画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

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2009年02月27日

魚座新月とルーリン彗星:伴侶とわたしの夢の饗宴

 可能なかぎり、夫と夢の仕事を片方ずつこの手につかんで、人生を謳歌したいと長らく願ってきました。
 どちらが大切?と他愛なく尋ねられたら、「もちろん夫!」です。この辺はわたし固有の考え方かも知れません。最終的に人は自分だけで完成されるものだから、大切な夫もその為のツールにしかすぎませんが、それで良いのです。わたしにとって、最も大切なのは夫です。
 その道々、ふたりの夢と現実を記録して、それを何らかの形で発表できたら、夢の専門家は充分に満足。そう願ってきたのですが、日々の生活はあまりに生々しく、わたしたちの幼さ故、伸ばし伸ばしになってきました。が、そろそろその幕開けを迎えられそうな感じになってきました。

 2007年7月台湾のルーリン(鹿林)天文台で発見されたルーリン彗星が、この 2月24日から2月26日 にかけて、太陽・地球・ルーリン彗星の並びで一直線になりました。重ねて25日となりのうお座で太陽と月が重なり、新月(10時35分)になりました。
 この天体のショーに合わせたように我が家では、大変貴重で人生滅多に無いドラマが展開され、昨日(26日)あまりのことに大声挙げて号泣してしまいました。知人の情けで3年に及ぶ緊張を解くことができたからです。この世知辛くいやなことつらいことに事欠かない世の中で、あり得ない親切を受けることとなったのです。
 3年前の5月末に湘南に引っ越して、それからの夫の心理状態は時間とともにブルーになり、すべてに望みの無い状態になってしまいました。
 彼の絵がリトグラフになったり、個展が続いたり、もうこれで画家としてやっていけるだろうと望みを持って帰ってきた都会生活も、初期の家の事情もあり、夫の「家に帰りたくない」と、狂人かと思える言動からはじまりました。個展は上手く行かず、その後の仕事もスレ違ってしまい、あきらめを知らないわたしでさえ、夫の心情を無理も無いと思えました。(陰の声:いえ、やっぱり、望みは叶うものだと思っています。これはそのお話しです)
 都落ちをした6年前はもっと元気だったんだなあと、わたし自身もこれから又再びの都落ちやホームレスを思うと、実際身が震えました。
 いよいよ家賃が払えそうにないと言いたいのだけれど、望みを失った夫に相談する訳にいかず、わたしの方は気ばかり元気になっていました。2年あまりは、意見を言えば殺気立つほどに険悪になります。針のむしろに座る心地という表現があるけれど、言い得て妙。ハラハラドキドキ夫が怖い。怖いと言えば、揚げ足取られて何故一緒に居ると、何でもかんでも切って捨てる勢い・・・・・。
 あんまり勢いづかない方が・・・と、わたしのなかでブレーキがかかりましたので、話を先に。
 この14日夫は最悪でした。それを見たわたしは、もう何も言うまいと腹がくくれたのです。そう思った途端自分がとても楽になりました。すべてをそのままどうあろうと受け入れようと腹を決めたのです。いままでだってこれをしてきたと思うのですが、どこかに良くなって欲しい、やる気になって欲しいと欲がはたらいたのでしょう。
 18日昼寝で目を覚ました夫が、夢を見たと話しはじめました。
 『洪水で氾濫している川の中を、近衛兵ふたり(その内のひとりが自分)で、女王様かお姫様を守りながら渡る。もう目的地まで直ぐそこというところで、カラダが沈み水を飲んでゴボゴボと溺れはじめる。近衛兵ふたりは、もう大丈夫と安心して姫を送り届けたところで、力つきる。(この姫は慶子でわたしより若いような感じ)』
 白日夢は大変メッセージ性が濃いので、このインパクトは本人に取ってかなりのものです。彼の硬直した心理状態が動くだろうと確信しました。
 その日の朝見た私の夢です。
 『4、5歳の女の子。私だ。この女の子が自虐的なんだと思う。遊んでいるうちに、ふざけて道の中にもぐり込んで、もぐらのように土の中を道に沿って進んでいく。夫が運転する大きなコンダラにふざけて、私がどこに潜っているか、当てながら運転するように頼んだ(らしい)。一度は全身(?)を轢かれた(らしい)。私は甦り次に又もぐり込んで轢いてもらう。左手の先がつぶれたが(パンのドゥがつぶれたみたいに)立ち上がるともとに戻る。』
 いまの夫への態度は、自虐的なんだと自分を反省しました。夫も私を彼岸に届けるまではと日頃言ってもくれますが、自分の不遇に一杯になるとどこ吹く風でした。
 26日の朝の散歩で、夫にもう近々家賃を払えないようになると話しました。彼はそれを直ぐに受け止め、大家さんの後見人に電話をして、事情を話し、家賃を下げてくれるようにと交渉しはじめました。
 しばらくして折り返しかかってきた電話でその後見人の方は、絵を購入することにしましょうと言ってくれました。
 アトリエには、いま帝国ホテルの展示会の際入り口に誇らしくデンと飾られた三春の滝桜があります。営業マンは「素晴らしい絵だ」と褒めてくれましたが、買い手はつきません。この絵は後見人のお姉様が生前会場にお出で下さった時にご覧戴いたものです。
 という訳で、わたしたちはこの寒空、引っ越すことも無く暖かく過ごすことができることになりました。
 ホットな話しで、この奇跡的な事情を飲み込めるほどには冷静になっていないでしょうが、この受けたご恩を何としても多くの方々に知って頂いて、何より宇宙の諸力に感謝したいと、恥を忍んで、ここに公表します。ありがとうございます。


posted by バンナイ at 21:46 | 夢で心と身体の健康状態を知る

2009年02月14日

明恵上人の歌とアセンションの祈り

 「明恵夢を生きる」(河合隼雄著)を、1992年に丹念に読んでいます。その時どんなに真剣だったか、本には書き込みもマーカーのしるしもしっかり残っているのに、何だか何も覚えていないような気分で、それからの年月背表紙を見続けてきました。不思議なキモチでした。
 何故だか、もう一度読み返そうと第一章を広げると、まず、
 ながきよの夢をゆめぞとしる君やさめて迷える人をたすけむ
と、あります。この歌の前で立ち止まざるを得ません。この和歌の「ビシッ、バシッ」という感じ。この歌を受け取った人は手が震えたんではないかと、想像してしまいました。著者はこの歌を次のように現代語訳しています。「この世が夢と知るなら、そこから覚めて迷える人を助けては」と。
 なんと!!!これは、明恵上人を仏門に誘った叔父さんである上覚への返歌なんです。すごい!叔父さんで、仏門の直の先生である人に向けて、「そんな甘いことを言ってないで、それが分かったんだったら、理解できずに右往左往生きてる寝ぼけ眼の輩たちの助け手になってはどうです」といっているような感じではありませんか。これはあくまで私見です。でも、当たらずとも遠からずだと思います。
 ちなみに上覚の歌は、
 みることはみなつねならぬうきよかな
    ゆめかとみゆるほどのはかなさ
      (見ることは皆常ならぬ浮き世かな夢かと見ゆる程の儚さ)
 この歌に似ている有名な歌は、
 はなのいろはうつりにけりないたずらに
    わがみよにふるながめせしまに
      (花の色は移りにけりな徒に我が身世に降る眺めせし間に)
でしょうか。どちらも儚さ争いの歌で、上覚は男性で仏門にあるもの。小野小町は宮中仕えの女性で、どちらの歌もため息をうまく吐き出した感じです。
 あぁ、この世の儚さよ!と、言ってみたところで何になるんです!明恵上人はそれを飛び越え、知を得たのなら、世のため人の為に行動をと言います。社交辞令でやり過ごすことの無い方だったのでしょうか。いかにも夢を生きる、地を這う如きお考えの方です。
 そんな明恵上人に圧倒され続けて、読んだ本の内容を知らず知らず拒否続けてきたのでしょう。わたしも夢を大切に生きてきたはずですが、あいも変わらぬ怠惰な自分には自身萎えます(陰の声:こんなところで反省してどうする!)。
 中世は名僧の輩出多く、戦争と宗教心の同時台頭はむべなるかな。今日この頃のニュースは、それに加えて自然災害の猛威を知らせ、すべての衆生の宗教心を呼び起こす必要があります。
 
 明恵上人は、「夢を観想に通じるものと考え、観想・夢想の功徳について述べている『顕蜜円通成仏必要集』を読んでいる」そうです。
 そうです。そうでなくてはいけません。エドガー・ケイシーが言ったのと同じ理解を明恵上人は既に12世紀持っていたのです。わたしたちの文化にそれは脈々と通じているはずです。
 祈りには力があります。瞑想と夢と祈りでいまを整えましょう。

 これでわたしたちも明恵上人に習って地を這う実行力を。


posted by バンナイ at 07:28 | あれこれ

2009年02月08日

まわりが見ている夢主の姿

 わたしが夢に興味を覚えたそもそもは、エドガー・ケイシー関連の本に「美の宮」の記述を目にしてからです。そこには、夢からの知らせを読み解いて、ギリシャ神話の医神アスクレピオスが治療に当たったと同じような活動をしていた「美の宮」が紹介されています。
 他にもふたつ「犠牲の宮」と「イニシエーションの宮」という医院か寺院か宮殿かという施設があり、それぞれがクライアントの自己完成に応じた取り組みを提供していたようです。
 このふたつの間に位置した「美の宮」は、さしずめ心と身体の健康を司る寺院と治療院を合わせ持った感じの施設でしょうか。勿論そこには美の宮と呼ぶにふさわしい芸術品の数々もあったようで、トータルな治療が行われていたことをうかがわせます。
 現在ホリスティック・ヒーリングが言われ、多種多様な手法を使って治療が行われているようですが、現代はまだここまでは行けていないかもしれないと思わせるほど、この美の宮はとても魅力的です。
 ケイシーリーディングに出てくる美の宮の説明と、アスクレピオスの夢による治療法の引き出し方は、正に夢そのものがリーディングだと納得させられます。厳密に言えば、アスクレピオスがやっていた方法も、或は、トランスリーディングであったかも知れません。しかし、多くの夢に触れてみると、まさに夢の神髄は英知を引き出すリーディングと同じだと思えます。ときに、得られたリーディングの感度精度は獏としていることもありますが、中には求める情報そのものがズバリと登場することもあり、その差は求める者の熱意と真摯さに因るのでしょう。
 そんな説明をするケイシーの考え方、「夢は超意識からの叡智である」という立場に立つと、夢への理解は俄然深くなります。夢への信頼は確固たるものになり、夢が悪いこと、嫌なことを言ってくるはずが無いと受け取れます。「夢は超意識からのエール」と、端から理解すれば、どんな嫌な夢でも改善点へのヒントがあるはずで、それを探し出せば良いことになります。
 悪夢と言われる怖い夢も、怖いものと終わらせず、改善すべきところや取り組むべき課題を示しているのだと受け取り、単に、「早く気付きなさい!」のサインが怖かったり恐ろしげな場面を作ったのだと安心できます(注:こことても大切で、新学説さえ立ち上げられる大事な指摘だと、わたしは思っています。が、わたしには学問的アプローチは最早興味もなく、どなたかご興味のおありの方に譲りたいと思っています)。
 それに他人から注意を受けると、片腹痛くて逆らいたくなるけれど、自分の夢でキツいお叱りを受けたら、こちらも仕方ないと取り組む気持ちになります。(それにしても、夢に対する初歩的理解は必要になりますね。)
 「お前さん、うぬぼれているよ!
  そんなんじゃ何もかも台無しだよ!
  
  台無しにしたくなかったら、
  ちょっとは他人の反応にも気を配って、
  態度改めな!」
と、尊敬できる先輩が言葉で言ってきたら、緊張しますよね。いくら尊敬できる人だとしても、一瞬「余計なお世話だぁーーーっ」と、むかつきます。
 それが夢では、「我が家に威風堂々と建っていた(天守閣みたいな)やぐらに煙が上がり、爆弾が落ちたかも」と、なる訳です(注:この夢主さんへ。無断公表お許しを。しかしこの夢かなり一般的です。誰のと決められないくらい)。
 この夢を思い出しながら目が覚めたら、さぞやびっくりでしょう。胸は早鐘のように波打っているかも知れません。夢は他愛も無いものだと捉えていれば、夢をねじ伏せ、夢自体を忘れようとします(内なる声:なんてもったいない!)。或は、夢って大切なんだと生半可に理解していると、「きゃーー。もしかして予知夢だったりして!!!家が火事になるかもしれないーーぃ。あぁどうしようぉーぉーーー」と、なります。そうなると、その現実化に加担すると言う馬鹿なことになりかねません(笑)。
 まぁ、言ってみれば予知夢でないことは無いので、いま態度を修正すればこんなことにはならないよという、逆説的な知らせです。だからこそ夢に見たのに。。。このまま気付かないでいれば、火の手は上がるかも。でも心を改めるなら、火事は回避できるでしょうという、ギリギリがこの嫌な感じの夢です。(裏の声:しかし、このままやり過ごしたら実生活でこれがどう出るかは、神でないわたしに分かりようはありませんが、敢えて予想するなら、、、確実なところで予想するなら、、胃炎か急性大腸炎かそこら辺かしらと思いますが。無責任な予想でしかありませんが。。。。体調が悪くなれば、その他諸々変化がある訳で。)
 思いの世界と物の世界の実現時間差をねらって、夢が軌道修正を迫ってきたことになります。霊的態度を反省するなら、予言は回避できるという知らせです。
 では、具体的にどうするかですか?
 わたしなら、まず神に感謝。宇宙に感謝。夢の神様に感謝。こんな大切な夢を見させて下さってありがとうございますと、お礼のお祈りを。
 それから、「ごめんね。ありがとう」と関係者やまわりの人へ反省の思いを発進します。それだけ。
 ゆめゆめ「うぬぼれて、申し訳ありませんでした」などと、関係者各位にあやまって回るなどと言う、非現実的な行動はとりませんように。
 「ごめんね。ありがとう」と、日がな一日思っていれば、まず自分が変わってしまいます。夢の指摘で合点したことです。この内的気付きは意味が分かった時点で、50〜80%は夢の治癒力発揮になるでしょう。これが一番の収穫。それまでのうぬぼれたプライド高い態度は薄れて、まわりの人は「あらぁーー」となる訳です。人は、他人のオーラ(雰囲気)を素早くキャッチするものですから。
 ええ、まわりの人にとって、彼女の鼻持ちならない態度は我慢の限界を超えそうなところでした。そこへ、夢の神様は仲裁に入ったという訳です。お分かり戴けましたか。このタイミング。絶妙なんです。破綻しないギリギリをねらってきたようにわたしには思えます。「爆弾が落ちたらしい」という表現は、誰かが怒っているらしいと同じでしょう。
 あわや我が家が炎上!という夢を見た人のまわりに、彼女の日頃のプライドの高さは、確実に見えていたとわたしは思います。そして、これがいま一番の人類の問題です。あまりに多くの人たちが、自分のプライドに翻弄されています。だから、夢からでもこの点について注意を受けることはラッキーだと、わたしは思います。
 配慮と優しさに溢れた夢の成り立ちに、いつもながら感動を覚えます。


posted by バンナイ at 06:00 | 夢で心と身体の健康状態を知る
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