[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2007年6月〜2015年1月 ]

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2007年08月31日

着物とUFO

 今回は着物の話をしましょう。単語の中に「着物」がありますから。
 女性にとって、おしゃれは命がけってところがあります。
 着物もいざ着るとなると、あらゆる面で命がけってところがあります。いまでも目上の人や大事な用件でご挨拶に出向くときには、気張って着物を着る気持ちになります。きちんとすればこちらの誠意が相手に伝わるように思うからです。これは取りも直さず、着物を着るにはそれなりに覚悟がいるということで、そこも命がけってことです。
 と、ここまで来て,「はて、そう言えるだろうか?」と心中定まりません。大事な用件では着物を着ると賛同して下さる方が,果たして何人おいでかしらと、疑いの念が出てきましたから。
 それでも、昨今町なかで見受けられる着物姿は,おしゃれの極みが着物姿のみになってしまったようだと納得していただけるでしょう。特に中年を過ぎた女性の着物姿は,その人の意気込んだ人生を見るような感激があります。
 和服作りに携わる職人芸の粋と、着る人のセンス。それに加えて、豊かさの象徴と文化的素養が渾然一体になった和服姿と行き違う時、しばし感動で絶句になることがあります。姿勢に気合いが入っているからでしょう。
 こんな長着と帯の組み合わせなら,観劇か買い物位のお出掛けで,お茶席やパーティではありえないと,着る人の組み合わせの妙を読み取ったり、その人の恵まれた生い立ちに思いが及ぶ時、こちらの心も豊かになります。そんな出会いが増えたように思います。着物姿を目にするのは珍しいこの頃なのに、和服の約束事をきちんと守っている、軽やか麗人を見かけることが多くなったような気がします。
 
 ここまでくると、お話ししていて,何だか本当に古くさい話だなあと思えてしまいますが,おしゃれは,間違いなく自己治癒力を発揮します。特に,おしゃれに関心がある人にとって,最新流行の隙のないファッションや、思いの丈を盛り込む着物姿は、生きる自信と同義語になり得ます。
 体力に自信がなくなったり,もう少しやる気を出したい時,気張っておしゃれをしてみて下さい。どんな薬より効き目がありますから。
 
 ところが夢で見る着物姿は、そんなニュアンスで計れないのが残念と言えば残念。
 その残念な話になってしまいますが,かなり昔「着物姿の女性がUFOに衝突する」という夢を見ました。早い話が,着物を着ていた女性がUFOに殺されるって訳です。
 「大正時代の流行りを思わせるような大柄の模様で、言ってみれば,竹久夢二描くちょっと退廃的な色模様の着物を着た女性が、UFOにぶつかって首の骨が折れる」と、いう夢です。
 「その女性を抱き起こして、これは助からないと思ったわたしは、次の場面でドーベルマンのような犬の後を追って,右側の海辺に出る」と、夢は続きます。海辺に出ようと走る私たちの足並み(?)は軽やかで、幸せそうです。
 実際UFOと遭遇した経験があるわたしにとって、UFOは精神的に進歩した存在です(この解釈は私だけに言えることかもしれません。誤解無き様)。 ですからこの夢は、それまでの信念や思い込みを、活気ある精神性の高いものに変えてしまうと、元気な自分に成れるとすぐ受け取れました。人生を変えるには、それまでの不自由をかこつ信念信条や思い込みを、力あるそれに変えていかなくてはなりません。
 ということは、夢の着物姿はそれまでの不自由な私の信念や思い込みを表しています。
 着物には約束事がものすごくありますからね。
 この夢の後、長い目で見れば,この通りに生きざるをえなかった気がします。
 ところで二三日前、夢の中に犬が登場しました。おとなしい犬で、私の後を追うことだけに関心があるようですから、犬と私の間の意思疎通に問題はないようです。
 この二つの夢を比べて,良くぞここまで来た!って、自分をほめてあげたいです。犬がドーベルマンから柴犬になっています。私の心もそのように穏やかになってきたのでしょう。
 そもそも犬っていう動物は、楽しいことやかわいがられることだけに関心があるという単純な動物です。私も楽しいことやほめられることだけに関心があります。
 要らぬ心配や不安に心を占領させてなるものですか!


posted by 天の鳥船庵 at 16:47 | 夢で心と身体の健康状態を知る