情を伝えましょう。
といって、「わたし怒っているの」と最初からいうのは控えましょう。

そうしても相手に伝わらなければ、
その場から離れること。
その人から離れることが良策です。
何にせよ説得は最悪の結果しか生みません。
あなたが怒りを、納得して感情を昇華して表現できれば、
あなたは怒りをコントロールできることになります。
生きているとは、
怒りの表現を創造性にまで高めることなのかもしれないと、
いまのわたしは考えています。

現在、多くの女性が自己の尊厳のために感じた怒りを、
創造の原動力にして表現できないのが問題になっています。
ユング心理学の方では、
アニムスに乗っ取られた女性と表現しますが、
わたしの怒りと同じプロセスをとります。
怒りを感情で表現せず、
論理を駆使して自分が感じているものは感情ではない、
怒りではないと結論づけて、
当然の権利や正当な要求として、
改善を求めます。
このタイプの女性の言動を子細に検討することで、
将来人間はどうあったらいいかが見えるのではないかと、
わたしは思っているのですが。

この点については、またの機会に譲ることにしましょう。


posted by バンナイ at 07:32 | 夢のメッセージの取り方

夢から知る怒りの対処の仕方8副題:怒りを教師にする

*怒りの中心にあるもの

どうやら「手なし娘」が象徴的に伝えたい怒りは、
人に向けても自分が納得できる怒りについていっているのではないか、
と思うのです。

わたしが運転するようになって、
夫はわたしの不注意に声を荒立てる時がありました。
いまでも畳みかけるように言うことはありますが、
自分の非を認めてくれるようになりました
。運転中は、どんなに冷静に対応したつもりでも、
確認を怠ったり、
うっかりしていたなと反省することは、多々あります。
そんな反省しきりの最中に、
彼はナビゲーターとしての責任がとれないかもしれないと言う思いが、
怒りになって、
そのままきつい言葉にして、わたしに投げかけてくるのです。
一呼吸おいて、全体把握をしてくれたら、
こんなひどい態度は取れないのにと思ったものです。
「緊張しているわたしをさらに緊張させて、危険だと思わないの」
「ハンドル持ったらわたしが王様だ!」
と応戦できるようになって、
彼は自分のとった態度がどういうものか、自覚できたようです。
夫婦の何処にでもある、
人生修養の一場面に過ぎませんが。
こうして私たちは互いから問題提起を受けて、
それを少しづつ、克服しています。

また一方で、こういうこともありました。
もう数年前のことですが、
夫が短期のアシスタントをしたワークショップの受講生から、
家に手紙が届きました。
かわいらしい封筒と女文字を見て、
「なんていうことだ!」と思ったものです。
日頃からプライバシイーは絶対守ろうと、
ふたりはその点で慎重でしたから、
彼の不用意さは許されません。

他人の相談事に関わっていると、
親しみと礼儀の差が見えない人がいると、
気付かされます。

これはふたりの間で守るべき重要な約束ごとです。
幸いなことに彼は手紙が届いたとき留守でした。
何度も自分に言い聞かせ納得させて、
夫に二度とこんな不用意なことをしないよう申し渡しをしようと、
言葉の練習をしながら、
彼を待ちました。

 
何気ない風に、
冷静に手紙をわたしながら、
「どういう人?」と訊いて、
受講生というのを聞き出してから、
やおら有無を言わせないように、
「困るのよね」と申し渡しました。
大人しすぎてかわいそうに思って、
住所を教えたようです。
彼はあっさり自分の非を認めました。
あまりにも潔くて、
品格のある人だなあと知らない一面を見たようでした。

 
しかし問題はこの後のわたしでした。  

次の日、ふと気付くとわたしは昨日の件をまた持ち出していました。
「分かった」と彼は答えます。
また何時間かして、わたしは言ったんだと思います。
彼の顔が無表情になりました。
しかしその先が分かりません。
わたしは正しい、疑いようもない事実です。

ところが彼の表情はそれと関係なく、
わたしの顔を真っ直ぐに見て、
「さあ、怒って!」と返してきたのです。
その瞬間は何がどうなっているのか理解できませんでした。
でも、自分が怒りを感情で表現したがっていて、
理屈や理論ではこの怒りの炎は収まらないのだと分かりました。
「あんたが悪いのよ。バカ!」と彼の胸を借りて、
感情を投げかけることができ、
わたしのもやもやは解消しました。 

このふたりそれぞれの怒りのタイプを、
先ほどの「人に向けても自分が納得できる怒り」と、
「人に向けたら自分の霊性に恥じる怒り」に当てはめて考えてみましょう。
わたしの怒りは前者で、夫のは後者です。
何故怒りに二つの種類があるのでしょう。
怒りがベースにするものは何なのでしょう。

結論を急ぐと、
誰もが心の中心にもつ自己の尊厳が脅かされそうになると、
その脅威に対して怒りという感情が生じ、
心に戦闘態勢ができるのだというのが、
わたしの一応の結論です。
「自己の尊厳を守りたいので生じる怒り」の臨戦態勢と、
「自己の尊厳を守るには自信がないと感じて生じる怒り」の、
二つがあるということです。

尊厳を守ろうと感じる怒りは、
外に向けても自分が納得するはずですが、
そうはいかないわたしがいます。
また自己の尊厳を守るには自信がないと感じてしまう夫の怒りは、
自己不信を表現しているので彼自身苦しみます。

結局自己の尊厳が危険にさらされると、
自己の尊厳を自らがどう扱えるか、
そのときの魂の理解度によって、
怒りの感情を扱っているわけです。

そこで自分の怒りをどう扱うかですが、
怒りの感情を感じたら、
どっちの怒りだろうかと、
自分で自分を観察するのが一番だろうと思っています。
夢のなかの自分の怒りはその点、良き鏡です。
夢の中の自分の怒りは、
自分の尊厳のために表現されなければならないとなったら、
穏やかに「それ嫌いだわ」と感情を伝えましょう。
といって、「わたし怒っているの」と最初からいうのは控えましょう。

そうしても相手に伝わらなければ、
その場から離れること。
その人から離れることが良策です。
何にせよ説得は最悪の結果しか生みません。
あなたが怒りを、納得して感情を昇華して表現できれば、
あなたは怒りをコントロールできることになります。
生きているとは、
怒りの表現を創造性にまで高めることなのかもしれないと、
いまのわたしは考えています。

現在、多くの女性が自己の尊厳のために感じた怒りを、
創造の原動力にして表現できないのが問題になっています。
ユング心理学の方では、
アニムスに乗っ取られた女性と表現しますが、
わたしの怒りと同じプロセスをとります。
怒りを感情で表現せず、
論理を駆使して自分が感じているものは感情ではない、
怒りではないと結論づけて、
当然の権利や正当な要求として、
改善を求めます。
このタイプの女性の言動を子細に検討することで、
将来人間はどうあったらいいかが見えるのではないかと、
わたしは思っているのですが。

この点については、またの機会に譲ることにしましょう。


posted by バンナイ at 07:32 | 夢のメッセージの取り方

2011年08月22日

夢から知る怒りの対処の仕方7副題:怒りを教師にする

*両手の機能を知る

怒りについてケイシーが言っている言葉のなかでも、
わたしが最も感動を覚えたのは、
「怒ることを知らないものは価値がないに等しい。
だが、怒りをコントロール出来ない者は、
怒らない者よりもなお悪い!」
(リーディングナンバー:524−1 25歳女性 1934年2月26日)というものです。

「怒ってはいけない」とそれだけしか親に言われてこなかった私にとっては、
してやったりと嬉しかったものです。
わたしの目を引いたのは、
前半の怒っていいと言っているように聞こえる部分だったと、
後になって気付くことになるのですが。

前半は、「怒って良いのだよ」と受け取れます。
ワークショップでもいまは、
怒りは自然な感情だからそれを感じて、
それを適切に表現しましょうと教えます。
さて、後半を子細に検討すると、
前半と後半の間に膨大な説明がいるようです。

このケイシーの言葉には、
どの怒りをどう表現したらいいという提案もないのですから。
ただ、「怒りをコントロールできない者は最悪だ」と言っているようなものです。
この25歳の女性が、
このリーディングをどのように役立てられたのかしらと、
ちょっと心配になります。

それほど怒りの表現は大問題で、
「分かったから実行しましょう」となるには、長期の努力が必要です。
「怒らない者よりなお悪い!」とケイシーは締めくくっていますが、
これから察するに、この女性は怒れる人のようです。
この女性がこのリーディングを読んだとき、
彼女の胸の内にどんな感情が湧いたでしょう。

怒れないわたしは、
何をどう怒ったらいいか、安直な方法論が欲しくなります。
ワークショップでファシリテーターを努めると、
アシスタントのみなさんに
「坂内さんは怒っているのか笑っているのか分からない」と言われます。
いけないことはいけないと、
身体も表情も統一しなければ、
受講生に伝わらないと、アシスタントはわたしに言いたいのです。

言葉では「ノー」と言えても、
身体は逃げるし、
表情はお愛想笑いになってしまうのです。
まさしくわたしは怒ることを知りません。
恐くて出来ないのです。

両手切断の夢で説明すると、
右手の機能である「人に怒りを向けることのできる手」が、
わたしにはないのです。
親が怒ってはいけないと言ったので、
その言いつけを盲目的に守ったからです。

わたしは自分の魂を呼び覚まし、
それがわたしのすることかどうかを吟味さえしなかったのです。

ではここで両手の機能についてお話ししましょう。

右手は、自分の愛を表現する機能、
左手は、他人の愛を受け取る機能を表します。
この両手がスムースに機能すると、
他人とコミュニケーションが取りやすく、
孤立しないでいられます。
また愛ばかりではなく、
エネルギーの交換も両手で行い、
創造的な仕事を成し遂げるには、不可欠な機能です。

しかし問題はこれからで、
右手は、人に怒りを向けることの出来ることを表し、
左手は、他人との関わりを拒否したり、
他人を見捨てることの出来る手を表します。
つまり、親や年長者によって摘まれた願望や無邪気さを、
自分特異の人生体験を通して再び取り戻せたとき、
ひとりの人間として、
怒りを表現できなければならないのです。

日常生活でも、他人が無礼なことをしてきたら、
そのときはっきりと「失礼ね」と言えれば、
いじめの芽も野放図に伸びることはありません。
これ以上は許されないと、
無礼をはたらいたものは知らされるからです。
しかしこれが出来なければ、
無礼はだんだんエスカレートして、
どちらも泥沼にはまってしまいます。
これが右手の機能です。

左手は、余計な親切を断れることです。
いらないお世話に素早く対応できれば、
自由でいられます。
ひとりでやれそうな場面で、
「大変でしょうから、代わってやってあげましょう」と、手を差し出されることは間々あります。それを断ることの出来る自信が、左手の機能です。

しかし、この「手なし娘」が象徴的に伝えている両手の機能が分かっても、
リーディング524−1の女性がコントロールできないでいる怒りの質と、
何処か違うような気がしませんか。
人に向けても自分が納得できる怒りと、
人に向けたら(とき経て)自分の霊性に恥じを覚える怒りは、
違った種類の怒りであるように思うのですが。

ここからは私見です。
こんな考え方もあるのだと、お読みください。


posted by バンナイ at 09:12 | 夢のメッセージの取り方

2011年08月07日

夢から知る怒りの対処の仕方6副題:怒りを教師にする

*トラウマと怒り

わたしが関わった受講生のなかにも、
両手切断の夢を見た人は何人かいますが、
その中のひとりは、わたしによって両腕を切られ、
わたしがまたそれを付け直すという夢を見ています。
それを知らされたわたしは自覚を持っていませんでしたが、
その受講生にとってはわたしという存在はよほど特別だったのでしょう。
子供が親に対して感じるのと同じようにこの夢主(=夢を見た本人)も、
わたしへの価値観や評価が大きく揺れるのをどうしようもなく、
苦しんでいたように感じます。
いまもその方のなかでは、この両手切断の夢を巡って、
大きなドラマが展開しているかもしれません。

自分の子供の夢に、両手を切断する親として登場する人もいます。
子供のないわたしは、受講生を通して親になる幸運を得たとも言えるのですが。

両手切断の夢を見た瞬間から、夢主は激しい情動に襲われます。
だからといって、大人の分別はそれを誰彼に話すことも叶いません。

そんなときは、「手なし娘」をじっくり読むと良いでしょう。
しかしその前に可能な限り、
激しい情動のなかに身を置くことをお奨めします。
ひとりだけの空間を作り、瞑想のポーズを取った上で、
情動の満干を味わい尽くすのです。
他にも、情動を味わい尽くせるものなら何でもいいでしょう。
感情を揺り動かすような映画やビデオ、
人によってはテレビゲームもお奨めです。
好きな芸術に触れたり、
雄大な自然のまっただ中に自分をおいて、
時間を掛けて感情を感じてみるなど、
やれることなら何でも良いでしょう。
「手なし娘」に限らず、
感情を揺り動かされる夢は、この仕上げが必要です。
感情を感じられる力は、心の強さに比例するように思えるからです。

その後で、「手なし娘」を解説した心理学の本を読まれることをお奨めします。
分析的で気に入らないと、思われることもあるかもしれません。
しかし気持を納得させる責任は自分にあります。
情動を味わい尽くした後は、理論や分析が知恵を呼び覚ましてくれます。
体験から知恵を引き出す鍵は、常に感情を感じることから手に入れられます。
理性だけでは、英知は手に入りません。
もし夢の情動を味わうことがなければ、
どうしても善悪で全てを捉えがちになるからです。

この情動のなかにある感情のひとつが、怒りです。
怒りをコントロールするためには、
怒りを味わい尽くして、炎を煙に昇華して、天に返さなければなりません。

夢で、これがトラウマの例だと分かるものは、そう多くはないでしょう。
トラウマを越えるという意味では、
一般に言う親殺しの夢というのがありますが、
これは一種のイニシエーションで、
言葉を換えれば、心の成人式みたいなものです。
両手切断の夢はその意味で、自分のトラウマを知るラッキーな夢と言えるでしょう。


posted by バンナイ at 06:50 | 夢のメッセージの取り方

2011年08月04日

夢から知る怒りの対処の仕方5副題:怒りを教師にする

*トラウマの典型夢

それでも、家長に服従して自分をあきらめるなんて、
とても理解できないことだと、
これを読まれる方のなかにはそれこそ怒りを覚えられる人もあるかもしれません。
あるいは、著者の特例を一般論にしていると、
この考えそのものに距離を取りたいと思われる方もおいででしょう。
時代が違うという見方をされる方もいるかもしれません。
すべては善意で為されるのだから、
怒りが生じたとしてもそれを精神力で解決していくのが生きていることで、
作為的に怒りを大げさに扱っていると、
受け取られる方もおいでかもしれません。

そこでここに「両手切断」という典型夢について話しをしましょう。
典型夢というからには、
この種の夢の報告が多いということです。
しかし他人の夢に接することのない読者のみなさんには、
初耳かもしれません。

夢で文字通り、両手が切られる夢です。
大抵は手首から先が切り取られるのですが、
肩から先の両腕が切り取られることもあり、
肘から先がないということもあります。
このショッキングな夢で、
誰が夢主(注:その夢を見た本人のこと)の両手を切り取るのかと言えば、
ほとんどは親です。
わずかに夢主が尊敬する人だったり、
夢主に深く関わる年長者だったりすることもあります。

つまり、両手切断の夢は、
辛い経験を他ならぬ親によってさせられるわけですから、
トラウマを分かり易く説明する、
格好の夢となるわけです。
かわいい我が子を親の手で不具者にするわけで、
はじめてこの種の夢を知ったときは、
にわかには信じられないし、
信じたくもない心境でしたが、
この種の夢は何処にも存在します。

親の価値観を子供に必要以上に当てはめようとすれば、
すでにその時点で、
その子の右手の機能のひとつは失われるわけです。
手の機能については後ほど説明することにしましょう。

両手切断は夢ばかりでなく、
世界中の民話にもあります。
日本民話にもグリム童話にもあります。
「手なし姫」あるいは「手なし娘」という題が付いていますので、
興味のある方は、お読みください。
心理学の本にもこのテーマは良く登場します。


posted by バンナイ at 06:03 | 夢のメッセージの取り方
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