「死後の状態を知らされた夢」の話をしましょう。これは私の夢です。
これをお話しするについては覚悟のいることでした。が、結果的には夢がほっと安心を置いて行ってくれたのでお話しすることにしました。
夢は、「亡くなった父が一心不乱に、火のついた大釜の前で染めの仕事をしている」というそれだけのことです。しかし夢を見ている私には,これが父のあの世での現在の姿だと分かっています。
父は生前、染色職人でした。父がこの世で仕事をしていた頃は、この分野で世界最高の技量を求められていたのではないかという自負があったようです。大勢の職人さんと、小僧さんと、女中さんと、祖父を中心にした三世代家族が戦後のどさくさを活気に満ちて生きていました。
子供の頃,周りの大人たちが寄ってたかって,父に駄目出しをしているのを、見ていたものです。義父に当たる祖父は容赦なく父を叱咤していました。父は要求される色を出せる職人として、かなりの才があったようです。自慢する訳ではありませんが,私の目にも父の技量には目を見張ったものです。才能は周りの厳しさに支えられて,更に向上します。
祖父は外交上手で,職人上がりながら技術は並でも見る目は肥えているのと、出来上がった品物を納める役目は責任重く,妥協していては仕事をもらえないからでしょう。生活態度は常に威圧的でした。
どの家も貧しかった戦後の日本で,生活の心配はしたことがない程、恵まれてはいましたが,父は酒乱でした。家庭の中は複雑で,人間関係はいつも緊張の連続。その上昼間は仏の父が、夕方からは夜叉になります。
これが原因で執拗ないじめに遭い,病気になり,手術の繰り返し。そんな十回以上に及ぶ私の入院中に、父は一度も見舞いにきたことがありません。今となるとあまりの潔さに、お話しする私の方が恥ずかしいくらいですが。
封建的で御家大事の両親と、私はどうしても話が合いませんでした。身体が弱いと両親の庇護が支えです。長じて,自分が人並みな生活をできるとは思えない自尊心のなさが私の心を萎えさせ,依存心に拍車がかかりました。これが両親と私の間で,互いを縛る協定になったようです。
その後紆余曲折があって,自分本来を通して生きる為に私は決別することを選びました。これが人間として正しい選択かどうか,長いこと悩み悶え苦しみました。
和解することなく父が亡くなって,何年かした後に見た夢がこれです。
この夢を見て,この夢を見せてくれた神に感謝しました。父の聖なる部分も私がこの夢を見ることを了承してくれたのだと、私は受け取っています。
この夢が私の心にほっと安心をくれました。
私は心の中で父親に言いました。「これで貸し借り無しね」。彼は生前の私を嘆いている訳でも,自分の行いを悔いている訳でもありません。あの世で一心不乱に彼の為にすべきことをしているのです。
この夢で,貸し借りが無くなる訳ではないけれど,負の絆は解けたように思います。思い通りを生きてみよう。やがてあの世で彼に会った時、人生思い通り生きられて幸せでしたと言えるように。その時本当の孝行が出来るのではないかと,いまの私は考えています。
2007年07月29日
「死にまつわる夢の話」のその又続き 「死にまつわる夢の話」のその又続き 「死にまつわる夢の話」のその又続き 「死にまつわる夢の話」のその又続き
posted by 天の鳥船庵 at 06:41
| 夢活用法
2007年07月22日
「死にまつわる夢の話」の続き
後から考えたら,「あれは、この世へのお別れを伝えてくれていたんだなあ」という、夢の話をしましょう。「辞世の句」ならぬ、「辞世の夢」の話です。
この5月23日に突然亡くなられた恩人の話です。
今年2月にお目にかかったとき、四方山話のあとで,「今年の初夢はね。とてもきれいな桜を見ているのよ。桜がいろいろな色で咲いていてね。それもかなり上から見ている構図になっているの。雲の間から見ているのかしら。見ている桜の花にもいろいろあって,真ん中の桜がひときわきれいな桜色」と、珍しく彼女の方から初夢の話になりました。
他人様の夢ですから,情景に違和感があっても質問しにくいところがあります。この夢で最初に浮かんだ違和感は,桜がいろいろの色で咲いているというところでしょうか。聞きながら何度もイメージし直したり、何を説明しようとしているのだろうかと,考えたりしました。確かに山の中で見る桜は大雑把にみても、四、五色に分かれます。そんな風に桜の花の色だけのことを言っているのかどうか,今となっては確かめようがありませんが、なんだかその時は確かめなる雰囲気でなく、聞き流して良かったと思っています。もっと深い意味で「いろいろな色」と言われたのでしょうから。
「そういうことでしたら、今年はどこか高台から桜を見下ろせる名所に、花見に出かけられたらどうでしょう?」と、その場は私自身にも納得できる提案をしておきました。
目の前には、70歳とはいえとても私では敵わぬ元気な大柄の女性がゆったりと寛いでいるのです。花霞が全体を覆うような光景の話を聞きながら,私の抱いたイメージは、花曼荼羅でした。
真四角の画面一杯に、雲がかかっていたのだけれど,見る間に真ん中が開いて,満開の桜を見下ろす俯瞰図が現れます。やがて雲は四隅に追いやられ,中央の木の隣も同じように桜が咲いている。しかし少し色は違って,真ん中の桜を引き立てている。上下左右とその周りも中心を囲むように桜が咲いている、という景色がそのイメージです。
この夢を聞いてからは,失礼がないようにとは思いながら,常に彼女にもしものことがあったら,と心の隅にありました。二年前に伴侶をなくされ,それに伴う遺産相続では、ご苦労されていましたし。
私の思いの中心は、どこか人生を達観した風を、彼女に感じたのです。
医療事故で亡くなられたので,身内の方のあきらめきれない悔しさを共に感じつつ,私はこの夢にすがっています。この夢の持つ貴重さが私の助けになってくれるからです。
夢の専門家である私に敬意を持って話してくれた初夢で,彼女は「自分の人生をまとまりを持って眺める位置に到達している」と、伝えているのだと理解できるようになりました。
いま彼女は、この俯瞰図を見る位置にいるのでしょうか。彼女の高い魂は、生前からこの位置にいて,夢を通してそのことをそっと私に伝えていたのだと思えてきました。
振り返ると,大事なこと全てをやり終えて,彼女は旅立って行きました。私には、やさしい宿題を残して。
やがて後を追う私たちもそうありたいと願う程、優しい心遣いに満ちている方の夢なので、この辞世の夢を披露できて幸せです。
今回はここまでで、死後の状態を知らされた夢は次回に譲りましょう。
この5月23日に突然亡くなられた恩人の話です。
今年2月にお目にかかったとき、四方山話のあとで,「今年の初夢はね。とてもきれいな桜を見ているのよ。桜がいろいろな色で咲いていてね。それもかなり上から見ている構図になっているの。雲の間から見ているのかしら。見ている桜の花にもいろいろあって,真ん中の桜がひときわきれいな桜色」と、珍しく彼女の方から初夢の話になりました。
他人様の夢ですから,情景に違和感があっても質問しにくいところがあります。この夢で最初に浮かんだ違和感は,桜がいろいろの色で咲いているというところでしょうか。聞きながら何度もイメージし直したり、何を説明しようとしているのだろうかと,考えたりしました。確かに山の中で見る桜は大雑把にみても、四、五色に分かれます。そんな風に桜の花の色だけのことを言っているのかどうか,今となっては確かめようがありませんが、なんだかその時は確かめなる雰囲気でなく、聞き流して良かったと思っています。もっと深い意味で「いろいろな色」と言われたのでしょうから。
「そういうことでしたら、今年はどこか高台から桜を見下ろせる名所に、花見に出かけられたらどうでしょう?」と、その場は私自身にも納得できる提案をしておきました。
目の前には、70歳とはいえとても私では敵わぬ元気な大柄の女性がゆったりと寛いでいるのです。花霞が全体を覆うような光景の話を聞きながら,私の抱いたイメージは、花曼荼羅でした。
真四角の画面一杯に、雲がかかっていたのだけれど,見る間に真ん中が開いて,満開の桜を見下ろす俯瞰図が現れます。やがて雲は四隅に追いやられ,中央の木の隣も同じように桜が咲いている。しかし少し色は違って,真ん中の桜を引き立てている。上下左右とその周りも中心を囲むように桜が咲いている、という景色がそのイメージです。
この夢を聞いてからは,失礼がないようにとは思いながら,常に彼女にもしものことがあったら,と心の隅にありました。二年前に伴侶をなくされ,それに伴う遺産相続では、ご苦労されていましたし。
私の思いの中心は、どこか人生を達観した風を、彼女に感じたのです。
医療事故で亡くなられたので,身内の方のあきらめきれない悔しさを共に感じつつ,私はこの夢にすがっています。この夢の持つ貴重さが私の助けになってくれるからです。
夢の専門家である私に敬意を持って話してくれた初夢で,彼女は「自分の人生をまとまりを持って眺める位置に到達している」と、伝えているのだと理解できるようになりました。
いま彼女は、この俯瞰図を見る位置にいるのでしょうか。彼女の高い魂は、生前からこの位置にいて,夢を通してそのことをそっと私に伝えていたのだと思えてきました。
振り返ると,大事なこと全てをやり終えて,彼女は旅立って行きました。私には、やさしい宿題を残して。
やがて後を追う私たちもそうありたいと願う程、優しい心遣いに満ちている方の夢なので、この辞世の夢を披露できて幸せです。
今回はここまでで、死後の状態を知らされた夢は次回に譲りましょう。
posted by 天の鳥船庵 at 11:23
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2007年07月12日
死にまつわる夢の話
夢の話でも避けて通ることのできない、死にまつわるお話をしましょう。
先日の夢のクラスで、「死にまつわる夢にはどういうものがあるか」と質問を受けたので、そのまとめをざっとお話します。
夢の中の死は、死と再生をひとくくりに考えると死を受け入れやすくなり、積極的に生きようと言う意欲に変わります。
死があってこそ生まれ変わりが叶えられ、日々もその続き,日ごと夜ごとの生まれ変わりがあって,精神面の成長も叶えられるという訳です。
以前ご厄介になった山の生活では、葬式がびっくりする程多かったものです。
手作りの葬儀を住民全員(多分?一所帯二人が原則)が2日がかりでこしらえていました。今の都会生活では考えられない手間と時間の掛け方です。
死者へのご挨拶から始まって,通夜、それに続く葬式、その全てが終わった次の日,喪主が全戸を回ってお礼の挨拶回りにみえるので,四日間も死者への関わりは血縁でなくても続きます。昔日本はどこでもこうしていたのでしょう。
葬式の度にわたしは心を入れ替え,自分の人生を全うしようと決意を新たにしたものです。悲しいことに,怠惰な私は直ぐにこの大事な決意を忘れます。しかしこれが死者を送る幸運に出会えた,天からのプレゼントでした。夢も言ってみれば,これと同じ作用を起こします。
昔、「恋人が雪山で遭難する」という夢を聞かされました。その夢主の恋人は実際雪山で遭難して亡くなっているそうです。夢より大分前に。つまり、恋人が死んで結婚できず今に至っているのに、今更彼が亡くなる夢を見るのはどういうことだと、その真意を知りたかったのでしょう。
事故と夢との時間差がどのくらい離れているものかは、忘れてしまいましたが。
数年後その夢主が、亡くなったお父さんも交えて家族全員で生前と同じ様に食事をしている光景が夢に出てきたと、話してくれました。この家族にとっては,今でも父親が(心の中に)生きて家庭の要になっている様子。父親がいてくれたら、父親ならどうするだろうかと、何気無しにふと心をよぎるのでしょう。この夢主はいまも独身です。
この夢の話を聞いて,夢主が自分の人生を切り拓いたという実感を持つ程には,恋人と父親が忘れられていないのだなあと思った次第です。
こと程然様に、身近かな人の死を受け入れ、乗り越えることは難しいものです。
恐らくご本人はこのふたつの夢を反芻することで,いつかふたつの死を乗り越えるでしょう。これは私の願いでもあり,夢のダイナミズムへの信頼でもあります。
先にあの世に旅立つ者は,その方が使うべき自然がくれる空気や食べ物や飲み物を、この世に残す者へ、「どうぞ私の代わりに生かしてお使いください」と託して行かれたのだと思います。託された者はその意を受け取り,生き続けるのが責任なのでしょう。やがて再会のとき、「あなたが託してくれたものを充分活用しました」と、報告できさえすれば良いのだと思うのですが、いかがでしょう。
他人の死を受け入れることで,自分の心の古い側面、その人と一緒だったときの自分とさよならします。さよならできます。そして新しい環境や立場でそれまで知ることのなかった自分を引き出し、自分も生まれ変わり,新しい自分にふさわしい出会いが実現します。
しかし身近な人の死を受け入れるのは難しく、夢で死者に会いたいと願う人も沢山います。
これも、昔々ご本人から聞かされた驚くべき夢の話を。
1945年3月10日の東京大空襲を、子供のときに体験された女性の話です。
当夜空襲が始まって,両親と一緒に逃げたのだけれど、途中から一人になり,明けた後でふたりを探しはしたが,生きて会うことはなかったとのこと。会えない毎日を泣き暮らしていたら,夢に両親が出てきて元気に普通の生活を彼女としてくれるようになったというのです。しかし或る晩いつものように夢に現れた両親は、ゆっくりとふたりで道を歩くように彼女を置いて離れて行くのだそうです。見ているとふたりの行く手に大きな重い扉が現れて,それをくぐったと思った途端、観音開きの扉は閉まり,それきり二度と両親が夢に現れることはなかった、との話です。
この方も独身で最早生涯結婚されることはないと思われますが、夢を話す口調から,彼女は両親の死を受け入れ、自分らしい人生を切り拓いたのだと納得したものです。また日頃の彼女の一挙手一投足がそれを裏付けていました。歴史有るご家族のお女中を生涯変わらずお勤めしていました。女中と言う言葉が使われていたのは,ほんの30年40年前。裏方に徹する人生も又実り有る尊い人生だなあと、感動を覚えたものです。置かれた立場を感謝で過ごせたのでしょう。
普通死の夢と言うと,「親殺しの夢」といって、実際の死とは関係なく夢の中で親が死んで行くのを見る夢があります。親を確実に超えて一人前になるとき,夢の中で親が亡くなります。実際に報告を受けた夢で印象的なのは、花嫁衣装に身を包んだ自分の腕の中で、父親が段々小さくなって死んで行くという夢がありました。
ご本人にとってはかなり衝撃的ですし,「悪夢に違いない」と、他言の難しい夢です。夢の真意を知れば、むしろお祝いの夢、ランクアップの夢、成人祝賀の夢で安心すべきものの類いになります。
夢を知るようになると、却って見たい夢の類いでしょう。
ところで、「現実に起きる外側は心の反映である」としたら、身近な人の実際の死も、やがてこのようにお祝いすべき出来事と受け取れ、私たちは悲しまず,苦しまず、元気にいられることになるでしょうか?そんなことは断じてないこと,あり得ないことです。
行き着くところはそうせざるを得ないとしても,悲しみ,苦しみ、恨み、嘆き、悶え、悩み、心の悲嘆は留まるところを知りません。
私はこれまで,普通の人が哲学書を読むように,夢が教える生き方とはどういうものだろうかと考えながら,夢に接してきました。
今現在私なりに得た回答らしきもの,それは「感動」でした。夢が教える生き方で最も大切なものは、感動を覚えること。その核心は感動を心がけること。感動の中にこそ精神性霊性の有り様が見え,その高見を知り,精神性霊性に叶った取り組みを教えてもらえるようです。逆に言えば,感動が自分の精神的霊的姿を知らしめ,善悪に由らない価値基準を教えてくれます。
身近な人の死を体験することで,情動の極みを体験し,自分の他者への愛を感じ取り,その感動がやがて自分を支えます。感動を感じることがなければ,それは自分にとって真実になり得ません。また,感動を感じないのに行動すれば,混乱を生じさせます。説明が更に必要な文章になってしまいましたが,手短かに言えば,感動がない結婚をすれば不毛だし,感動を覚える仕事なら多少の無理は効き、感動を更に深めたいと思うでしょう。死を体験するのもこういうことのようです。
この感動については又別の角度からお話しすることになるでしょうが、今日のところはここまでで。
次回もこの『死にまつわる夢の話」の続きとして,生前死を予告する夢と、死後の状態を知らされる夢についてお話ししようと思っています。では、お楽しみに。
先日の夢のクラスで、「死にまつわる夢にはどういうものがあるか」と質問を受けたので、そのまとめをざっとお話します。
夢の中の死は、死と再生をひとくくりに考えると死を受け入れやすくなり、積極的に生きようと言う意欲に変わります。
死があってこそ生まれ変わりが叶えられ、日々もその続き,日ごと夜ごとの生まれ変わりがあって,精神面の成長も叶えられるという訳です。
以前ご厄介になった山の生活では、葬式がびっくりする程多かったものです。
手作りの葬儀を住民全員(多分?一所帯二人が原則)が2日がかりでこしらえていました。今の都会生活では考えられない手間と時間の掛け方です。
死者へのご挨拶から始まって,通夜、それに続く葬式、その全てが終わった次の日,喪主が全戸を回ってお礼の挨拶回りにみえるので,四日間も死者への関わりは血縁でなくても続きます。昔日本はどこでもこうしていたのでしょう。
葬式の度にわたしは心を入れ替え,自分の人生を全うしようと決意を新たにしたものです。悲しいことに,怠惰な私は直ぐにこの大事な決意を忘れます。しかしこれが死者を送る幸運に出会えた,天からのプレゼントでした。夢も言ってみれば,これと同じ作用を起こします。
昔、「恋人が雪山で遭難する」という夢を聞かされました。その夢主の恋人は実際雪山で遭難して亡くなっているそうです。夢より大分前に。つまり、恋人が死んで結婚できず今に至っているのに、今更彼が亡くなる夢を見るのはどういうことだと、その真意を知りたかったのでしょう。
事故と夢との時間差がどのくらい離れているものかは、忘れてしまいましたが。
数年後その夢主が、亡くなったお父さんも交えて家族全員で生前と同じ様に食事をしている光景が夢に出てきたと、話してくれました。この家族にとっては,今でも父親が(心の中に)生きて家庭の要になっている様子。父親がいてくれたら、父親ならどうするだろうかと、何気無しにふと心をよぎるのでしょう。この夢主はいまも独身です。
この夢の話を聞いて,夢主が自分の人生を切り拓いたという実感を持つ程には,恋人と父親が忘れられていないのだなあと思った次第です。
こと程然様に、身近かな人の死を受け入れ、乗り越えることは難しいものです。
恐らくご本人はこのふたつの夢を反芻することで,いつかふたつの死を乗り越えるでしょう。これは私の願いでもあり,夢のダイナミズムへの信頼でもあります。
先にあの世に旅立つ者は,その方が使うべき自然がくれる空気や食べ物や飲み物を、この世に残す者へ、「どうぞ私の代わりに生かしてお使いください」と託して行かれたのだと思います。託された者はその意を受け取り,生き続けるのが責任なのでしょう。やがて再会のとき、「あなたが託してくれたものを充分活用しました」と、報告できさえすれば良いのだと思うのですが、いかがでしょう。
他人の死を受け入れることで,自分の心の古い側面、その人と一緒だったときの自分とさよならします。さよならできます。そして新しい環境や立場でそれまで知ることのなかった自分を引き出し、自分も生まれ変わり,新しい自分にふさわしい出会いが実現します。
しかし身近な人の死を受け入れるのは難しく、夢で死者に会いたいと願う人も沢山います。
これも、昔々ご本人から聞かされた驚くべき夢の話を。
1945年3月10日の東京大空襲を、子供のときに体験された女性の話です。
当夜空襲が始まって,両親と一緒に逃げたのだけれど、途中から一人になり,明けた後でふたりを探しはしたが,生きて会うことはなかったとのこと。会えない毎日を泣き暮らしていたら,夢に両親が出てきて元気に普通の生活を彼女としてくれるようになったというのです。しかし或る晩いつものように夢に現れた両親は、ゆっくりとふたりで道を歩くように彼女を置いて離れて行くのだそうです。見ているとふたりの行く手に大きな重い扉が現れて,それをくぐったと思った途端、観音開きの扉は閉まり,それきり二度と両親が夢に現れることはなかった、との話です。
この方も独身で最早生涯結婚されることはないと思われますが、夢を話す口調から,彼女は両親の死を受け入れ、自分らしい人生を切り拓いたのだと納得したものです。また日頃の彼女の一挙手一投足がそれを裏付けていました。歴史有るご家族のお女中を生涯変わらずお勤めしていました。女中と言う言葉が使われていたのは,ほんの30年40年前。裏方に徹する人生も又実り有る尊い人生だなあと、感動を覚えたものです。置かれた立場を感謝で過ごせたのでしょう。
普通死の夢と言うと,「親殺しの夢」といって、実際の死とは関係なく夢の中で親が死んで行くのを見る夢があります。親を確実に超えて一人前になるとき,夢の中で親が亡くなります。実際に報告を受けた夢で印象的なのは、花嫁衣装に身を包んだ自分の腕の中で、父親が段々小さくなって死んで行くという夢がありました。
ご本人にとってはかなり衝撃的ですし,「悪夢に違いない」と、他言の難しい夢です。夢の真意を知れば、むしろお祝いの夢、ランクアップの夢、成人祝賀の夢で安心すべきものの類いになります。
夢を知るようになると、却って見たい夢の類いでしょう。
ところで、「現実に起きる外側は心の反映である」としたら、身近な人の実際の死も、やがてこのようにお祝いすべき出来事と受け取れ、私たちは悲しまず,苦しまず、元気にいられることになるでしょうか?そんなことは断じてないこと,あり得ないことです。
行き着くところはそうせざるを得ないとしても,悲しみ,苦しみ、恨み、嘆き、悶え、悩み、心の悲嘆は留まるところを知りません。
私はこれまで,普通の人が哲学書を読むように,夢が教える生き方とはどういうものだろうかと考えながら,夢に接してきました。
今現在私なりに得た回答らしきもの,それは「感動」でした。夢が教える生き方で最も大切なものは、感動を覚えること。その核心は感動を心がけること。感動の中にこそ精神性霊性の有り様が見え,その高見を知り,精神性霊性に叶った取り組みを教えてもらえるようです。逆に言えば,感動が自分の精神的霊的姿を知らしめ,善悪に由らない価値基準を教えてくれます。
身近な人の死を体験することで,情動の極みを体験し,自分の他者への愛を感じ取り,その感動がやがて自分を支えます。感動を感じることがなければ,それは自分にとって真実になり得ません。また,感動を感じないのに行動すれば,混乱を生じさせます。説明が更に必要な文章になってしまいましたが,手短かに言えば,感動がない結婚をすれば不毛だし,感動を覚える仕事なら多少の無理は効き、感動を更に深めたいと思うでしょう。死を体験するのもこういうことのようです。
この感動については又別の角度からお話しすることになるでしょうが、今日のところはここまでで。
次回もこの『死にまつわる夢の話」の続きとして,生前死を予告する夢と、死後の状態を知らされる夢についてお話ししようと思っています。では、お楽しみに。
posted by 天の鳥船庵 at 01:05
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