[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2007年6月〜2015年1月 ]

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2008年03月24日

十才にして悪夢を克復した企業人(その1)

 小学四年生のときに悪夢を克復したという方にお目にかかりました。
 胸躍らせてお目にかかりました。
 たった一回では,充分お話しできたとは思えませんが,この方の努力と,これからの課題と、何故悪夢を克復できたのか、そのヒントが垣間見えて,お目にかかる前よりわたしの夢への可能性が大きく広がった嬉しさで一杯です。
 この方は、従業員千四百人の会社を立ち上げた企業人でおられます。40才を超えたばかりの、小学生の男の子の父親であり、(彼の評によると)極めて現実的な女性を良き伴侶に、今生を楽しんでいるようでした。
 何をなさっている会社の経営者でおられるのか,その説明をちらと受けましたが,わたしには理解の外でした。ITも一部門とのことです。言ってみれば,あっちとこっちを繋げられずに困っている会社と関わって、そのあっちとこっちを繋げて差し上げることを仕事にしている会社のようです。わたしが理解できたのはこのくらいです。この理解が間違っていなければ良いのですが。しかし考えてみれば,事業運営の基本はこれに尽きるので,やっぱりわたしには理解できなかったことかもしれません。
 この方を交えて友人夫妻の四人でお目にかかったその感想を、みなさんにお話しするのは,難しい。それは単に、わたしの中で消化するのに時間が必要だということもあってです、が。
 友人夫妻とは家族ぐるみのおつきあいらしく、親しげで,常ならわたしの出番はないのですが,彼の夢体験を知ったおふたりが仲立ちとなって,会わせて下さったのです。この方もいままで人と夢の話をする機会はあまりなかったとのことでした。それはそうでしょうね。
 しかし、新入社員と話をしていると、夢の話が通じるようになったとも言われました。時代が動いている?!確実に。彼の中にこの確信もあって、お目にかかることになったのだと思います。何の構えもなく,夢の話だけで時間を過ごせるなんて,わたしにとってこの時間は天国でした。
 お目にかかってみると,この方の風貌がまさに現代先駆けの企業人!と思わせるものでした。うん?!この言葉を説明するのが又厄介なのですが,時代を動かす任を背負って、いま生を受けているお顔という意味です。
 ご本人を描写すれば,スマートで,出過ぎず引っ込み過ぎず。威圧感はないのに、存在感はバッチリ。企業人というより,アーティスティックな何かに携わっているような。枠の中で枠を感じさせず,自らも枠を感じない精神をお持ちのようです。
 とても不思議だと思ったのは,その方のお顔の中に、この地球上の人種が幾つも見えることでした。肌の色は黄色人種のそれです、が、明らかにその一部は白人のそれであり,中近東のそれでもあり,なかなかに複雑です。
 例えば,電車に乗って,座席に座る。向いの座席に座る多くの他人をちらと見ただけでも,今日の日本人は,日本人なのにフランス人風だったり,トルコ人風だったり、或は韓国人風に見えて妙な感じがしたことはありませんか?  
 
 この頃、特に日本人の日本人離れした外貌を見て,数人集まれば地球上の多人種が見られると思ったりする訳ですが,彼の風貌はひとりの顔の中に,数種の要素が重なっているのです。わたしは生粋の江戸っ子なので,日本人でも日本人らしく肌は黄色くおまけに茶色い。加えて庶民的な丸顔。夫は白くてピンクですが、風貌は細めでのっぺりの日本人顔。ふたりの手を並べると,色の違いにびっくりしますが,この方の場合は,見た目の肌色も造作も私たちのように単純ではなく、重層で複雑です。 
 彼の中に見えた人種を勝手に挙げれば,勿論まずは今生の日本人。そしてヨーロッパ系。それから中近東の沢山の要素。
 どうしてこんな話をするかというと,これが彼のなし得た、悪夢の克復法のどこかに重なると思えるからです。そして彼が持つ特異要素が、私たちの将来に旗印の働きをしてくれると思えるからです。簡単に言えば,彼の風貌の中に見える多人種は、転生のひとつの証明になりうるでしょう。将来。
 想像逞しく,推論を重ねていけば,多民族を経験した魂は,その背後の集合的無意識をひとつにまとめることができると考えることも可能です。輪廻転生を彼の風貌で見ることができると思ったのです。しかしこれは日常誰もが何となくお遊びでやっていることかもしれません。実証科学を超えて,人の心は真実を見通しますから。
 この方の風貌から日本人の要素を除いて,ひとつ鮮明なところを挙げるとしたら何人だろうかと思ってみました。(もちろん)確信はありませんが、いまのところは証明可能な問題提起でもないので,感性で押し切ることにしましょう。いずれ証明可能な時代を待たなければいけませんが、今は先を急ぎましょう。
 と、念を押したところで,核心にいきます。ずばり、カルタゴのフェニキア人とはこんなだろうか?と思ったのです! すごいでしょう。威圧感はないけれど、しっかり筋肉質で、それなりに鍛えておいでなのか,生まれつきなのかは分かりませんが,姿勢もよく、戦いを挑まれたらそれをかわせる敏捷さに不足は見えず、避けて逃げるなんて考えられない体躯でした。スタイルがどこか日本人離れして,バランスが良いのだけれど、西洋人のそれとは一寸違っています。彼らは海上交易で栄えた民族らしく,商才に長けて武力もある。言ってみれば文武両道でいることが、生きる証なのでしょう。どの時代のまでは分かりませんが,紀元前の地中海なんて想像するだけでもワクワクします。
 それから、次にどうしてもナザレ人のイエスが生きていた頃にイエスがふれあっただろう人種の要素が見えます。中近東の中でも目がぱっちりというのではない,極端に彫りが深い系統でなく、強いて言えば,おとなしめの風貌できりっとしている。この方に出会うまで,人種のことをあまり考えたことがないので,わたし自身は少し戸惑いながらこのお話をしています。
 彼の魂は,この多人種の中を何回も行つ戻りつしたのでしょうか,さもあらんというのがわたしの印象です。
 彼の風貌の中に見る地中海近辺は、バランスを保ちながらひとつにまとまっています。好みもあるでしょうが,ハンサムボーイ。
 夢に興味があって,お金の計算がしっかりできて、他人の欲しているものや状況を、的を外さず感知できるというこの才能は、これから仕事をしいくのに必須条件だとわたしは考えています。
 では、この方の驚くべき悪夢克復法の話しにいきましょうか。しかしその前に二、三お断りしておきたいことがあります。
 
 この方はご自分の体験を文章にして送って下さいました。という訳で,それをそのままお見せする方が簡単かしらと思うものの,いまのところはわたしのフィルターを通して、わたしの勝手にした方が失礼がないかもしれないと思いました。ここまででもかなりわたし流で破天荒ですから、この方の許可を得るなどはおこがましい。わたしには守るべき何もありませんが,彼の場合は両肩に御家族と社員がおいでです。事業活動は精神世界の実践でなければならないとしても,先走りは禁物です。慎重でありたいし,謙虚でいたいと願って,わたしの目を通して,彼を描写しようと思います。
 さらに、彼がたったひとりで悪夢を克復した体験を知ることは、これからの子供たち青年たちを助け励ます大きな要素になりうるとわたしは信じています。この一点だけでも,彼は時代の旗手です。しかし解説するには、あまりに多岐にわたりそうで、その説明の青写真を描ききれていないのが現状です。そこで一旦ここで,この原稿をみなさんにお見せして,後日ゆっくり彼がなし得た悪夢克復法に移りたいと思います。
 という訳で,続きは後日ということに。


posted by 天の鳥船庵 at 10:12 | 夢で心と身体の健康状態を知る

2008年03月17日

夢の花

 花が登場する夢の相談を受けました。
 その夢主さんにご迷惑のかからないところで,夢が語る花についてお話ししましょう。拙著「夢のメッセージ」には取り上げていない見方なので,みなさんのご参考になればと思いこの話をします。
 夢に登場する「花」は、やっぱり人生の花。夢のテーマは、「人生を花と咲かせるには」と受け取って間違いありません。その夢主さんはひところの苦労を脱却して,やれやれと胸を撫で下ろしているところでしょう。もっと花の人生にしましょうと、夢が後押ししています。夢の花のテーマはどれもこれが基本です。とはいえ、花って何でしょうね。
 夢に登場した花の名前は分かっているのですが,ここではあえて明かさないことにします。それで話が通じるからというのが理由です。とどのつまり、夢の構成というか、構造は重層になっているものなので、一層分さえ思いだせれば,メッセージは受け取り可能です。登場する事物と人物とストーリーは重なって,同じことを伝えているということです。
 最初の花は、観賞するには目線を上げて,どちらかと言えば,仰ぎ見ないといけない種類です。それと対照的に,もうひとつの花は、目線をかなり低くしないと見られません。ついでに、前者は和風で,後者は洋風。どちらも気付かず通り過ぎるには、華やかな花です。つまり、ふたつをひとつの画面で見ると雑多な感じになって,趣味が良いとは言えない組み合わせ。
 人生、時に目線を高く置くことも必要。でも、いまは下を見て,日々の愉しさに心を砕く,かな、と。
 なかなかすごいでしょ。両方を同時に見るのは難しそうな感じになってきました。これが夢なんですね。夢の構成に脱帽です。これだけで、メッセージが取れた感じ。
 でも、すこしおしゃべりを続けましょう。本題は,夢の構成・構造についてお話ししたいのですから。他の部分がこれと同じにテーマを鮮明にしているかどうか、つまり花が他と重なっているかどうかを見ていきましょう。
 夢に戻って、仰ぎ見る必要のある花は、白です。目線を下げる必要のある花は黄色。つまり、上は白で、下は黄色。
 ここで、更にストーリーをお話ししたら,びっくりするほど話が早く納得していただけるでしょうが,それをしないのは,このふたつの花だけで,夢のメッセージは分かるし、色はその保証になっていることを分かっていただきたいからです。それを分かっていただくために,あえてストーリーを話さないで,夢の解説を試みています。
 黄色は体内にあるチャクラの色だけど,白は身体を超えたチャクラで、この世を出たところの色。理由は簡単,すべての光,或は光の三原色を等量重ねるとできる色ですから,理論的には悟りの色。黄色は第三チャクラを表し,そのエネルギーセンターである内分泌線は、副腎に相当します。更にこのエネルギーとホルモンは感情の働きに関係し,感情にまつわるカルマとも繋がっています。簡単に言ってしまえば,課題は感情を感じることで,いまは感情を感じていられるときだから取り組んだらどうか、と取れないこともありません。と言う訳もあって先に,「日々の愉しさに心を砕く」と言ってみた訳です。
 つまり、このまま(冷静を決め込んで、或は社会の価値観に合わせて)上を見続ける?それとも(嬉々と感情豊かに)足下を注意しながら気楽にやる? というのが、メッセージ。
 
 白は高貴で、黄色は無邪気。白は品格で、黄色は陽気。白は遠くで,黄色は身近ともいえます。
 自分の夢が分かりにくかったら,こうやって客観的に分析的に考察してみましょう。
 ちなみに、花の場合は、好き嫌いで判断しても大丈夫。通常はこの方法が安全です。夢に登場する人物の場合は,注意が必要ですが。花の場合は、ワクワクするかどうかで判断する方がメッセージが取り易く、よいかもしれません。しかしこの夢の場合,白い方に夢主は関心がないかもしれないと思いました。これはストーリーからの推察です。では、黄色い方はどうでしょう。これも確かめていないので良くわかりません。が、夢主さんにとっては、この夢がありますから,この花を見る度に特定の感情を知ることになるでしょう。それが本当のメッセージでしょうね。しかしこの方は子育て中なので,子供とのやり取りとこの花とこの色が重なることは容易に想像つきます。
 夢の構成は,上方の花vs下方の花イコール白vs黄。そして、この白い花vs黄色の花=(イコール)他の人物vs自分の位置、或は二種の花=(イコール)ストーリーとなります。
 夢全部を思いださなくても,夢のメッセージは分かるものだってご理解戴けたでしょうか。
 さて、ここに登場した花は、どちらも薔薇でもなく百合でもない、と既にご承知で。し。。た。。。 
 そうなんです。これが完璧な夢の構成・構造。いつも夢が解けると,夢の英知に感心して、かなわないなーと思わされます。


posted by 天の鳥船庵 at 06:41 | 夢のメッセージの取り方

2008年03月03日

神様からのアッパーカット

 一昨日(三月一日)の朝の瞑想中にふとよぎった事です。
 宮崎の鵜戸神宮が好き。。。。。(から、はじまって)見ず知らずのわたしの手紙だけで、仕事を斡旋してくれた高千穂の町長さん。それにしても。。。高千穂の旅館で働いていた最後の日,自室のドアの隙間に見つけたお手紙の主。
 脈絡もなく,昔受けた親切に身体が反応します。
 手紙を下さった方のお名前も,お顔も覚えていないのに,「あなたの生きかたは素敵です」と書いて下さった,その事を思いだし、奇跡のプレゼントを見ず知らずの人に神が託して下さった事を、どこかで納得するのです。
 その方とは、ほとんど話をした事もなく,接点もなかったのに,お別れの日にお手紙を下さったのです。わたしは返事を未だ差し上げていません。もう20年も前の事です。どうしてそう思って下さったのか,計りかねて、面映過ぎて,返事が書けずやり過ごしてしまいました。
 傷ついた事や,邪険に扱われた事には,深く感謝できるようになり,その体験は有り難く,涙と笑みを持って流せるようになりました。。。 ・・・やっと。しかし、見ず知らずの方々から見返り無しに掛けられた親切や恩義を、返礼できずに抱えています。そんな思い出が幾つもあります。これをどうしたら良いのだろうと、突然思ったのです。
 去年医療事故で前触れなく亡くなった恩人に関する夢を、たて続けに見ました。二月十八日に見た夢は,妹さんに形見の品を何かいただけないでしょうかと,泣きながら頼んでいます。夢のなかでさえ,欲しいものは何もないのに,何でこんな事を頼んでいるのだと,引いています。だって、彼女が掛けてくれた親切をわたしが引き継げば良いのだ、それが彼女の遺品と,分かっているのですから。
 10日後の二十八日,彼女の葬式の夢を見ました。この夢で,彼女が私たちに無償の愛で自分たちを生きるようにと伝えてもいるのだなあと思ったものです。平たくいえば,さっさと前進すること。彼女が掛けて下さった恩義に報いるなどと考えるなともいうのでしょう。そうです。できない相談ですもの。
 そんな思いに後押しされてでしょう、いつもの散歩代わりに、鎌倉の町の梅見に出かけました。最初にお寺さんを。早めに。ふたつのお寺のつぎに,二週間前に見たお屋敷の梅の木を見ようと歩いていたら,風情の有る数寄屋造りの御門の前で,紳士がお二人と有能そうな女性が写真機を持って,夫に声をかけてきました。写真を撮って欲しかったのです。ご要望に応えて、いつものように先を急ごうとしたら,「この奥には観光客には気付かれない穴場がありますよ」と、若い方の紳士が私たちを引き止めます。道からは見えない円弧を描いた駐車用空地の奥に個人住宅の門が見えて,門の先は細い道路が片側山肌にそって作られているのです。その山肌にびっしり植えられた初夏に咲く花は、外を通る人の目からはずれてひっそりとにぎやかに白い楽園を造ってくれるでしょう。
 その紳士のご親切は有り難くはあるけれど、と、ちょっと思ったものです。だって、私の関心はあの華麗な御姿の梅が華やいでいるところを見たいのですから。はやる気持ちは抗し難く、先を急ぎたかったのです。
 知らない人のお宅の庭に植えられたその梅は、二週間前まだ咲いていませんでした。金網越しで、道路より遠いけれどその木の価値は充分感じ取れました。それを見るのが今回の目的なのですもの。
 「この先に梅の木があって,それを見に行くところです」。こういえば,無罪放免にしてくれる,と考えたのです。浅はかにも。
 ところが、「それは、わたしの家のです」と、思いもしない答えがその紳士から返ってきました。「ああ、これだ!」、と思ったものです。短くはない人生を生きて来ると,夢の叶い方に脱帽させられるのです。それがいつもショックなんです。まるで、もっと謙虚に。もっと。と言われているような思いにさせられるのです。
 その紳士は「どうぞおはいりください。上がってお茶を飲んで行って下さい」と言ってくるではありませんか。見ず知らずの,通りがかりの、どこの馬の骨とも分からない者に,あのお家に招き入れようというのです。びっくりしました。でも、あの梅を見たいという切なる思いの前で,唯々諾々とお申し出を有り難く受けたのです。
 この紳士は最近縁あってその屋敷を購入したようです。お住まいは鎌倉の別のところ。ここは何にお使いなのか,分かりませんが,お庭はきれいに手入れされています。どこもかしこも。それもご趣味の核がちゃんとあって、主の意向に添って,庭師が贅沢に手をかけている事が,門をはいってはっきりしました。
 くだんの梅は何本もの添え木に支えられて,華やかに優麗です。この梅の樹形に丁度の八分から九分咲き。後にこの邸宅の主は、絵にするなら,ここがどこと分からないように,人を連れては入らないないようにと念を押されたので,ここでも少しのヒントも残せません。梅の木の形も表現しませんが,見事でした。陽射しも梅を愛でるように逆光を投げかけ、この一時を申し分ないものにしてくれました。
 しばらくお庭を堪能し,鎌倉らしい痕跡を庭のあちこちに認めながら,上がらせていただきました。
 いまどき、こんなに贅沢な別荘があるんだと,感心しました。何か使命でもお感じでこんな事をなさっているのでしょうか。だって芝生のなかにも可愛い花が群れるように,昭和初期に立てられたという和風建築は和式でありながら,華麗なのです。すべてがこの趣を踏襲しながら,生活できる設備になっているようでした。そういえば、かなりの椿に迎えられましたが,どれも同じはなく,一本一本吟味されているらしい事も伺えます。
 上等の和菓子にお煎茶の歓待を、六人掛けの掘りごたつでいただきました。女性がご用意くださったのです。目の前が,花を装った梅の木。戦前の窓ガラスは小さな木枠の桟にはいっています。そのガラスのどれもが磨かれて、御亭主とこの屋敷の管理をされている方の心の有り様を知らされた思いでした。
 どうしてあの方は、私たちにお声をかけて下さったのでしょうか。まだ他に人影はありましたから,私たちでなくても良かったのに。その後のことを考えても,宇宙の諸力が私たちの上にはたらいてくれたとしか考えられません。あのお方がなにかを私たちに感じられて,あの梅の木をたっぷり見せて下さった,とは思えません。失礼ながら。それほどに感激して,その晩、寝てても興奮で目が覚めてしまいました。
 
 お庭に招き入れていただいた後になって,「夫は絵描きの卵です」と、名乗りました。そして、わたしは夢の専門家だとも。せめてもの返礼と考えたからです。
 あの梅の木を夫は充分に絵にしてくれましょう。梅の木が彼を後押ししてくれているように,あのとき実感したのです。胸にその感触をいただいたのです。
 神様から,がつんとやられました。
 純真な思いって,叶うものなんだって,言ったら、身も蓋もない。
 でも、言わせて下さい。
 梅の木さん、ありがとう。そうそう、神様もありがとう。


posted by 天の鳥船庵 at 10:36 | あれこれ