もう、二十年も前のことですが、ハイキングのお弁当にお稲荷さんを作って持っていきました。当然油揚げは揚げ物だと知っていましたが、大したことはないだろうと、軽く考えたのです。お昼を済まして、しばらく経ったら、自分の腸が動いていないと気づきました。びっくりしました。帰って早速洗腸しました。重層と塩を入れた洗浄溶液を体内に入れても、蠕動運動は起きません。パンパンのお腹を抱えて、これで医者の門を叩くわけにはいかないからと、真剣に考えて、リンス液としてコーヒー入りの溶液をつくり、体内に入れました。これで動かなかった腸の動きは戻り、ことなきを得ました。
それからは、お味噌汁の油揚げさえ食べていません。二年前に腸閉塞まがいの入院をしました。この原因は心理的なものが大きかったと思っていますが、ずーっっと、食べものには注意を払っています。
揚げ物がいかに身体に不健康な食べ物か、話し出したら止めようも無く話題に事欠きませんが、今回は地球の恩恵から、この油について感じるところをお話しましょう。
この地球の豊かさは計り知れません。地球の潜在能力から言って、いまの人口の倍でもみんなが豊かに食べていかれる食料を生産できると、わたしは思っています。油を作らず大豆のまま、トウモロコシのまま、原材料そのままを食べればの話しですが。あまりに多くの植物が油を作る為、食用と飼料と肥料とゴミになっています。豆は豆として食せば、命そのものを戴く健康食になるのになあと、悔やまれます。
それからもうひとつ、ケイシーが言うには、恐ろしいことに、人間の胃は複数の炭水化物を同時に消化できるようには作られていないということです。これは、わたしの体験で納得しています。そして油も同じく複数の油を同時に消化できません。調理の際も、植物油製造工程でも、この配慮がなされていれば、日本人の疾病率はぐんと下がるだろうと思っています。
人なかに出ると、この頃は他人の呼気が気になります。胃から漏れ出る息が臭います。ご本人は呼気のことを自覚されていると思うのですが、それが火を通した油の過剰摂取に因ると気づくことは無いでしょう。現代の食事は、数十年前の日本食から極端に油の多い洋食になっています。こんな食事を毎日摂っていたら、身体も心もきついはずです。それが呼気の異臭として、身体がサインを送ってきます。そのことに気づいてほしくて、今回食に就いてお話しています。
現代社会のストレス状況は、我慢を超えています。こんな都会生活で平静を保てるとしたら、よほど強靭な精神の持ち主でしょう。空気の汚れは尋常ではありません。機械が出す生活音も全身に突き刺さります。外食の味の濃厚さは、この緊張に比例して、実に複雑になっています。現代人が感じるおいしさとはこういうものなのだと、理解はできますが、これはストレスをやり過ごす為に工夫された味ではないかと、感じさえします。
「天然自然を前に、目の前にあるものを食せば、それですべて事足りる」。究極ケイシーの言わんとしている食に関する哲学を、このように受け取ってみると、いまわたしたちが日々暮らしている食の在り方は、常軌を逸しているように感じられます。地球から命を戴いているという真実から食しているのではなく、経済のシステムに「食」が組み込まれてしまっています。地の力は衰え、野菜の味は半減しているように思います。
このブログでは、いつも原稿を送り出すとき勇気が要ります。「揚げ物を控えなさい」なんて、余計なおせっかいでしょうね。でも、言いたい。言わなくちゃと思っています。健康の為に。心の平和の為に。そして人類が互いを思いやる為に。地球を大切にする為に。地球の恩恵無くして、わたしたちは食べ物を作り出すことはできません。ケイシーが残してくれた、食に関するその哲学の深さを感じてみて下さい。しかしいつも思うことですが、ここでケイシーの名を出さずにお話しできたら、どんなに自然な万人向きの話、説得力のある話になるだろうかと思うのです。。。が、いまはまだ油について、知る人が少ないので、彼の名を借りてお話しています。彼が言うには、古来の製法で作った生の植物油を生野菜にかけて食べれば、身体に優しい食事になります。全くそのとおり、この恩恵は計り知れません。
揚げ物の摂取量をいまのせめて半分位にしませんか。お考えください。
夢に食べ物はたくさん出てきます。そこから学ぶことはたくさんありました。夢に関わって来たわたしは、夢の食べ物や食料に生きかたを教えられ、地球に対し、人はどうあるべきかを教わったように思います。
この続きはまたの機会にお話します。
ちょっと、自分でも切羽詰まった言い方だなあ、と。。。。。 ☆一応終わり☆
2008年11月16日
「食べる」を感じましょう(その2)
posted by 天の鳥船庵 at 06:12
| 夢で心と身体の健康状態を知る
2008年11月12日
「食べる」を感じましょう(その1)
必要に迫られて、ケイシー療法に取り組んでもう30年近くなります。
最初に、これはすごい?!と思ったのは、ひまし油パックでした。湯煎で暖めたひまし油をネルにたっぷりしみ込ませて、それを下腹部にぐるりとあてがって、そのまま冷めるまでじっと静かに寝ているという湿布です。いまは電気の温熱パッドがありますので、当時に比べて楽になりました。
長年溜め込んだ緊張を、1回のひまし油パックが解いてくれました。全身が緩んで、ものごころ付いて一度も経験したことの無い、おねしょというものを経験した時の、嬉しかったこと!!!
いまは、適当にやっています。思い出した時に3週間やって4週間休むという変則的な、わたしならではのやり方で。
更に、これぞわたしの命を救ってくれたと思ったケイシー療法は、洗腸です。これはいまでも3、4週間に一度やっています。身体がサインを出してきますので、そのサインを無視しつつ、これ以上は無視できないというところで、やおら取りかかるという怠惰なやり方で、ですが。
洗腸を最初にやってみて強烈だったのは、洗腸のできる家に住めて何と幸せなんだと、呆然としたことでした。この感謝の思いはいまでも消えません。二年半前まで、山の中の汲取り式ご不浄がついた古民家に住んでいたので、現在の有り難さは身に沁みます。日本人でつくづく良かったと思います。水洗トイレで幸せです。洗腸ができない国に住んでいたら、わたしの人生はもうとっくに終わっていたでしょう。間違いなく。。。ですから、いつかこの療法に付いて、きちんとお話する責任もあり、責任もって生きなくチャと思ったことでした。。。。。が。。。
体内の滞ったいまとなっては不要なものを、しっかりと物理的(強制的)に洗い流すと、心が穏やかに前向きになります。洗腸は心の持ち方に、絶大な威力を発揮します。頑で凝り固まった心を直ぐに穏やかにするには、他にどんな方法があるだろうかと問いたいくらい、抜群の効き目があります。
しかし人は洗腸を嫌がります。わたしの体験では、高邁な本を何冊読んでも、精神向上に実際的効果はなかなか望めないけれど、洗腸すれば、自分の頑固が実感できるので、「これではいかん」と気づけるきっかけになると思っています。
嫌がる他人への勧めはいまとなっては面倒で、おやりになりたい方はどうぞと言うくらいですが、出会う人、出会う人、洗腸をすれば、身体が楽になるだろう、心が楽になるだろうと思える人がますます多くなりました。昔は、「便秘もしていないのに、なんてことを言う人だろう」と、「変人!」波動があからさまに返って来たものです。時代が変わりました。こうして、開けっぴろげにケイシー療法云々と発表できるのですから。
自分の話しに戻しましょう。やりはじめの一年間くらいは、すっきり度が中途半端でした。時間もかかり一日仕事になったことさえありました。ところが気づくと、いつの間にか冷え性も無くなり、頭痛持ちも他人事になりました(注:頭痛で悩まされている方はお試しあれ。腸は第二の脳です。嘘のような本当の話です)。これらは副産物のようなものです。直接的には、胃腸の働きが良くなり消化、吸収、排泄の行程がスムースになりました。
数度の開腹手術の所為かいつも胃腸の具合は悪く、胃けいれんと腸閉塞には戦々恐々の時期が長くありました。ケイシー療法を知ってからは、食事は玄米食に大盛りサラダ。動物性タンパク質は魚に鶏と切り替えはしたものの、やりはじめは、いまから考えたらかなりゆるいケイシー式でした。普通食に戻すと身体がきつくなり、それでいやいやケイシー・ダイエットを実行するのです。ある日を境に完璧に実行したという訳ではなく、駄目と言われるものをちょっと食べると、身体が辛いので、仕方なくケイシー式にという、自分で自分を叱りつけるようなそんな感じでした。
ケイシー療法でどうしても避けて通れない取り組みが、この食養生です。いまではこの食養生こそ、わたしが生きながらえることができた王道だ、と感謝しています。「あれを食べなさい、これを食べてはいけない。組み合わせに注意を」と、考えたらうんざりするほどたくさんのことを教えられました。が、これを地球の恩恵という高見から眺めることができた時、その単純さ哲学の深さにがつんとやられた気分がしたものです。しかしここでわたしが言えるのは、正しい食事についてではなく、「どうやらこういうことは、わたしたちの身体にも地球にも益をもたらさないようだ」くらいの話しです。家政学を学んだことはありますが、栄養学的見地からでもなく、エコロジーな観点に似てもいるでしょうが、ずっと、ずーっと、感覚的です。わたしの勝手かも知れません。ケイシーの言うことは、科学的であり、哲学的精神世界的、宇宙的ですが、わたしが言いたい範囲は、もっと実際的体験的なことです。
今回は、その食のほんのさわりをお話しましょう。多くの人に食に就いて、考えるのではなく、感じてほしいのです。身体は教えてくれます。あれが食べたいこれが食べたいという思い(欲)は役に立ちませんが、心を静め、身体の感覚を感じようとすれば、身体が知っている叡智を掬い取ることができます。
そんなわたしが今年に入って、俄然生野菜の摂取量が増えました。身体が要求してきます。大げさに言えば、いまの地球の変化がわたしに強いている感じです。それでもわたしの摂取量では、ときに食べ物全体の70%位にしかならないかも知れません、が。。。。。
わたしなりの言い訳をすれば、和食と洋食はかなり違い、日本人にはこの位でも良いのではと思っています。これでは分かりにくいですね。わたしは基本的に菜食主義ではありません。しかし、鶏肉も段々食べにくくなりました。ちりめんじゃこと卵があれば、タンパク質は充分という食生活です。
それで、いままであまり公にしてこなかったわたしの体験の中で、もうそろそろ公にしなければと思ったことは、揚げ物にまつわることです。ケイシー療法では、火を通した油の調理を避けるよう、何度も何度も繰り返し注意を促しています。ケイシーはアメリカ人なので、最初は嘘でしょ!!と思ったものです。和食も天ぷらがごちそうです。精進料理も揚げ物があります。どの食養生にも揚げ物を避けるようにとは、断りがありません。しかし、わたしの体験では、この揚げ物が胃腸のはたらきに大きなダメージを起こします。 ーつづくー
最初に、これはすごい?!と思ったのは、ひまし油パックでした。湯煎で暖めたひまし油をネルにたっぷりしみ込ませて、それを下腹部にぐるりとあてがって、そのまま冷めるまでじっと静かに寝ているという湿布です。いまは電気の温熱パッドがありますので、当時に比べて楽になりました。
長年溜め込んだ緊張を、1回のひまし油パックが解いてくれました。全身が緩んで、ものごころ付いて一度も経験したことの無い、おねしょというものを経験した時の、嬉しかったこと!!!
いまは、適当にやっています。思い出した時に3週間やって4週間休むという変則的な、わたしならではのやり方で。
更に、これぞわたしの命を救ってくれたと思ったケイシー療法は、洗腸です。これはいまでも3、4週間に一度やっています。身体がサインを出してきますので、そのサインを無視しつつ、これ以上は無視できないというところで、やおら取りかかるという怠惰なやり方で、ですが。
洗腸を最初にやってみて強烈だったのは、洗腸のできる家に住めて何と幸せなんだと、呆然としたことでした。この感謝の思いはいまでも消えません。二年半前まで、山の中の汲取り式ご不浄がついた古民家に住んでいたので、現在の有り難さは身に沁みます。日本人でつくづく良かったと思います。水洗トイレで幸せです。洗腸ができない国に住んでいたら、わたしの人生はもうとっくに終わっていたでしょう。間違いなく。。。ですから、いつかこの療法に付いて、きちんとお話する責任もあり、責任もって生きなくチャと思ったことでした。。。。。が。。。
体内の滞ったいまとなっては不要なものを、しっかりと物理的(強制的)に洗い流すと、心が穏やかに前向きになります。洗腸は心の持ち方に、絶大な威力を発揮します。頑で凝り固まった心を直ぐに穏やかにするには、他にどんな方法があるだろうかと問いたいくらい、抜群の効き目があります。
しかし人は洗腸を嫌がります。わたしの体験では、高邁な本を何冊読んでも、精神向上に実際的効果はなかなか望めないけれど、洗腸すれば、自分の頑固が実感できるので、「これではいかん」と気づけるきっかけになると思っています。
嫌がる他人への勧めはいまとなっては面倒で、おやりになりたい方はどうぞと言うくらいですが、出会う人、出会う人、洗腸をすれば、身体が楽になるだろう、心が楽になるだろうと思える人がますます多くなりました。昔は、「便秘もしていないのに、なんてことを言う人だろう」と、「変人!」波動があからさまに返って来たものです。時代が変わりました。こうして、開けっぴろげにケイシー療法云々と発表できるのですから。
自分の話しに戻しましょう。やりはじめの一年間くらいは、すっきり度が中途半端でした。時間もかかり一日仕事になったことさえありました。ところが気づくと、いつの間にか冷え性も無くなり、頭痛持ちも他人事になりました(注:頭痛で悩まされている方はお試しあれ。腸は第二の脳です。嘘のような本当の話です)。これらは副産物のようなものです。直接的には、胃腸の働きが良くなり消化、吸収、排泄の行程がスムースになりました。
数度の開腹手術の所為かいつも胃腸の具合は悪く、胃けいれんと腸閉塞には戦々恐々の時期が長くありました。ケイシー療法を知ってからは、食事は玄米食に大盛りサラダ。動物性タンパク質は魚に鶏と切り替えはしたものの、やりはじめは、いまから考えたらかなりゆるいケイシー式でした。普通食に戻すと身体がきつくなり、それでいやいやケイシー・ダイエットを実行するのです。ある日を境に完璧に実行したという訳ではなく、駄目と言われるものをちょっと食べると、身体が辛いので、仕方なくケイシー式にという、自分で自分を叱りつけるようなそんな感じでした。
ケイシー療法でどうしても避けて通れない取り組みが、この食養生です。いまではこの食養生こそ、わたしが生きながらえることができた王道だ、と感謝しています。「あれを食べなさい、これを食べてはいけない。組み合わせに注意を」と、考えたらうんざりするほどたくさんのことを教えられました。が、これを地球の恩恵という高見から眺めることができた時、その単純さ哲学の深さにがつんとやられた気分がしたものです。しかしここでわたしが言えるのは、正しい食事についてではなく、「どうやらこういうことは、わたしたちの身体にも地球にも益をもたらさないようだ」くらいの話しです。家政学を学んだことはありますが、栄養学的見地からでもなく、エコロジーな観点に似てもいるでしょうが、ずっと、ずーっと、感覚的です。わたしの勝手かも知れません。ケイシーの言うことは、科学的であり、哲学的精神世界的、宇宙的ですが、わたしが言いたい範囲は、もっと実際的体験的なことです。
今回は、その食のほんのさわりをお話しましょう。多くの人に食に就いて、考えるのではなく、感じてほしいのです。身体は教えてくれます。あれが食べたいこれが食べたいという思い(欲)は役に立ちませんが、心を静め、身体の感覚を感じようとすれば、身体が知っている叡智を掬い取ることができます。
そんなわたしが今年に入って、俄然生野菜の摂取量が増えました。身体が要求してきます。大げさに言えば、いまの地球の変化がわたしに強いている感じです。それでもわたしの摂取量では、ときに食べ物全体の70%位にしかならないかも知れません、が。。。。。
わたしなりの言い訳をすれば、和食と洋食はかなり違い、日本人にはこの位でも良いのではと思っています。これでは分かりにくいですね。わたしは基本的に菜食主義ではありません。しかし、鶏肉も段々食べにくくなりました。ちりめんじゃこと卵があれば、タンパク質は充分という食生活です。
それで、いままであまり公にしてこなかったわたしの体験の中で、もうそろそろ公にしなければと思ったことは、揚げ物にまつわることです。ケイシー療法では、火を通した油の調理を避けるよう、何度も何度も繰り返し注意を促しています。ケイシーはアメリカ人なので、最初は嘘でしょ!!と思ったものです。和食も天ぷらがごちそうです。精進料理も揚げ物があります。どの食養生にも揚げ物を避けるようにとは、断りがありません。しかし、わたしの体験では、この揚げ物が胃腸のはたらきに大きなダメージを起こします。 ーつづくー
posted by 天の鳥船庵 at 05:30
| 夢で心と身体の健康状態を知る