[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2007年6月〜2015年1月 ]

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2010年05月24日

水のこと

先日の土曜日と日曜日、二日続けて東京に仕事があり、鎌倉に帰っていては二日目の仕事に差し支えると、ホテルに泊まりました。
翌朝、朝食をとっている時です。立て込んだ食堂で、隣りの伯父さんが話しかけてきました。私は夫とふたり。その方もご夫人とのふたり旅。どちらの連れも、そのときバイキング形式の食事を取りにテーブルを離れていました。それで手持ち無沙汰の伯父さんは、暇つぶしに無害の私に話しかけてきたのです。「どちらから?」から他愛ない会話がはじまりました。
   伯父さんは、九州の山間部から急用で上京されたことを話してくれました。四方山話にしてはちょっと重いその急用を、感情込めながら、食事の会話にする。普段から飾らないお人柄なのでしょう。好感が持てました。なので、おじさんが住む町の近くに、私も6年あまり住んでいたと話を絡ませました。普段はこんなに早く朝食はとらないのだけれどと、慣れない雑踏のような周りを見回します。それにこんなにたくさんの種類の食品も取らないと、伯父さんは続けます。家にいれば、水が違う水がと、繰り返されました。だから飯にみそ汁だけでいい、とも。
特に信じるところがあって生活を整えているとは思えない、極自然に身に付いた言葉と感じたものです。。好んで登る近くの山の話にも成りました。山登りは、魚釣りのように土産はないけれど、元気になって帰るのが土産かな、と。
わたしがその地に住んでいた時、思ったものです。粗食と人は言うけれど、お米のおいしさ味噌のおいしさ。ここのおいしさはホンモノだ。。。と。。。その地を離れて四半世紀になります。
それでわたしの方から、その地に住んでいた期間わたしがお世話になった水の話をしました。
初対面の伯父さんには言いませんでしたが、東京から引っ越した当時は、いつも体調悪く、家の窓から山の景色を眺めるだけで、堪え難い疲労感を覚えたものです。いまでもときどき当時を思い出し、良くここまで回復したと、胸が熱くなります。
その頃一緒だった前夫が、そんなわたしにと水を見つけてくれました。町の家から自動車で20分。山そのものがご神体で、裾に鳥居があり、その鳥居の脇に蛇口がひとつポツンとある。その水でした。飲み水と料理に、一週間分を頂いてきたものです。6年の間、そこで人にあった記憶はありません。知られることのない名水なのだと思います。
伯父さんはこの水の管理をしている人と知り合いなのだそうです。そこはいまも人里離れ、閑散としているそうです。
この水の御陰でわたしは健康を取り戻した、と思っています。勿論いろいろしましたが、水の効用は大きいです。
日曜の朝の8時前。混み合うホテルの食堂で気取りを知らない伯父さんが声をかけてくれて、誰にも説明できないハッピーな気持ちになりました。名前もかわすことのない出会いで、大切な大切な水のこと、そして昔を思い出しました。
水については多くの方々がさまざまにその大切さを言われます。ここで水について議論をしたいのではないのですが、わたしはやっぱり、この経験から、許されるなら、カルキの入ったことのない水が好いだろうと感じています。カラダも自然の要素からできているからです。
それに、実際の水と夢に登場する水との関連を、具体的に捉えて欲しいと願って水の話をしています。夢には沢山の水が登場します。夢に現れる水を考えると、どうしても足元の地球に思いが行きます。地球がわたしたちのカラダに敵した水を、下さる間はどちらも安泰なのでしょう。
夢の水は、水の大切さを教えているのだと思います。そして、夢の中の水が体内の水の状態を知らせていると感じます。
   
統計立ててそんな話ができたらと、希望は持っているのですが。日をあらためて、水の話をしましょうか。


posted by 天の鳥船庵 at 10:57 | 夢で心と身体の健康状態を知る