去る7月26日、船井メディア主催で「夢☆分析セミナー」が開催されました。これは人見ルミさんの企画です。今年の2月2日が第一回だったので、これで2回目です。講師は作詞家の吉元由美さんと夫でケイシーセンター会長の光田秀氏。それにわたしの三人。
朝会場の控え室に入るや否や、元気印満開の人見ルミさんが見えて、
「たいへんな夢をみました」と、挨拶もそこそこにご自分の夢の話をはじめました。
この辺が人見さんらしいです。通常なら、「ええーっ!」になりかねないこのタイミングのお話、夢の専門家としてお仕事を戴いているわたしは構えざるを得ません。さらっとやり過ごしたい場面です。ところが、彼女は自分のペースで話をはじめます。お茶とお水を自ら給仕されながら、言葉のテンポの速いこと。。。。。女性が企業で働く気配りの見本みたいに、「すべてに抜かりはございません」ながら、この場のリーダーシップを執られます。
彼女の行け行けムードに感心しながら、夢をお聞きしました。なるほど、彼女は実践で手応えを感じたから、夢を我がものにしていたのでこのタイミングでわたしに「たいへんな夢」の話をしたのです。呑気なわたしは夢を聞き終わってから、そのことに気付いた次第です。
「わたしは死刑囚で、刑の執行が行われるところです。椅子に座らされて、頭に電極の付いたものを被せられ、スイッチを入れられ、死んだのでしょう。わたしは幽体離脱のように肉体を出て、どういう訳か電信柱の陰に隠れていると、生前出会った嫌な人たち縁あった人たち、辛い体験となった友人知人の数々、様々な思いを思い出させるいろいろな人々が現れて、その人たちを見ているうちに、感極まって大泣きしてししまいます。しばらく泣いていると、その内にすっきりして彼たちに感謝の念が出てきて、こんどは何だか嬉しくすっきりしたという夢でした」と。こんな内容の夢を話してくれました。記憶だけでお話しているのでちょっと脚色が入ったかもしれませんが、大事な要点は外していないはずです。
側にいた夫は間髪入れず、「よかったじゃないですか!!」と、返してくれました。
この人見さんの夢をわたしは真剣に聞きながら、「こんなすてきな夢を見る人が責任者の、このセミナーが成功しない訳が無い!!!」と、感動してしまいました。いえ正確には、こんな夢を見る人の掌で踊る講師のわたしたちに、不出来はあり得ないと確信したのです。とても嬉しかったです。
「セミナーは講師のものではない。セミナーは主催する方のもの」、これが本当のところです。どんなに講師が頑張ったところで、主宰者の有り様を超えて、セミナーを成功させることはできません。企画運営は努力と忍耐が要求されます。言ってみれば、好きなことをやっていて夢見る夢子で居続けるわたしを、社会に引っ張り出し、場所を用意し、そこに立たせ、この一連の流れを経済活動に成り立たせる手腕は、それだけで、地に足をつけた生きている人のなさることです。彼女はご自分の仕事のことを、「好きなこと」を優先にすると、人が集まってくれるつまり成功すると感慨を込めて語ってくれました。
彼女に最初に会った時、話してくれた夢は洪水の夢でした。繰り返し洪水の夢を見るのだそうです。この手の夢を見る人に、いつも伝えている助言を、人見さんにも繰り返しました。
体の中が洪水という災害に見舞われている状態です。体がいまのところは静かでも、悲鳴を上げはじめています。体の中の水(体液)が汚水だらけで、命を活かす水になっていません。このままでいくと体調不良に見舞われて、メンテナンスが必要な状態になるでしょう。症状に現れないうちにそれに気付くようにと、夢が前もって知らせて来たのです。できるだけきれいな水を一日中飲むようにして下さい、といった内容を彼女にも伝えました。
事実、洪水が起きれば、生活用水に使える水はない訳ですから、夢の象徴は比較的分かり易く実際的なメッセージも取り易い部類です。
しかしこのように夢のメッセージを伝えると、大抵は軽く興ざめという反応が返ってくるものです。「ひとつの意見として伺っておきましょう」位で終わるものです。しかし、人見さんは「では、水を飲みましょう。実行します」と、きました。それから次にお目にかかった時、体が楽になったこと、洪水の夢は見なくなりましたと、報告がありました。
この辺が人見さんのすごいところです。夢はメッセージが分かっても、それを実行に移さない限り、夢は幻。何の意味もありません。体験に落とし込んで、夢の重要性を理解しない限り、夢も現実も前進しません。
という経過があって、今回死刑囚になった人見さんが死刑執行で死ぬことができたのです。。。納得ですよね。
夢でも現実の生活でも死は、次の学びへの移行です。死が無くては次の生まれはありません。死があって再生が可能です。
人見さんの夢の話は、この世を超えた叡智に溢れて、場面が流れていると感心したのですが、その辺を少し紐解いておきましょう。
誰も生きているうちに、悔やむこと反省することは多々あるものです。わたしは自分の過去を振り返ると、あの人にもこの人にも謝れるものなら謝りたい、許しを請えるならどんなに楽だろうかと思うことがあります。自分の不出来を嘆くばかりでなく、今生のうちに清算できるものなら清算したいとも思います。このわたしの清算したいという願いが叶っているのが、人見さんの死刑執行の場面です。数々の過ちに対し、刑が執行されれば、自分をあがなったことになります。「死をもってあがなう」という言葉がありますが、自分の過ち不出来をしっかり反省できるのも勇気、その負債を返すのも勇気。死をもってあがなうなど最高のあがない方ではありませんか。
いま気付いたのですが、人見さんは電信柱の陰に隠れて縁あった人々を見ているのでしたね。その人たちにいちいち謝らなくたって、思い残しがあったって、涙で思いを流せれば、良さそうですね。よかった。ふむふむ。。。。。夢は生きかた、考え方を教えてくれます。これもそう。
勇気をもってあがなおうとけりを付ける気になれば、どっと感情の波が押し寄せて、残りかすを洗い流し、後はきれいさっぱりになれるということですね。こんな解説より、夢の場面をなぞった方が真理が分かり易い。わたしの陰の声です。
人見さんの夢に納得です。
こうなると、一生で二生三生が可能かしら?!ね。
実はわたしも昔夢の中で、いまなら勇気をもって死ねると思ったことがありました。選択はわたしにあると分かりながら、死ねたら生まれ変われると夢の中でさえ知りながら、死を選ぶことができませんでした。だから、余計人見さんは凄いと思えます。
それで、この夢の場面を繰り返し、わたしの夢にしよう、わたしが見た夢にしようと心に刻み込んでいます。他人の夢でも気に入った夢があったら自分のものにしてよいのです。これが夢を見る力です。こうできるところが、夢を話し合う良いところです。それで、これを読んで下さる方にもご披露としました。
そうそう、セミナー開始の挨拶のとき、この夢の話を直ぐにみなさんの前でされていました。これも何とも人見さんらしい。この話で、がっちり会場の思いを掴んでいましたから。人見さんはご自分の夢を惜しげも無くわたしたちに披露して、夢の世界にわたしたちを誘ってくれたのでした。
2008年07月31日
船井メディアの人見ルミさんの夢
posted by 天の鳥船庵 at 15:23
| 夢で心と身体の健康状態を知る
2008年07月01日
うぐいすの合唱と待機の魂
このところのヘンカに実感を込めるには、もう少し時間が欲しい感じです。
うぐいすの根性有る啼き練習に、「あきらめるな!」を教えられたばかりでしたが、その直ぐ後に、祈った相手たちがうぐいすの声に乗せて、返事を下さる体験をしました。対象が複数でしたから合唱で返事を下さったのです。それも同時発生のうぐいすの合唱です。輪唱ではなく。
奇妙に聞こえないように、気を使いながら体験をお話しているのですが、これを読んで下さる方が、そんなこともあるかもしれないと思って下されば良いかなと思っています。少なくとも、受け入れ難いと即断を下さないように願っています。
何日か前に初めてお目にかかった方が披露して下さった夢も、生まれたがっている魂からの夢でした。厳密に言えば、こういう夢は真我に当たる普遍の存在と、生まれたい魂と、その親になる準備中の夢主が一緒になって作り上げた夢になります。これだけでも素敵だなあといつも思います。三者が両手を差し出して、輪を作ってでき上がった夢ですから。
これは、生まれたい魂を次元を超えて支えている霊的存在が、あっちとこっちにいる実証みたいなものです。
いままで沢山の人の夢とお話してきた訳ですが、この待機の魂たちからの夢ともお話する機会が増えました。夢とお話するって変ですか? 大抵夢主とお話する前に、夢がわたしに語りかけてくるのです。それに応えてときどきは夢主が聞く耳を持たなくても、夢のメッセージを伝えることがあります。夢は、どうしても夢主に伝えたいと願って特別な夢を送って来る訳ですから、意識の心が拒否しようが、いずれ真意は受け取れるはずと信じて、伝えます。
そんな、「どうしても、伝えなくちゃ!!!」と前後脈絡なく(と、もしかしてまわりの人々は受け取ったかなあと思うのですが)ズバズバ言ってしまった最たる夢の話をしましょう。それが、赤ちゃんが生まれる知らせでした。
その夢の話をしてくれたのは、実は夢主ご本人ではありません。知り合いの夕食にお邪魔して、田舎のことですから、子供たちや親戚が大勢いたそんななかで、わたしに花を持たせようかと気遣って、そこの女主人が夢の話をしてくれたんだと思います。
でも、夢を話してくれたそこの奥さんは、分からないながらも意味深な夢だなあと思っている感じでした。そこでわたしも真剣になったのだと思います。夢主は、息子さんです。
夢はこうでした。三方に刀が乗っている。それを(既に亡くなっている)祖父が手渡してくれる、というのです。
これを聞かされたわたしは、黙っていることができませんでした。
「お孫さんがおできになるという知らせですが、いかがですか?」
と。
その後、みんながどう言ったのか良く覚えていません。しかしわたしは言葉が出てしまってから、もし失言だったらどうしようと一瞬心配をしたのを覚えています。こんな大切なことを、あまり知らない方々にずけずけ言うはしたなさに、自分も震えます。それなのに、わたしの心は満足感で一杯でした。
ただただ夢は信じられるのだからと、わたしの芯は言うのです。この頃益々これが多くなります。時代なのです。「三方の刀」の夢を分析的にお話することもできます。が、それはつまらない話になるので、ここでは蛇足でしょう。夢の勉強をされるとこの辺が分かります。
さて、そのとき夢主のお嫁さんは流産を何度か経験されて、とても悲しい時だったそうです。そして、それから一年もしないうちに赤ちゃんが生まれました。わたしは亡くなったおじいちゃんが孫に刀を預けたので、男の子かなと早とちりをしました。赤ちゃんは女の子です。
こんな場面に出会えて、とてもうれしいです。でもわたしに取って一番うれしいことは、真我に対して自分が赤子のように純でいられたことでした。
最初に戻ると、うぐいすの合唱は、「願いを聞き届けて下さり、ありがとうございます」への返事でした。800年は前の魂たちに対して、「無念を払い、天で修行をして下さい」と祈ったのは約一ヶ月前、それに対してです。
ここで、「三方の刀」をわたしも戴き、その方々に差し上げることができたようにうれしいことでした。この辺の夢の受け取り方こそ、夢の醍醐味だとわたしは思っています。わたしの中の無念もこの刀によって払えたことですから。七月朔日。新生の自分を感じます。
うぐいすの根性有る啼き練習に、「あきらめるな!」を教えられたばかりでしたが、その直ぐ後に、祈った相手たちがうぐいすの声に乗せて、返事を下さる体験をしました。対象が複数でしたから合唱で返事を下さったのです。それも同時発生のうぐいすの合唱です。輪唱ではなく。
奇妙に聞こえないように、気を使いながら体験をお話しているのですが、これを読んで下さる方が、そんなこともあるかもしれないと思って下されば良いかなと思っています。少なくとも、受け入れ難いと即断を下さないように願っています。
何日か前に初めてお目にかかった方が披露して下さった夢も、生まれたがっている魂からの夢でした。厳密に言えば、こういう夢は真我に当たる普遍の存在と、生まれたい魂と、その親になる準備中の夢主が一緒になって作り上げた夢になります。これだけでも素敵だなあといつも思います。三者が両手を差し出して、輪を作ってでき上がった夢ですから。
これは、生まれたい魂を次元を超えて支えている霊的存在が、あっちとこっちにいる実証みたいなものです。
いままで沢山の人の夢とお話してきた訳ですが、この待機の魂たちからの夢ともお話する機会が増えました。夢とお話するって変ですか? 大抵夢主とお話する前に、夢がわたしに語りかけてくるのです。それに応えてときどきは夢主が聞く耳を持たなくても、夢のメッセージを伝えることがあります。夢は、どうしても夢主に伝えたいと願って特別な夢を送って来る訳ですから、意識の心が拒否しようが、いずれ真意は受け取れるはずと信じて、伝えます。
そんな、「どうしても、伝えなくちゃ!!!」と前後脈絡なく(と、もしかしてまわりの人々は受け取ったかなあと思うのですが)ズバズバ言ってしまった最たる夢の話をしましょう。それが、赤ちゃんが生まれる知らせでした。
その夢の話をしてくれたのは、実は夢主ご本人ではありません。知り合いの夕食にお邪魔して、田舎のことですから、子供たちや親戚が大勢いたそんななかで、わたしに花を持たせようかと気遣って、そこの女主人が夢の話をしてくれたんだと思います。
でも、夢を話してくれたそこの奥さんは、分からないながらも意味深な夢だなあと思っている感じでした。そこでわたしも真剣になったのだと思います。夢主は、息子さんです。
夢はこうでした。三方に刀が乗っている。それを(既に亡くなっている)祖父が手渡してくれる、というのです。
これを聞かされたわたしは、黙っていることができませんでした。
「お孫さんがおできになるという知らせですが、いかがですか?」
と。
その後、みんながどう言ったのか良く覚えていません。しかしわたしは言葉が出てしまってから、もし失言だったらどうしようと一瞬心配をしたのを覚えています。こんな大切なことを、あまり知らない方々にずけずけ言うはしたなさに、自分も震えます。それなのに、わたしの心は満足感で一杯でした。
ただただ夢は信じられるのだからと、わたしの芯は言うのです。この頃益々これが多くなります。時代なのです。「三方の刀」の夢を分析的にお話することもできます。が、それはつまらない話になるので、ここでは蛇足でしょう。夢の勉強をされるとこの辺が分かります。
さて、そのとき夢主のお嫁さんは流産を何度か経験されて、とても悲しい時だったそうです。そして、それから一年もしないうちに赤ちゃんが生まれました。わたしは亡くなったおじいちゃんが孫に刀を預けたので、男の子かなと早とちりをしました。赤ちゃんは女の子です。
こんな場面に出会えて、とてもうれしいです。でもわたしに取って一番うれしいことは、真我に対して自分が赤子のように純でいられたことでした。
最初に戻ると、うぐいすの合唱は、「願いを聞き届けて下さり、ありがとうございます」への返事でした。800年は前の魂たちに対して、「無念を払い、天で修行をして下さい」と祈ったのは約一ヶ月前、それに対してです。
ここで、「三方の刀」をわたしも戴き、その方々に差し上げることができたようにうれしいことでした。この辺の夢の受け取り方こそ、夢の醍醐味だとわたしは思っています。わたしの中の無念もこの刀によって払えたことですから。七月朔日。新生の自分を感じます。
posted by 天の鳥船庵 at 15:48
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