画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite
ブログアーカイブ

2011年07月30日

夢から知る怒りの対処の仕方4副題:怒りを教師にする

*怒りは上下関係があるところに生まれる

夫の怒りのパターンを見ていく前に、
私が知っている怒りについてお話ししましょう。
わたしが子供の時に親から怒りについて言われたことは、
「怒ってはいけない」というそれだけでした。
どうして怒ってはいけないかとか、
怒りはどう処理したら良いのかとか、
怒って良い場合と悪い場合があるというのもありません。
ただ、「怒ってはいけない」というそれだけです。
怒ることのない平安な心の持ち主こそ、
上等な人間なのだと、
言外に言われたような感じです。

これは子供にとっては大変な苦痛です。
実家は使用人を含めて常時15,6人はいる大所帯でしたから、
人間関係の摩擦は至る所にありました。
それなのに、
怒りはこの家の中には存在せず、
毎日平和に過ごしていると、
思うようにしなければならなかったからです。
今になると信じがたい話しですが、
祖父が咳払いすると、
一家全員はシンと静まり返るような規律正しい家でした。

権力者がすべての実権を握って、
統制のとれた規律正しい生活をしていることが、
祖父にとっては何よりの誇りだったのでしょう。

何故こんなことを取り立ててお話しするかというと、
統制する者としない者という関係を、
自分以外のものと結ばなければならない環境にあると、
必ずそこに怒りが生じます。
自分の心の要求や願いは脇に置いて、
統制する者の意向を尊重しなければならないからです。
自分の欲求や願望は、
生まれたての赤ちゃんから、
命を閉じる瞬間を迎えるものまで、
生きているものはすべて、
当然の権利として持っていたいものです。
それなのに、意志力を振るえるものと振るわれるものの関係は、
簡単に膠着したものになります。
自分の願いを自分が実現するのではなく、
他人の願いを自分のもののように行動していくなんて、
自分の本来の在り方からは、あり得ない。
望みたくもないことなのに、
しっかり結ばれたこの力関係は、
かえって緊張感を和らげ(?!)、生きやすいと誤解させます。

難問に、苦労して自分の責任だけで結論を出すこともありません。
路頭に迷うこともありません。
命を脅かされることもない代わり、
感情を感じることを自分であきらめ、
生き生き生きることを放棄するのです。

これは一見夫のトラウマの原因とは異質に感じられますが、
力あるものとないもの、
親と子の関係は意志の疎通が図れなければ、
同じと考えても、差し支えないでしょう。
さらに言えば、
ステイタスの有無も同じはたらきがありますから、
だいぶ平等になったいまの社会でも、
この力関係はしっかり存在しています。


posted by バンナイ at 18:15 | 夢のメッセージの取り方

2011年07月28日

夢から知る怒りの対処の仕方3副題:怒りを教師にする

*トラウマにさわる日常の出来事

彼がイラついて怒っていたのは、
わたしが不用意に机の角に頭をぶつけたり、
物を落としたり、
包丁で指を切ったりという、
本当に些細なことが次から次と起こることに耐えられないからでした。

わたしにしてみたら、唖然呆然、
そんなこと何処にでもあることで、
大したことじゃないわ!
と言い返したい気分になったものです。
わたしのそうした不用意なおっちょこちょいが、
彼には、
小さなころの妹の姿に繋がるのだそうです。
彼の父親は、
妹の不注意や小さな事件にいつもイライラしているように見え、
お兄ちゃんとしてはいたたまれない思いをしたのだそうです。
庇ってあげられなかったということでしょう。

ここからが短絡的というか、
彼特有の論理なのですが、
妻を守れないかもしれないという恐怖に駆られるのだそうです。
それでわたしがへまをやる度に、
彼は平和でいられないというわけです。

ほんの小さな何処にでも起こりそうな事件に、
彼はかろうじて、
怒りで自分を弁護しているように感じもしましたが、
自分のこの怒りのパターンに苦しんでもいるようでした。


追記:この10年前の記事を読み返して、
    後年の彼の夢を思い出しました。

そこでは、中国のある国の衛兵だそうです。
お姫様を対岸まで送り届けるのが彼の役目で、
河を渡っている最中の場面だそうです。
お姫様が対岸にたどり着いたのを見て、
「あぁ、これで死ねる!」と、
ほっと安堵して死んだということでした。
姫はわたしだそうで、これを聞いたとき笑えませんでした。
「それに、俺は捨て駒なんだ。
もうひとりの衛兵は屈強で大人物」と。

この夢から、
彼が自分の尊厳を取り戻すために今生があることが分ります。


posted by バンナイ at 15:36 | 夢のメッセージの取り方

2011年07月26日

夢から知る怒りの対処の仕方2副題:怒りを教師にする

*隠した怒りは他人に見える

これまで、窮地を夢で助けられた経験はたくさんありますが、なかでも一番印象的な夢の話しからはじめましょう。

夫と生活をはじめてまもなくのことです。一晩に三つの夢を思い出しました。

A.夫は怒っている。

B.トイレの便器の前で何人かの人と共に、便器の汚物を流すかどうかで議論をしている。

C.小川の橋の下で、少女ふたりは死んで川のなかにうずくまっている。


「助かった!」と思ったのは、夫が怒っていると夢で知らされたことです。
自分の恋愛を心理学的に分析するのは、
無味乾燥で趣味も悪いでしょうが、
この場合は分かり易いのでふたりの間に何があったかを分析的に解説してみましょう。

どの恋愛にもある、
いつも通りの劇的出会いがあって、
奇跡が次々に起こって、
相手に最高の陽性転移をして、
クライマックスを迎えたふたりは、
いつも一緒にいたいと、
多くの時間をふたりだけで過ごすようになりました。

それもしばらくすると、
相手の様子に受け入れられないものを見つけて、
イヤだなと思いはじめます。

夫がわたしのある部分をイヤだと思い始めて、
陽性転移が陰性転移に移った丁度そのとき、
わたしを支えるように、
夫が怒っている夢を見させられたのです。
うすうす感じてはいても、
わたしのなかではまだ陽性転移一色でしたから、
事実を否定したかったのでしょう。
しかし「そうなんだ!」と合点がいきました。
「なんかこのところ話しかけても、
返事がほんのちょっと遅れて、
変な感じたったわ」と、
自分の迂闊に苦笑いです。
当然見えていても、
恋に浮かれたわたしは、
見て感じて手を打たなければならないことを、
無視し続けたのです。
相手を真っ直ぐに見ていなかったのです。
恋の色眼鏡を通して、いい加減でした。

何が気にくわないのか、それは直ぐには分かりませんでした。
彼に「わたしに怒っているでしょう」と言ったんだと思います。
自分でもそう感じるし、夢でも怒っていたからと。

それまでに、
ふたりの間に何があってもまず話し合おうと約束できていたので、
彼は約束通り話をしてくれました。

彼の話は衝撃的でした。

ーつづくー


posted by バンナイ at 06:08 | 夢のメッセージの取り方

2011年07月19日

夢から知る怒りの対処の仕方1副題:怒りを教師にする

*トラウマと過去世のテーマに共通の感情

前々回、霊性とは生き方だとお話ししました。

事に当たって、その人が何を言い何をするかは、
その人の霊性の在り方が決定するとお話ししました。
まだ幼い頃、
自分の願い通りに扱われなかったことで生じたトラウマは、
そのとき感じた感情の傷だけが残って、
自分の行動の核になります。
自分が事に当たって同じような反応をする理由は、自分には見えません。
が、ある時その不自由さに気付いて、
意図的に自分の行動を探ると、
その特色が見えて、あるがままの姿から、
何処か違うと思えるようになります。
それが気付きと成長のきっかけになります。

この流れを受けて、
トラウマと夢から知る過去世のテーマがどうやら同じものらしい、
というところまで前回お話ししました。

そして、わたしの夫は事に当たってでてくる感情が怒りであり、
わたしは無感動と悲しみだという話しをしました。

今回はその自分の抱えるテーマに秘められた感情が、
どういう意味を持つものかを、見ていきたいと考えています。

事に当たって、
理性がはたらく間もなく、
トラウマに誘発されて沸き上がる感情が、
あるがままの自分に何を伝えようとしているのか、
見てみましょう。
これが、今回のテーマ「怒りを教師にする」になります。

ーつづくー


posted by バンナイ at 17:18 | 夢のメッセージの取り方

2011年07月13日

瞑想についての話

わたしは夢の専門家なので、
夢以外はなるべく記事にしないことと思ってきました。

しかし、常々「夢と瞑想は一組」ですと申し上げているので、
つたないながらも瞑想に取り組んで来た体験から、
みなさんのお役に立つかもしれないことを、
ほんの少しお話しします。

どなたも瞑想に取り組む際は、
たいてい「瞑想はするものだ」という話しに触れてのことでしょう。
それも「自分を知るには瞑想は不可欠だ」とかなりの文献がいうからだと思います。

表現はいろいろでも自ら瞑想・黙想を自発的に思いつく人はいないでしょう。

さて、そこでどうやったら瞑想になるのか、
これがまた高いハードルです。
手順ややり方を外に求めて、
あれこれやってみても、
自分が瞑想をしているかどうか確信が持てない方もおいででしょう。

そんな方へのヒントになれば良いと思ってお話しします。

瞑想は音楽に身を委ねても瞑想です。
要は、何も考えず、雑念に振り回されず、
その状態を心地よく楽しむもの。
瞑想は難行苦行ではないと、わたしは思っています。

不謹慎な言葉かもしれません。
こんな言葉があるのかどうか知りませんが、
「瞑想ハイ」の状態を楽しんだら良いと思っています。

それが瞑想の極意で、
それ以上の望みを持たなくて良いものだといまは思っています。
しかし、瞑想は習慣的にした方が良いとも思っています。

そこで一日二回。
合計百分の瞑想の時間をつくられるようお薦めします。
時間は大層ですが、その分、心の中の波は緩くなり、
仕事の処理度合いは速くなるので、
差し引きプラスになるでしょう。
これは物理的な時間に置き換えた利点の計算です。
心理的スピリテュアリティ(=霊性)の面では、
一歩一歩ゆっくりと階段を昇っている感じを体験できると思います。

そのための方法ですが、
瞑想前の準備体操(軽いストレッチ)を5分強。
瞑想は30分とします。
そして瞑想から出て日常に戻るのに10分強を見積もります。

この10分程のあと処理がとても大切だといま体験しているところです。
その説明をしましょう。
瞑想の後、時間が来て瞑想をやめます。
この「やめる」は意図したものです。
自分に「やめる」と言い聞かせます。
目は閉じたまま。
姿勢はくずさずに。
すると、大きなあくびが出てきます。
最初は「なんで?」と思うかもしれませんが、
あくびは10分程出続けます。
その間、否応のないあくびの連発が、
それまで自分が瞑想状態にいたことを気付かせてくれます。

10回は超えるあくびをしながら身体を横たえたり、
ごく軽いストレッチをしたり、
さすったりして、
日常生活に支障の無い生理状態に戻していきます。
瞑想状態の間に身体の代謝機能が、
瞑想仕様になっているので、
それを戻すために、急激でないゆるやかなプロセスを辿らせて戻す訳です。
この目的は、常の意識状態と瞑想状態の間に、
いつでも行き来のできる架け橋を造る訳です。
その間必要な時間が10分程です。

この架け橋があると無いとでは、
霊性にとっては大きな違いだろうというのが、
わたしの感じたところです。

そうして、ゆっくりと目を開け日常に戻ります。

瞑想を終えさっさと日常に戻ると、
瞑想は雑念ばかりだったと忸怩たる思いにはまり、
瞑想が難行になって行くように思います。

瞑想は一種の楽しみです。
だからはまりすぎないことも心掛けには必要です。

最初、身体は瞑想が嫌いでそれに難儀もしますが、
一旦身体も瞑想が好きになると、
「瞑想ハイ」にハマってなかなか出てき難いかもしれません。

ワークショップでは誘導瞑想をいろいろします。
その際受講生はこのプロセスをよく辿ります。

ご参考までに。


posted by バンナイ at 11:15 | あれこれ

2011年07月11日

夢で霊性を知る−5−

彼の例ばかりでなく、
いま生きているたくさんの人たちの過去世の夢に、
第二次世界大戦が関わっています。
戦争は力尽くの男性原理解決法です。
今このときは、
これまでの男性原理が収束に向かっているので、
戦争の夢が多いのでしょう。
夫のような鬱気味の人には特にそれを感じます。
夫は、怒りを自分で感じていても、
そこから学ぼうとするのではなく、
犠牲を強いられたという恨みに負けて、
自分の感情に蓋をすることで自分を保ってきました。
鬱気味の人は怒りを覚えても、
それを自己表現に繋げる手立てを失っているという思い込みで、
無気力になって感情に蓋をしてしまうのでしょう。
自分に向けてしまう善悪や強弱の判断をストップさせるために、
鬱々とした思いが巡ってくるのでしょうか。
これは戦争の責任者であっても犠牲者であっても、
悲惨な経験は自責の念を生んでしまうからでしょう。

怒りの表現者になるべく生まれた夫に対して、
妻はどんな過去世の夢を見るのでしょう。
もう十五六年前の夢ですが、私が好きな夢です。

夢本体:
南フランスの田舎町。
カソリックの僧侶がこれから自殺するために、
野原を真っ直ぐ歩いて行く。
彼には光の体験もあるので、自殺する理由は全くないというのに。

夢のなかで私は、僧侶は私だと知っています。
ずんぐりむっくりの目立たない男です。

しかし彼にはコメディアンの才能があるようです。
黒づくめの僧侶の服装で、
鍔の広い帽子をかぶっています。
いつも心のなかに神がいて、
彼にとって神は畏怖するものでも、
遠い存在でもない。
無邪気に信頼できるもの、
親しいものです。
それなのにこれから自殺しに行くとは、
ここからが今の私だと納得しました。
説明は難しいのですが、
この夢が私を救ってくれたと思っています。
今生自殺願望を感じたことはありません。
しかし自分に力を感じことはありませんでしたから、
まるで日々死んだ人でした。
あんなに自分を失っていたのに、
いまは願ったことは実現すると知っている私です。
ついでにもう一つ。
私は宗教に興味はありません。
この夢を見たからといってカソリックに入信しようとは思いません。
説明の難しいところかもしれません。

「喜びを感じることも、悲しみを感じることもない私」という現実を、
そのとき受け入れるほどに私は進歩していたのでしょう。
夢はそれに立ち向かえる力があると諭してくれたようです。
過去世に蓄えがあると。

それまでの私は、現実の辛さに対抗する手段は無感動でした。
結婚初期、夫の怒りに無感動を決め込むことはよくありました。
波風は立ちませんが、霊的生活にはなりません。
進歩は望めません。
しかし彼の怒りに私が怒りで対処していたら、
結婚生活は破綻したでしょう。
かろうじて持ちこたえられたのも、
彼には彼の潔さがあったからです。
自分の非を認める勇気が彼にありました。
これは私にとって感動でした。
私はこれで彼に心を開くことができたと思います。
男性はあまり自分の非を認めたがりませんから。
男性が卑劣というより、
女性の前で謝るなんて格好悪いと思う育ちのためではないでしょうか。

自分の過去世を夢で知ると、
何とも言えない暖かい気分になります。
人は、知っていてもいなくても自分をとても愛しているからなのでしょう。
自分が自分をとも言えるし、神が自分をとも言えるのですが。
これを読まれるあなたもまた、
私たち以上に感動的で美しい過去世をお持ちです。
私たちが特別であろうはずはありません。

今回怒りについて少しお話ししました。
次回はそこで、怒りを教師にする話しをしましょう。
怒りをテーマに持つ人は、怒りを悲しみに、
悲しみで心を閉ざす人は怒りに、
それぞれ表現を変化できたとき、
囚われから癒されていきます。

夢と実生活から私たち夫婦が体験した話しをしましょう。

ー終わりー


posted by バンナイ at 12:43 | 夢のメッセージの取り方

2011年07月06日

夢で霊性を知る−4−

そんな彼と私の過去世の夢を、
ひとつづつお話ししましょう。
インナーチャイルドのトラウマの叫びは、
過去世で強く心に刻み込んだ叫びです。
特にその場面は死を迎えるときのように思います。
それを私たちの夢で見ていきましょう。

しかしその前に、過去世というからには、
歴史的にも現実的で常識的でなくては説得力がありません。
過去世はメルヘンではないからです。
自分の過去世を考えるとき、
何処にいたかったかとイメージで遊んでみるのもひとつですが、
ではそこに戦争の歴史はなかったと言えるでしょうか。
戦争の傷を受けずに済んだ場所がこの地球上に存在するでしょうか。
何処を考えても、不発弾や地雷が見つかります。
戦争に関わりのない魂が、
今人間として生を受けていると考えることはできます。
しかし私は、戦争に関わりがあったと思う勇気を持ちたいと思っています。
戦争の犠牲者であったかもしれないし、
戦争の責任者であったかもしれません。
夢から教えられる霊的真実では、
この両者にたいした別はないというのが私の見解です。
ある時犠牲者であった魂は、
ほかの人生ではその責任者であることを選びます。
両方を経験してこそ、真実が見えるというのでしょう。
前置きはこのくらいにして、夫の過去世と思われる夢をお話ししましょう。

ユダヤ人収容所のようなところ。
ぼくは腕立て伏せをさせられている。
何も着ていない。
両手両足に鉄の玉の重りを鎖でつながれている。
その向こうに高い監視塔が見える。

「今に見ておれ!」と心のなかで叫ぶ。

この夢を見た日、彼は淡々とこの夢を話してくれました。
過去世の夢には、その夢を見るだけで癒しの効果があります。
たいてい夢主は静かな気持ちになります。

丁度「シンドラーのリスト」という映画が話題になっていた頃です。
彼は深刻なこの手の映画が嫌いで、
私のガードマンで嫌々映画館へ行きました。
夢の方が映画の場面より衝撃的なのは、
裸の腕立て伏せです。
鉄の重りも衝撃的ですが。

映画では、収容所に入れられた男性ユダヤ人たちは、
裸のままグランドを一周させられていました。
夫の夢はそれより遙かに憲兵にとって能率的です。
現実の彼の生活態度を見ると、この夢の通り、
かって収容所にいたのかもしれないと思えることがあります。
ラッシュの電車が嫌いで、
缶詰状態では息苦しくなるようです。
プラットホームに立つときは、
人のいない方へいない方へと動きます。
以前はよく「人間なんて」と言いました。
深い怒りがあるようで、
私がけがをしたり危ない目に遭うと、
あろうことか、
ひどく冷たく当たったものです。
私はその度に、
「あなたの不安は、私を守れないかもしれないということのようね。
こんなことがあると不安が強くなって怒り出すんだわ。
でもそうやっていつまでも自己不審でいることはない。
私のけがはあなたの責任ではなく、
私の責任なのだから」と言ったものです。
「だいいち、困っている私に向かってさらに冷たい態度をとるあなたも、
端から見たら誉めたものじゃないのよ」とも言ってやりました。
でもこの夢で彼の心の叫びを知らされた気持ちになりました。
彼はこのユダヤ人として最後の瞬間、
絶望してしまったのかもしれません。
同じテーマを扱った「ビューティフルライフ」という映画の主人公は、
映画の題名通りこの世が恩寵に満ちているのを見ています。
どんな状況にあろうと退屈と絶望に陥ってしまったら、
いつかはおさらいの人生を約束させられるようなものです。
今生で「人間なんて」という言葉を吐きながら、
過去世で傷ついた心を吐き出しているのでしょう。
彼がその夢の話しをしてくれることで私も、
彼の深い絶望を受け止めることができました。

過去世と思われる夢を思い出したときは、
それが残酷きわまりなくてもほっとします。
霊的に自分でも「成長したな」と思える瞬間に見るのでしょうか。
不思議に夢の自分を善悪で判断しようと思いません。
どうやら過去世の夢は、
高次の自分から自分に当てて送るプレゼントのようなもののようです。

ですから、夢主が進歩すればいくつも過去世の夢はやってきます。
人は誰でも、
自分の夢で自分の魂の歴史を体験する幸運にあやかれると私は考えています。
ケイシーの例のように。

夫が、憲兵に腕立て伏せを命令されたとき、
彼の心のなかは、表現を許されない怒りが渦のように駆けめぐっていました。
彼が選んだ人間としての尊厳を保つ方法は、
このとき怒りに蓋をすることでした。
そんな状況下でも、
これを選ばなかった人は現にいます。
しかし彼は怒りに蓋をする道を選びました。
それで彼は、その怒りを自己表現にまで高める目的を持って、
今の人生を選んだと言えます。


posted by バンナイ at 05:54 | 夢のメッセージの取り方
  • (c) Kazunori Keiko Bannai All Rights Reserved
  • Home