[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2007年6月〜2015年1月 ]

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2008年02月24日

夫婦龍が四匹の子供を産む

 2月15日午後5時頃、伊豆半島に沈む夕陽を見ました。七里ケ浜から見える富士山を右手に、太陽はその左、半島中央あたりの尾根がガクンとくぼんだところに、かなり速い速度でダイナミックに落ちていきます。それに伴い,夕日の輝きは海面から上空を横切る雲のほとんどをオレンジの黄金色に染めていきます。ことに半島の稜線に太陽が接してからは、閃光が走ったように力強い光が辺りを包み,感動的でした。
 いつも見ている光景がことのほか美しい。
 しかし、この日、いつもよりきれいだとはいえ,見慣れたこの景色に目を奪われたのは,富士山の左側,中腹から真横に漂う横長雲が二匹の龍に見えたからでした。二匹の龍は互いに顔を見合わせ、口を開けて仲睦まじく見えました。右の龍はやや短く、左の龍はそれより長く,右の富士山側は男神で、左の伊豆上空は女神だと勝手に楽しんでいました。
 
 二神のそれぞれの表情や前足後ろ足を確認しているうちに、太陽は伊豆半島の中程に消えていきました。そのときになってはじめて気付いたのですが,太陽が沈むときの強い光線で確認できなかった女神龍の腹の下に、ひときわ輝く千切れ雲が四つしっかりと浮かんでいたのです。太陽の軌跡上を菱形に並んで、楕円よりは竜の落し子に似た同じ大きさの雲が,きらきらと輝いていました。
 太陽から目を離した瞬間に、女神が四匹の龍を産み落としたようでした。
 この自然界の奇跡のような現象に運良く居合わせて、夫とはしゃぎました。他愛もない現象ではありません。大切な事と受け取りたいが故に,今日の今日まで,このことを公にするなんて思いつきもしませんでした。
 ところが、今朝、はたと気づいたのです。女神龍が四匹の龍を産んだその真下には,江島神社が鎮座ましましている事を。
 去年夢のクラスを開講するにあたって、夢でお参りしたのが江島神社でした。宮司さんがわたしをいざなってくれたのです。目を覚ましてすぐ、江島神社にお参りに行きました。すると,奇跡のように生徒さんが四人集まり,講座を開く事ができました。
 この江島神社は,神意の知らせがいつも予想外の方法でわたしに下されます。今回はこの方法で伝えるべきを伝えて下さったようです。(注:わたしは特定の宗教を持っていません。つまり厳密な意味で神道の趣旨でお話ししている訳ではないかもしれません。)
 これを読まれて,何かしらを受け取られる方がおいでなのでしょう。そんな風に思ったものですから,お披露目しています。どうぞご自分の感性で,この印をお受け取りください。
 共時性と日本語になっているシンクロニシティは、受け取ったときすでにメッセージが以前のレベルを超えています。その訓練のための現象でもあります。
 夢に親しむと,外側の現象に夢と同じ重要なメッセージを下される事があります。瞑想と同じ現象です。
 今回、龍の出産を自然現象で見届ける幸せを得て,あのことかしら?と思い当たるところもありますが,それは、ナ・イ・ショ。
 2月9日にいただいたお花が、三週間も経っているのに元気です。それ以前にいただいた真っ赤なバラも元気です。
 この寒さでいくらか萎えてしまったからだも元気を取り戻してくれましょう。


posted by 天の鳥船庵 at 18:43 | あれこれ

2008年02月12日

女性が母になること

 今回は、女性にとっての母性について、わたしの体験を交えてお話しすることにしました。わたし自身が裸になる話なので,読まれた方々にどう受け取られるか,迷いもありますが,誰もがより良い人生を生きてほしいと願って,お話しします。どうぞ、すべてをこの文脈でお受け取りください。

 夢を扱っていると,女性は「女性でいること、女性の身体のなかに魂を入れている状態はとても大変だ」と思って生きていることが分かります。多くの女性は何くわぬ顔をして生きていますが,彼女たちのなかには自分の身体を持て余している人が多くいます。しかし文化的な背景でか,自分の身体と折り合いをつけるのは難しいと感じてはいても,それを言葉にしたり、相談することはあまり多くありません。
 異性に性欲はあるし、そう言う点ではノーマルであってもです。女性の身体のリズムと折り合いをつけながら,精神的にも成長して,妊娠するところまで心と身体を作るのに,これまでの時代を生きてきた女性より、現代の女性は時間がかかっているように感じます。
 社会は大きく変わり,男女問わず仕事優先で人生が動いています。学歴は平等なステイタスになりました。仕事上のキャリアも男女の別がなくなってきました。これは長い年月をかけて、女性側も望んで,実現してきたことなのに,これが逆に女性本来の在り方に枷をはめていると言えるでしょう。
 才能豊かでありたいという努力と時間が、気付いたら妊娠を遅らせるのも事実。三十路を超えて母になることも今は普通です。社会現象でさえある高齢出産をせざるを得ないご本人たちの心の内を、同性である女性が理解者でいなければ、これにまつわる苦難と悩みを異性に理解させるのは難しい話です。
 わたし自身は,今はこの問題と無縁の生活をしています。もう、年齢も年齢で,妊娠することもありません。しかし、自分のこれまでを省みることは,あまりに生々しくて,この問題を語る勇気がいままでありませんでした。それほどまでに、女性でいること、女性の身体のなかにいること、これがわたしにとっても大変でしたし、これがわたしだけの問題でもないことを知っています。
 そこで、すこしわたしの体験を。。。初潮を見て直ぐに,婦人科系疾患に罹り、その後も思わしくないわたしを気遣って,主治医がこんな話をしてくれました。わたしを慰めるつもりだったようです。その話は、主治医の願い通り励みになりました。彼女の勇気がどれほどのものか理解もできました。
 ある女性に好きな人ができたのだそうです。ふたりは運良く恋人同士になりました。若く美しいその人に、母親は医者に行くよう勧めたのだそうです。ふたりが結婚すると決めそうだったからです。彼女の身体を見た医者は,彼女に膣をつくる手術をしたとのことです。母親は娘に月のものが無いことを知っていましたし,このままでは夫婦としての生活も不可能だと考えて,医者に見てもらうように勧めたのでしょう。こんなことがあるなんて,信じられないとも思いましたが。
 最後にこの医者は言っていました。この女性は、一生自分に子宮が無くて生まれたことを、夫には言わないだろうと。
 この女性は,自分を女性と認め,愛する人と人生を共にしたいという願いを成就したのです。究極の選択をする、こんな覚悟のできる女性が多いと好いのですが。肉体的に問題はなく外見元気な女性が,内心とても臆病で,女性を楽しめていないと思えることが多いです。
 不妊治療は今でも保険が利かないのでしょうか。不妊治療をしているあいだに疾患が見つかり,そのときから保険の対象になったのを、わたしはしばらく気付けませんでした。呆然とし過ぎていたのです。
 そのとき、結婚した女性の何割ほどが子供が産めないのかを調べてみました。知りえた情報では,既婚者の一割ということです。これを知って、わたしは内心ほっとしました。余りの多さに助けられました。これなら、太陽のもとわたしだって安心して歩けると思ったものです。わたしだけが産めない重荷を背負っている訳ではないのだと。悲しい心の動きですが。
 その後、自分の生活も変わり人様の相談を受けるようになってからは、苦労して子供を出産したと連絡があるたび,わたしは一人寝床のなかで,感謝の涙を流したものです。嬉しくて。ただ嬉しくて,神に感謝しました。その人の願いが叶ったこと。人として,最も美しい選択が成就したこと。女性でいることを楽しんだ結果が,出産であること。などなどに対して。
 わたし自身は,それまでを振り返り、母になる努力をしたと思っていたけれど,魂の深いところで,自分が母親になることを選んで今生を計画してはいないようだと気付きました。この気付きが最もわたしを安心させました。
 先日、これこそ今という時代を象徴しているという報告を受けたので,その障りをお話ししましょう。
 セックスレスのカップルがいました。妻は二度目の結婚です。このままなら離婚しかないというところで、相談を受けました。彼女の夢は、その問題とは関係ないところで,自分の心に向き合い,直ぐに極端な生き方を選択するそれを中庸におくようアドバイスしていました。それに対する彼女の反応は、或る意味極端でした。カウンセラーとして、しっかり地盤を築いている彼女の立場からしても、これをそのまま受け入れるのは,抵抗があってしかるべきです。
 しかし、彼女は時間をかけて,この問題を自分のやり方で解決を図ったようです。その後半年を経て、ふたりはこの世で最も甘美な体験をしたと、報告を受けました。
 この報告を受けて,なにより嬉しかったこと、それはこの女性の心の強さと高尚さに触れたことでした。これで生きる意味が分かったとさえ、わたしは思いました。
 彼女の体験は、彼女だけの体験ではありません。彼女のその体験は、波動となって他の女性の振動に影響し,その波動を受けた見ず知らずの女性に、この体験を可能にするエネルギーを送り込みます。そしてこの光に包まれる体験をしたカップルに新しい魂が宿ると,この波動に見合う魂を持った子供が産まれます。
 実際、夢で妊娠を知らせてくることがあります。しかし大抵はその夢主特有の象徴に満ちているので分かり難く、後日それと気付くような次第です。妊娠を、「妊娠しました」と直接的に伝えてくる夢は,滅多にありません。という訳で,夢主がそれと知らずに話してくるので,聞いているこちらがドキッとすることがあります。でも、夢は親になる心の準備をしなさいと伝えているだけです。安心して子供を迎えるようにと。
 
 妊娠の夢も、女性側が見るものでもありません。男性側が知らせの夢を見ることもあります。こうした夢を総合してみると,これからの妊娠は、「光の子」を迎えるための準備が、両親の側に必要らしいということです。両親の状態が、子供の魂を迎え入れるに相応しくなるまで,子供になりたい魂は待っているようだという意味です。
 結論めいた話になりました。結婚したら直ぐに妊娠を考える文化や風潮を、見直す必要があるようです。21世紀になって地球社会は増々成熟しています。妊娠には心と身体と魂の成熟が必要なのだと、時代が教えているようです。
 再びわたしの話になりますが,子の母になれなかったわたしは今、夢のクラスの生徒さんたちに囲まれて,この子たちが大きく育ってくれるよう,時に厳しく時に暖かく、まるで母の役目を仰せつかったような時間を過ごしています。
 
 まだ、わたし自身女性としての自分を振り返り、これまでの在り方を反省できるところまでは到達できていないと思いますが,この立場に立つことで、親のまねごとができることを運命が引き寄せたのだと考えています。
 すべての女性が,自分の女性としての在り方を限定した形で捉えず,全方向で可能性を試し,希望を達成してほしいと,あえてわたしの話をしました。
 安心して,ご自分を生きて下さい。これがわたしの体験を通して言えることです。


posted by 天の鳥船庵 at 16:50 | あれこれ

2008年02月01日

甲状腺に絡めたあれこれ

 去る師走の19日に、はじめての本「夢のメッセージ」を持って,恩人の仏壇に報告に伺いました。その日、「夢のメッセージ」は本屋の棚に並んだのでした。
 様々な思いを噛みしめながら帰路のプラットホームに立っていると、ノドの奥がいがらっぽくて、咳き込みました。その咳で,白い粒がノドの奥から二つ出てきました。白い粒は米粒を丸めて平に潰した感じ。小豆大です。
 子供のときにもこんな事あったよなと、掌の白い粒を見つめながら、その近辺の思い出がよみがえってきました。
 それから暮のどさくさに、気には留めていられないあれこれがあったとはいえ,何やらノドの奥に違和感がまとわりつきます。食べ物を飲み込むのに差し支えはありませんが、小さなしこりが、首の付け根にあるのです。
 新年も10日を過ぎて,夜中にノドの緊張で目が覚めました。最早これまでと、耳鼻咽喉科に行きました。先生は丁寧に見て下さったのですが、「何でもない」と言われるのみで,安心はしたものの症状が消える訳でなく、どうしたものかと又一晩悩みました。
 前日よりは少し足を伸ばして,知人の息子さんがなさっている病院に伺いました。そこで内視鏡を使って病変がないことを知らされ,ほっとしました。しかし治るとも治らないとも言えないとのこと。
 次の日,いつもお世話になっている近所のソフトカイロの治療師にこのことを相談してみました。するとストレス筋とも称されるノドの筋肉が緊張してこの症状になったとのこと。「どの位治療したら治りますか?」と伺ったら、「一回で症状が取れる場合もあるし」とのこと。
 結果は、一回で治りました。歯を食いしばって,原稿書きをしていたのでしょうというのが,この治療師の診断です。これからは少し口を開けて(?!)机に向かうと好いでしょう、とアドヴァイスをいただきました。
 診断結果は何でもないという、これがこの三年続きます。まずはじめに,腸閉塞。舌のかみ傷。膀胱炎もどき。そして喉の筋肉の緊張。他にも、結果なんでもないと言われる症状を追っていくと、子供返りしているような。症状から順に年齢を下っています。子供のときは症状に深刻な病名がついたのに,いまは次々に「何でもない」が続きます。
 ここからが夢の話なのですが。10代の頃、ガムが口のなか一杯で、粘着力の強いゴム状になっています。それを取り出そうと引っ張るのだけれど、いくらやってもガムはノドの奥に絡み付いて取り出せません。この夢を繰り返し見ました。
 自分の考えを整理できず、言葉として伝える術を知らないので,自分の必要を表現できません。そこでノドをかきむしる毎日になってしまったんだなあと,その頃の自分をいとおしく思いだします。
 こんなわたしは、症状の重い病気を次々に作り出し,自分の混乱を周りに訴えかけていたのです。そうはさせてなるものかと、夢の方では繰り返し警告を発していたのに,これが警告だったと気付いたのは、後年夢の意味が分かるようになってからです。
 本の原稿作りは自分の考えを整理しながら,読む人々に分かり易く且つ説得力を持たせようと励む行為です。出版はその能力がつきましたねという証です。つまりプラットホームで白い粒を見せられたのは、「さあこれで大丈夫。つかえは取れた!」と背中を押されたのだと感じました。それなのに、また病気なのかも!と心を騒がせたので、ソフトカイロの治療師の診断が必要だったのでしょう。何とも情けない話になってしまいました。しかし子供のときは生かせなかったのに、今回は及第できたようです。
 耳や鼻や咽喉に関係した夢を見る人は,わたしの抱えていた問題と同じ質のトラブルを抱えています。この種の人は過剰に他人の理解を求めます。他人に理解されたいという乾きは癒されるはずもない。自分が自分を理解するのは,真実の行為ですが、他人の理解は真実だけとは限らない。そして、自分を理解することはそれほど難しいことでもありません。困っている,混乱している、悩んでいる、その一瞬一瞬を自分と一緒にいるだけ。これが何にも増して力強い味方です。
 この耳鼻咽喉に関わる腺は甲状腺です。これは第五チャクラに相当し,意志力に関わってきます。わたしのガムの夢は、意志力を使わず,他人の理解を求めるあまり亢進症に近いほどに混乱していたんだなあ、と、今は理解しています。
 それにもうひとつ、口のなかを夢に見る人も同じ傾向があります。口のなかに錨があったり、奥歯にトラブルがあったり。根は,怒りなんです。理解されない怒り。しかしこれって「他人に理解されない」というより、「自分を理解しない」自分への叱咤激励でもある訳で,「自分に優しく自分に添って」と夢が言っているのと同じです。
 夢と現実のリンクは見事なものだと感心して、甲状腺の作用の話を。
 病院で何でもないと言われるくらいの症状のうちに,ストレスを解消できるようでいたいものです。
posted by 天の鳥船庵 at 07:32 | 夢で心と身体の健康状態を知る