[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2007年6月〜2015年1月 ]

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2009年03月26日

夢の中で誰かに言われる言葉の意味

夢の中で誰かに言葉をかけられると、
とっても大切な意味があるのだと思って、
ご相談に来る人がどっと増えました。
 
あんまり多いので、
時代の趨勢なのだろうかと思ったり。
いえ、それは冗談。
夢に市民権が与えられたからだと受けとっています。 
大切な場合もあるけれど
(でも滅多にありません。特に姿の見える人が言う言葉には注意が必要です)、
実は思い癖だったりします。
自分の考えに自信がないので、取りあえず誰かに言われたい。
夢の中で、尊敬する人が言うのだから間違いないと思いたい。
そんな願望が夢の場面となって、重要なことを聞かされる羽目になります。
夢は超意識(自分の中の神の部分)から来る叡智ですが、
なにせ潜在意識の検閲をくぐり抜けて来るのです。
仮装に、暗号に、隠密にとあらゆる手段で見つからないよう、
(夢が)無きものにならないよう手段を講じてきます。
あんまりたくさんの手練手管を使ってくるので、
真意のメッセージが伝わり難くく、複雑な場面になります。
そこでなお一層、
何が何だかとなってしまいます。
その典型が、
夢の中で尊敬できる人が面と向かって大切そうなアドバイスをしてくることです。
それで、
そのアドバイスが常識的に考えておかしければ、
「夢の中で他人が言うことは無視して良い」と分かります。
ところがその判断が当人には難しいのです。
30代後半の結婚したがっている女性の夢を例に挙げてみましょう。
夢に現れた賢者らしき占い師が、
「あなたはこの先5(注:この5という数字がなんとも含蓄ありますが)年間
結婚する男性に出会うことはありません。」と言ったのだそうです。
結婚後子どもを産みたいと願っている女性で、
年齢的にも本人は瀬戸際だと思っている方の夢です。
5年間結婚の可能性は無いと言われて、
心の中は平静でいられません。
それで相談に見えました。
夢の言いたいことを曲解して、
つまり占い師の言うことが起こりうることと受けとって、
ではあなたはどうしたいの?と訊きました。
可能性が5年間無いとしたら、何をしても無駄なんだと思います。とのこと。
返事になっていませんし、これで、この女性が日頃何を思い、
何をしたくないか分かってしまいますよね。
結婚できないかも知れないと思い過ぎているし、
なにより、
男性に会うチャンスを自分でつくることが面倒なので、
努力したくないのです。
考えてみると、結婚への準備行動はとても面倒です。
すごい努力が要ります。
そんなこと努力の内じゃないと思う人だっているけれど、
特に社会的に努力して、
それなりの成績を上げている女性は、
この努力ができ難いなぁと感じます。
てな訳で、
結婚したいけれど面倒を嫌った依存型の女性には、
言い逃れが手に入ったようなもの。
だから、
どんなに考えても占い師の言うことは信じるに値しません。
たとえこの夢のメッセージが分からないとしても、
自分はどうしたいかを考えれば、
この占い師がどんなに偉い人(!)でも、
その言葉は無視して良いことになります。
これで、夢の超意識と、無意識の検閲の関係と、
夢主の自由意志発動の一連の繋がりをお分かりいただけたでしょうか。
ちなみにわたしが、結婚の意志を固めた後に見た夢をご披露しましょう。
『美しい町の石畳の歩道を歩いていると、向こうから初老の女性
(注・夢なので彼女が占い師であることを知っています)が
わたしを認めて言います。
「あなたはこれから結婚をしますね。
二度目は大切にされますよ。」というのです。
そこで、「ええ、知っています。その通りです。」と、彼女を退けます。』
このときは、夢で言い返した自分が自慢でした。
誰に自慢するのでもありませんが。
すでに結婚は決めていたし、
結婚しない選択などあり得ない心境でしたから。
さて、なんていっても結婚です。誰の責任でもなく、自分の決心ひとつです。
早、結婚して18年。
かえって、この夢の中の自分の潔さがますます自慢です。
だって、わたし、この占い師に何も尋ねていないし、
他人のアドバイスなど必要ではありませんもの。
なんだかんだといろいろあるのが結婚です。
他人の勧めで結婚したら、とても持ちません。 
 
夢に戻りましょう。
誰かが何かを言ってきたら、
わたしのことはわたしが決めますと、返して下さい。
知っていれば、案外夢でもできます。
これがエネルギーとなって、この世で使えるようになります。
これが狙いです。これで強くなれます。


posted by 天の鳥船庵 at 11:39 | 夢で心と身体の健康状態を知る

2009年03月12日

伴侶と私の夢の饗宴・その後

 自分を晒すのはやはり勇気のいることですが、飾らず構えずできうる限り正直でいれば、この記事も読むに値するものになるでしょう(陰の声:そう思って自分の背中を押しています)。このブログを訪ねて下さる方々の参考になるよう、今回も夢と現実の織りなす生活を綴っていきます。
 メルヘンチックな話では終わらない「夢を生きよう」と語るわたしに、泥沼を突き抜ける思いが無ければ、夢を語る資格も無いはずで、「夢を生きる」と他人さまに言い続けているわたしが、おざなりで済む訳も無く、前々回(2月27日の記事)やっとの思いでわたしたち夫婦の姿と夢をお話しました。そのつづきの報告です。
 常には無い、他人様による苦境救済のご好意は、後見人の善意の塊のような配慮と気遣いのうちにわたしたちの手中にもたらされました。ほっと息をつく安堵と、万感の思いの詰まった感謝はわたしたちふたりを幸せでいっぱいにしましたが、頂点を迎えると、予期しなかった恥ずかしさが襲います。こんな奇跡に自分たちが値するはずは無いと思いはじめたのです。自分たちのぶざまと不出来はまだまだ反省が必要です。
 心の安定が難しくなって、それを吐露した弱気のわたしに、一通のメールが届きました。事情を知った方からのものです。これを読んでやっとホンモノの感謝のキモチを持って、今回の善意をしっかり受けとることができました。そのメールの一部をご紹介しましょう。

     ♧     ♧     ♧
 
ご好意(画伯はお情けといっていましたが)の裏には、
宇宙の意志があり、
神様のはからいがあるようです。

神様は人の願いを叶えるときに、誰か他の人を通じてかなえるようにするのだそうです。
決してストレートに、本人の思い通りに手の中にかなえた願いを送り込まないのだと。
そうして人と人との絆を深めて、人は自分一人で幸せになるわけじゃない、望みを叶える訳じゃないと教えるのだそうです。

今生ではあり得ない.(⇦わたしの言葉です。他生の功徳?)

そんなことはありません。
今回のことは、相手の方に徳をつんでもらう経験になるそうです。
そして受け取らないと不徳だと(笑)。
それがまた、めぐりめぐって還ってくるみたいです。
今年はまったく新しい突破口が開ける年です。
     ♧     ♧     ♧

 「相手の方に徳をつんでもらう経験」とは思いもよらないお言葉でした。言葉としては知っていても、自分のこの経験がそれに該当するとは思いもしませんでした。素直になるとはこのことなのですね。
 このあと、夫はたまたまご近所の奥様をアトリエにお連れして、絵をお見せしたそうです。その方がとても親切にして下さったので、そのお返しのつもりだったのでしょう。そのとき、伊勢丹百貨店で個展をした時の宣伝用のはがきに載せた刀鍛冶師(正宗)が作ったガーデェンチェアー(すごいことです!)を描いた絵を、購入して戴けることになりました。娘さんが前々からお気に入りで購入できないかと言われていて、双方で丁度のタイミングだったようです。いままで言い出せなかったようでした。これも神のお計らいというものなのでしょう。
 この何気ない出来事のおまけで、「新しい突破口」を開くための極意を知らされた思いです。
 今回の記事の予定では、前々回お披露目した夫の「川の中で死んで行く」夢とわたしの自虐的な「コンダラローラーに轢かれる」夢がもたらした、彼の思いもよらない反応についてお話したかったのですが、次回にゆずります。
 悲しいかな、わたしの自虐の癖は、あるべき妻の受容の愛と大きく隔たり、荒削りな心を露呈します。あの後懲りずにけんかをして、夫に平謝りに謝ったというお粗末があったと、それだけのことなのですが。。。
 えっ?これこそが自虐?まあ好いじゃありませんか。。。。。夫婦ってこんなものです。。。。
posted by 天の鳥船庵 at 08:10 | あれこれ