画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite
ブログアーカイブ

2011年06月26日

この先が見えない方々へ

3月11日の大震災からこちら、それまで目的意識を持って生きてこられた方々で、先が見えないと云われるのを耳にするようになりました。

人後に落ちない創意工夫をして、生きる手応えを体験をしたのに、それがこれからは通用しないのではないかと、誰にも云えない気持ちに陥るのでしょう。

そこで、いまわたしたちは何処にいるか、それをご一緒に考えたいと思いました。

きちんと生きようと決意され、誰が何を言おうが自分の責務を果たし、それなりに成果も出て、人生の極意を見つけたように自信がついていました。いままではリーダーとなって、その自分の姿を曝け出すのもある意味心地よかったものです。

それが、天災と人災の、為す統べない状況になって、これまでの信念や信条を大事に生きて来た、これは一体なんだったのかと思うのも当然です。

インターネットで目にする情報は、これまでのマスメディアの情報の広さや奥行きとは違って、にわかに信じられない程の厚みや陰謀説が渦巻いています。

いままで「夢は持ちましょう。夢は必ず叶います。夢を持つ勇気のないものに戦う勇気はありません」と、魂の戦士を任ずるその方達はみんなの見本になってきました。

それが崩れたように思うのでしょうか。

この先に道がない。道が見えない。そうだとしても、それで良いのだとわたしは感じています。

この方達の思いは、この日本だから感じられる諦観であり、熟れた情感でもあるとわたしは感じています。こんな心情の方は、人生の課題を、ステージを上げるところなので、戸惑われているのでしょう。いっときおつらいでしょうが、それで良いのだと思います。

これまでの生き方は間違いではなく、むしろ自信を得る材料になってくれました。自信は、プライドに似た自尊心というよりは、文字通り自分を信じる・信じられる力強い味方でした。これからは違った生き方へ、天が誘おうとされる変動のまっただ中にいます。

わたしは幸いにも、社会からドロップアウトした経験が何度もあります。その度に社会の片隅に住む方で、それと気付けない魂の高貴な方々に何度かお目にかかりました。社会の物差しとはだいぶかけ離れた地味な生き方です。

それと熟視しなければ気付けない方達でもあるように思いました。毅然と自分を持ちながら、周りに溶け込める調和の人です。

社会的な評価を受けている方々は、それなりの説得力を持ち、尊敬もできますが、その枠では語れない、天国への階段を意図せず昇っているような、そんな人たちが市井にはいます。

わたしは滅多に昔を思い出さないのですが、時々胸に浮かぶ女の子がいます。昔家庭教師をしたそのなかのおひとりです。幼い感じの残る小学5年生でした。母親が「お誕生日のお祝いに何が欲しい?」とその子に訊いたところ、「毎日充分たのしいので、何も欲しいものはない。強いていうなら、ママの作った毛糸のお人形かな」と答えたそうです。

それはわたしも何体か作ったことのある、残り毛糸で作る小さな小さな5、6センチの人形です。その頃流行っていたのでしょうか。その子のことがよぎると、いつもこのことを思い出し、その子のすべてがわたしの師になります。

人は巨大なものを考え、自分も他人もその巨大なものになぞらえる習性を身につけ、前に前にと駆り立てて来たように思います。

いまはこの行き着くところまで行った生き方をすっかり変えるときです。マンネリ化した資本主義は心の豊かさとは無縁でした。何でもないことに至福の念を覚えるには、いましばらく動かなくて良いと、わたしは思っています。

夢はこの豊かさを現時点で叶えられると、いつも伝えていると思っています。しかし、わたしたちはどうしても向こうに目をやりがちです。

現時点に立ち、満ち足りているいまを感じましょう。そのためのいまなのですから。
posted by バンナイ at 17:12 | あれこれ

2011年06月17日

原発事故に「祈りと瞑想」(いますることできること)

祈りは大切です。
その大切さと効力に付いては度々お話ししてきました。

いま、この放射能まみれの日本で、誰もが祈りの効果を体験しています。
現在ダメージが比較的軽いのは、その御陰と感じています。

しかし、祈りで垂れ流し状態の放射能をすべて払拭することはできません。

いまの段階でわたしたちができることは、
ひとりひとりが瞑想をすることでしょう。

恐らく、「何を!空論を!」と思われる方々もおいでのことでしょう。

その思考の渦を止めましょう。

この大変な時にどうすれば良いのか?
わたしの責任は何か?
このいたいけな子供たちにどう説明できるのか?
などなど、際限のない思考に、
心の中はいっぱいで、
行き着くところを知らない渦巻き状態になっているでしょう。

だから、その渦をいっとき止めましょう。

有史以来人間は瞑想をしてきました。
それに取り組みましょう。
これこそ天が人間に教えた叡智です。

瞑想と祈りはセットです。
朝と夕方の瞑想を習慣化できると、
心の中の混乱は静まっていきます。
平静になると、元気になります。

思考の渦から抜けた分、創造的になります。

日常のやるべきことや仕事をカットしてまで、
瞑想をすることが今回の震災及び原発事故に最も効力ある対応です。

原子炉に納められた核燃料は絶え間ない仕事量に反旗を翻し、
怒りで破壊行動にでました。

それに対して、わたしたちが冷静な思いやりとお礼の思いを伝えれば、
彼たちも冷静になってくれるでしょう。

お礼の言葉は祈りとして発信することができます。
しかし冷静で平安な心は、
自分で瞑想状態を作って、
その中にいる自分を絶えず体験していなくてはなりません。

わたしたちは内省をもとめられています。
反省を求められています。

人間が追い求めた、
便利と利権のよこしまな心が作り出したものに、
母なる地球は断を下して、ノーと言ってきました。

こんな愚かな人間の行為をただすのに、
ただ黙って、座り、内観することが、
原発事故を鎮める手だてになるとは、
それこそ信じられない。
と、人は云っても、
ここまでくれば、分ってくれるでしょう。

今の厳しい状況は、なおのこと、
わたしたちひとりひとりに、
平安の状態に深く入れる力を授けてくれています。

この事態を回避する手だてはあれこれ複数あるでしょう。
絶望することはありません。
しかし、その核になるのがこの瞑想だというのがわたしの考えです。

瞑想こそが人間の原子的核なのだと思います。

祈りで願いを明確にし、
瞑想で静寂を自分に造り、
仕上げは天におまかせ。

ここ毎日、わたしの住むところでは小鳥が多種姿を現し、
多様に悦びを歌ってくれます。 
これが祈りの声。
静かに枝に留まる姿はわたしに瞑想を誘ってくれます。


posted by バンナイ at 22:13 | あれこれ

2011年06月11日

夢で霊性を知る−2−

私の主張に、
とても同意できないと思われる方も多いでしょう。
しかし自分の怒りが自分を苦しめ、
気持ちのやり場に困っている方は多いはずです。
この怒りが、
トラウマとインナーチャイルドの叫びだとしたら、どうでしょう。
自分の怒りに理性で対処したことはありませんか。
でも、いつの間にか怒りは形を変えて浮上してきます。
そういう体験をしているなら、
しばらくの間私といっしょに、
トラウマとインナーチャイルドについて考えていきませんか。

夢に取り組んで直ぐに、
自分のトラウマに出会えるチャンスは、
それと承知していない限り難しいと、
私は思っています。
しかしケイシーが言うとおり、
祈りと瞑想と夢の取り組みで霊性の向上は図れます。
気を付けていれば、
瞑想の最中トラウマに出会って、
泣きたい気持ちや怒りたい気持ちになります。
それでもそれがトラウマだと承知しなければ、
自分の心の縮図を思い描くのは難しいでしょう。
ですから自己探求に安全に取り組みたいなら、
トリシア・カエタノ女史のようなセラピストの門をくぐることをおすすめします。
そして自分のトラウマに特有な癖や方向があることが分かると、
先の作業が楽しくなります。

トラウマは大まかに言って、
「認められない子供の心の傷」です。
あなたが子供の時、
思い通りの扱いや対応を受けられなかったので、
それが心の傷になって今も傷ついたままということです。
大人になった今では、
「あのとき我慢できたから今は何ともない。
親は年老い、
今更どうこう言うべき問題でもない。
それにそんなこととうの昔に忘れてしまった」と言うでしょう。
しかしあなたの心のなかでは、
「認められない」というその感情だけは聞き分けのない子供のままで残っています。
あなたの考えるとおり、
もはや親には関係なく、
あなたの問題です。

トラウマには各自特有な性質があるといいました。
ある人にとっては、
たった一度の体罰がトラウマになることがある一方、
出来の良い成績を無視されたことがトラウマになったりします。
認められなかった不満を怒りの感情で味わう人と、
悲しみで味わう人がいます。
時が経つて大人になっても「認められない」ことがあると、
前者は怒りで反応します。
後者は悲しみや無感動で「認められない」辛さを耐えようとします。
どちらも優勢感情が違うだけで、
心のメカニズムは同じです。
その人にとっては耐え難い辛さに心を閉じて、
それ以上は傷つかないようにというのではたらく心の知恵です。

これを読まれている多くの方々は、
すでに子を持つ親かもしれません。
その方々は、
「あぁ、またトラウマの話しか。
子供の時の悪い思い出なんか誰にだってある。
いいことも悪いこともある。
それなのに他人の心に土足で上がり込んでくるような、
こんな言い方が許されて良いのだろうか。
どの親にとっても子育ては大変だ。
それでもかわいい自分の子に不自由のないよう、
こんなに頑張っている。
そんな人の気も知らないで、
親を悪者にしてそれで世の中が良くなるとでもいうのだろうか」等々、
反論は山のようにあるでしょう。

それでも私は言いたいと思っています。
トラウマは親への不満ではあるけれど、
そのトラウマと前世のカルマの質はぴったり符合するのだと。
親に振りかざした拳固は、
実は自分に向けるべきものです。
しかし人は、
成長の階段を登る前に、
まず親の胸を借りなければなりません。
傷ついた子供の心を充分に抱きしめてもらえないと、
自己責任はとれないのです。

トラウマとインナーチャイルドの癒しの作業は、
親とは関係のない、
結婚生活のなかで行います。
この作業のために、
結婚という現行の婚姻制度があると考えるのはいかがですか。
夫と妻は相手のではなく、
自分の成長に責任があるのですが、
二人で取り組むという婚姻契約は安心を約束してくれます。

ーつづくー


posted by バンナイ at 12:38 | 夢のメッセージの取り方

2011年06月09日

夢で霊性を知る−1−

事に当たって、
その人が何を言い何をするかは、
その人の霊性のあり方が決定します。
その人がどんな信念や信条や社会通念を持っていようと関係ありません。
信念や信条や社会通念は、
社会的文化的に多くの人が合意したものです。
人はそれを取り入れたり捨てたりできますが、
霊性は人と共にあって、ただ向上するだけのもの
成長の権限と責任は霊性を持つ各自に委ねられているようです。

タイミング良く前号のワンネス(ケイシーセンターの機関誌25号)に、
前世療法士のトリシア・カエタノ女史のインタビュー記事が載っていました。
そこで、彼女の立派な仕事にここでも便乗したいと思います。
彼女の療法の根幹は、霊性の向上そのものだと私は思うからです。
これを夢と実生活をふまえてやってみてはどうでしょう。
これが、私のここでの提案です。

ごく簡単に言ってしまえば、トリシア・カエタノ女史が取り組む、
トラウマとインナーチャイルドの癒しこそ、
霊性向上へのアプローチでもあり、
自分のトラウマとインナーチャイルドを癒していく作業が、
霊性の向上を可能にしてくれる道だと、私は考えています。
それにトラウマとインナーチャイルドへの関わりは、終生続きます。
生きている限りこれでお終いということはありません。

しかし残念なことに私たちのほとんどは、
自分がトラウマを持っていることを知りません。
トラウマの罠にはまって出られず、
霊性向上に取り組むことがどうしてもできにくいことを知りません。
生き方を変えていくには、
自分がトラウマと同じ場面になると自己放棄してしまうという、
その自分に気付かないと、
その先の選択、
自分を変えるという作業には取りかかれません。
わずかな例外を除いて、
私たちのほとんどは自分特有のトラウマを持っています。
それがあるので人生を創造するという責任が取りにくいのです。
傍目には自己責任をとって、
社会に通用するステイタスを手に入れてしまえば、
創造性を発揮したと満足しがちです。
しかし本当は、社会的ステイタスは努力へのご褒美みたいなもので、
「それができるなら霊性の向上にも取り組めるでしょう」と、
先に行くことを促されていると思いませんか。

ここまでの話しを繰り返すことになりますが、
このトラウマとインナーチャイルドの叫びを、
自分の夢を通して聞いてあげてはどうかというのが私の主張です。
もっと踏み込んで言うなら、
この人生が終わるまで、
夢と祈りと瞑想はそのためにこそあるのだと言いたいのです。

ーつづくー


posted by バンナイ at 10:02 | 夢のメッセージの取り方

2011年06月03日

続々・夢場面が高速で頭痛がします

質問9
質問なのですが、最近、夢の速度が速いと感じます。
まるで時空を超えたような感覚で、
場面の切り替えが早く、
起きると何も覚えていない、の繰り返しです。
起きると頭痛もひどく...

応答9
さて、このご質問の「時空を超えたような感覚」について、
話しを進ませましょう。

勿論いつだって,夢は時空を超えています。
でも、この場合は、
夢の不可思議を超えてもなお、
「時空を超えた感覚が強い」と受け取ってみました。

めーさんは芸術に携わる方であり、
その夢の時空を超えた広がりは当然芸術家としての特徴を備えているでしょう。
だから、そこをもうひとつ超えて考えたくなりました。

夢見の状態と現実とは合わせ鏡だとお伝えしました。
現実の姿が、鏡に映る自分です。
現実では意識できない自分のこの世での在り方が、
鏡(つまり夢)に映っているという訳です。

めーさんの本当のところは分りませんが,
このたとえとは違って、
現実と夢の関係が、
まるでテニスの試合のようだというのかなと思ったのです。
コートのネットがこの世と夢の世の境です。
一方のコートが現実世界とすると、もう片方は夢の世界の出来事。
ボールのやり取りが意識の向けどころとすると,
審判の立場が、
このめーさんのこのときの感覚でしょうか。

このときの自分とは、
この判定員(正式名が分りませんので適当ですが)の視点を指しています。

究極、わたしたちは現実と夢の世界を通して、
この両方が仮想現実だというところに行きつきます。

そのための視点を、めーさんは垣間見ているのかもしれません。
つまり、めーさんが時空を超えた感覚を得ている一瞬は、現実にも夢にも支配されていない本当の自分に立っていたかもしれないのです。

そんな馬鹿なという声も聞こえそうですが、
あり得ることだし、
誰にも起こりうるし、
時代背景がそれを匂わせてもいます。

どうしてこんなことを言うかですが、
有史以来はじめての惨劇(東日本大震災と放射能汚染)を体験しているわたしたちは、
ここから本当の学びに気付かない限り、
この試練は終わりそうにありません。

惨劇に自己を喪失せず、
学びとして謙虚でいるには、
この視点は重要です。

そのことが分れば、
夢に関りすぎるのではなく、
日々の目の前に現れるすべてに恩寵を感じ、
体験として受け取れるでしょう。

現実生活で出会う目の前のことを、
夢の場面としてメッセージを受け取る態度を養って下さい。

いまは、それが必要な歴史的地点に立っていることも、
合わせてお考えいただきますように。

でも、残念ながらいつもこの視点に立てる訳ではありません。
それについてはまたの機会にゆずりましょう。


posted by バンナイ at 10:39 | 夢活用法

2011年06月02日

続・夢場面が高速で頭痛がします

質問9
質問なのですが、最近、夢の速度が速いと感じます。
まるで時空を超えたような感覚で、
場面の切り替えが早く、
起きると何も覚えていない、の繰り返しです。
起きると頭痛もひどく...

応答9
前回は、頭痛や目覚めの不快感にどう対処するかをお話ししました。
今回は、「夢の速度が速い」と云う部分についてお話ししましょう。
とはいえ、速いってどういう意味でしょう。
ストーリー展開が速いということでしょうね。

夢は思い出さなくても、
何だか展開の速い夢を見たなぁという感じが残って、
目が覚めたという訳ですね。

夢は現実の合わせ鏡なので、
この時期、ご質問を下さっためーさんの人生展開が速いと云うのが、
一番ぴったりくると思います。

さらに常識的には、季節的にも、今は一番活気があるとき。
行動がどんどん広がるので、
次々に扉を開いている人もいるでしょう。
日々を駆け抜けている感じです。

と同時に、原因結果の出方も速いと。
ということは、成果も直ぐ手にはいる。
これは、企画書を出したらそれが通る位の成果で、
仕事が仕上がることではありませんが。

もうひとつ譬えを。
子供がおいたをしたので叱ったら、
直ぐやめた、位のことです。
本当に納得したかどうかは、今後のことで。

つまり、この状況では夢に関っていては、
らちがあかないのです。
夢なんか放っておきましょう。

睡眠は身体を休むためと割り切って、
夢のことは忘れることをお薦めします。

でも、それではあんまりという方には、
明日の早朝(6月2日5時55分)は新月なので、
3日から上弦の月の9日までを、
夢見の時と心づもりをされると良いでしょう。
人生のこの時、重要なメッセージがあるなら、
この期間に知らせが入るはずです。

その後は、7月も8月も夢のことは忘れて、
ルーティンライフと夏の盛りを楽しまれたらどうでしょう。
暑い日々はこれまた、夢見よりは休息に相応しいときですから。

という訳で、
次回は「まるで時空を超えたような感覚」についてと、
今回のご質問全体に付いてわたしの思うところをお話ししたいと思います。
お楽しみに。


posted by バンナイ at 05:58 | 夢で心と身体の健康状態を知る
  • (c) Kazunori Keiko Bannai All Rights Reserved
  • Home