「心象風景」という言葉をご存知ですか。アートセラピーでは良く使います。芸術作品に使う意味と、アートセラピーで使う意味に違いがあるかもしれませんが、大雑把にいえば、「心の中の風景」をいいます。
夢も心象風景だとわたしは感じているのですが、個々の夢になると、なかなかそこが伝わりません。夢の中の鬼も、死体も、あこがれの人も、みんなあなたの心が作り出したもので、あなたが見ているもの。見たいもの。
更にいえば、他人に関る予言的な夢も夢主であるご本人の心象風景なのだけれど、それを説明するのがとても難しいです。予知夢を見たと思っている人に、「それは、あなたの心象風景です」と言ったら、どんな顔をされるか、お分かりでしょう。
いまや知る人は知る「ホ・オポノポノ」のイハレアカラ・ヒューレン博士の偉業も、究極はこれと同じで、外の世界に起こることは自分の心の中の事だと理解する人は増えました。現実世界の出来事を自分の心のことに置き換えられるほどに、現代人のスピリチュアリティ(霊性)は高くなっています。
だから、当然、他人事の予知夢も夢主の内面を指しているのですが、それが伝わりません。
例えば、誰かが重篤な病気になったと夢で見たとしましょう。その夢を見た人は、それを本人に伝える方が良いかどうか、伝えるにはどうしたら良いか、と訊いてきます。そんなとき「夢は他人に関りません」と答えます。かなり、素っ気ない返事で、訊きに来た人は、口あんぐり!!!
わたしとしては、それ以外に答えようがありません。わたしがこれまで関って来た夢は、夢主が元気に自信を持って人生を全うすることだけに専念するものでした。夢主を鼓舞することもありますが、休むとき、笑うとき、別れと様々なときを正確に見定めるよう、メッセージを送ってきます。
健康管理だって適切です。先の例えでいえば、誰かが重篤な病気になった夢を見たら、それは他人のことではなく自分の予知として健康管理に専念することだとわたしは感じています。
その重篤な病気の特質をもとに、自分の体を大切に健康管理するなら、本人は更に健康でいられ、夢の対象者の健康も取り戻せるでしょう。レン博士がやったと同じです。
自分の夢で他人の予知夢を見たらそれを本人に伝える義務があるかどうかに悩む必要はないし、夢はその人に伝えるようにと言ってくることはないと、わたしは考えています。
どんな内容でも、他人に関る予知夢を見たら、最高の手立ては、その人の平安を心を込めて祈ること。注意事項は自分のこととして処理すること。
夢も心象風景というのはこういう意味で、だからこそわたしたちは究極ひとつなのだと思います。
2010年09月26日
夢はすべて心象風景
posted by 天の鳥船庵 at 20:20
| 夢で心と身体の健康状態を知る